1965年 アメリカ。
リー・マーヴィンが、この作品で、アカデミー賞主演男優賞を受賞しているのは知っていたし、主演がピーター・フォンダの姉、ジェーン・フォンダなのも知っていた。
DVDのパッケージは、馬に乗ったリー・マーヴィンが壁にもたれかかっている物憂げな写真が使われている。
どんなに重々しい西部劇なんだろうと、勝手に決めつけて思っていたのだが………。
観てみると、まるで中身は大違い。
パッケージとのギャップに驚かされる。
なんなんじゃ、こりゃ〜???
オープニングには、皆様、ご存じのコロンビア映画の『コロンビア・レディ』(白い布をまとって、頭上にトーチを掲げている。自由の女神のようなコロンビア映画の象徴)が登場するのだが、それが突然アニメーションになると、白い布を脱ぎ捨てて、女ガンマンに早変わり。
バキューン!バキューン!とピストルを撃つ。(何これ?)
そんなのに度肝を抜かれていると、西部の街並みに変わり、バンジョーを弾きながら、二人の男が画面に現れて、突然歌い出す。
「キャット・バルー ~♪、キャット・バルー ~♪」
歌うのは、コメディアンの『スタッビー・ケイ』と当時、有名な黒人歌手、ジャズ・ピアニストの『ナット・キング・コール』。
「キャット・バルーは、縛り首になるぅ~♪それは彼女が人を殺したからぁ~♪」(なんちゅ~歌詞じゃ(笑))
この二人が、場面場面に出てきては、ストーリー・テラーのように、状況説明を軽やかに歌いあげながら、去っていくのだ。
そんな『キャット・バルー』(ジェーン・フォンダ)こと、キャサリン・バルーは、牢獄の鉄格子の中で、縛り首の時間を待っていた。
彼女がこうなったわけは原因がある。
あれは数ヶ月前 …………
教師になるために、都会で勉強して、無事に卒業したキャサリンは、故郷に戻るために列車に乗っていた。
そこで保安官に連行中の男『クレイ・ブーン』とその伯父『ジェド』と知り合う。
何の因果か、人の良いキャサリンは、クレイの逃亡を手助けしてしまう。(この伯父と甥、この後も出てくるのだが、この映画に必要か?というくらい、まるで役立たず。)
そんなこんながあって、何とか故郷についたキャサリン。
父親とユダヤ人の牧童が出迎えて、実家に馬車で戻ってくると……。
家が荒れ果てている。
父親は、この土地の水利権のため、「土地を手放せ!」と町の権力者、『パーシヴァル』に脅されていた。
こんな顔の殺し屋まで、差し向けて脅してくる。
そんな不安な様子のキャサリンに、再び出会ったクレイは助言をする。
「君も殺し屋を雇えばいいさ!」と。(「あなたが助けてよ!」というキャサリンに、へっぴり腰のクレイは、「俺に人殺しはムリ」と言うだけ。本当に頼りにならない男である。)
仕方なくキャサリンは、伝説のガンマン、『シェリーン』(リー・マーヴィン)を破格の50ドルで雇うも………また、またこの男も ………
常に酒がないと生きていけない、もはやアル中で、手が震えてピストルの弾は的にすら当たらない。(ダメだ、こりゃ)
そんなキャサリン、とうとう父親を殺されて、自ら復讐の為にのりだすのだが ……
父親の為の復讐劇なのに、何だか、とんでもなくお気楽〜な西部劇である。
ジェーン・フォンダが美人だけど、どこか、トボケていて愛嬌のある『キャット・バルー』を演じている。
ちょうど、この頃は、あのブリジッド・バルドーをスターにした『ロジェ・ヴァディム』と付き合い、「《セクシー道》とは何ぞや」を、徹底的に叩き込まれていた時期。(この後には、ロジェ・ヴァダムとのお色気SF映画の傑作『バーバレラ』が待機する)
表情や色気もムンムン全開で、バルドーのようにも見えてくる。(これが後に演技に開眼して、アカデミー賞主演女優賞をとるとは、この時点では、とても思えない)
リー・マーヴィンは、鉄の鼻を持つ殺し屋と、ヘベレケのアル中、シェリーン役の2役を演じていて、見事、アカデミー賞主演男優賞に輝いた。
このシェリーン役の情けなさを見ると、後年の渋みのある役柄なんてのも、こちらも、全く想像もできないが……。
映画の最後、馬に振り落とされそうになりながら、ヘベレケで、なんとかしがみついているマーヴィン。(これは演技なのか?それとも素なのか?実際のリー・マーヴィンも、当時、アル中寸前だったようだ)
何にせよ、この映画がターニング・ポイントになったのだけは確かである。
「キャット・バルー ~♪」と歌う二人組の歌も、映画を観た後、しばらくは耳に残るほど。
ん〜、不思議な西部劇だ。
星☆☆☆☆。