2014年、2016年 アメリカ。
たまたま、この『ネイバーズ』に目にとまり、なんの情報もなしに、今回観たのだが………(ズルッ!)ズッコケて驚いた。
この21世紀に、こんな映画を作っちゃうなんて!
もう、制約なんてありゃしません。
アカデミー賞なんて、クソくらえ!
ラズベリー賞、大歓迎!
俺たちゃ、やりたいようにやるんだぁぁぁー!
の、セス・ローゲンの雄叫びが聞こえてきそうな映画なのであ~る。
映画開始、早々から、閑静な住宅街の一軒家に住んでいる『マック』(セス・ローゲン)と『ケリー』(ローズ・バーン)の喘ぎ声がもれてくる。
仲の良いこの夫婦、朝も早よから……。
しかも産まれて間もない、生後3か月くらいの赤ちゃんの目の前でだ。
さすがにベビーカーに座ったあどけない娘『ステラ』が、こちらを向いていると萎えてしまうのか、マックも、
「お利口でしゅねぇ~ステラ、ちょっと向こうを向いててね~」とベビーカーごと後ろ向きにする。
それでも可愛いステラちゃん、振り向いてジッと、ベットの上の二人を観戦している。(よくやるよ。それにしてもこの子可愛い)
仕事に行けば、同僚のジミーと下ネタトークに花がさく。(毎日が下ネタ)
「俺たちゃ、S●Xバブル時代を生きているんだぜ。それが何だ! お前、子供が出来てから最近老け込んできたぞ!」同僚ジミーの有り難いお言葉。(そんな時代なのか?今が?!)
休憩時間も、二人はタバコをプカプカしながらゲスな会話で盛り上がっている。(ちゃんと仕事してるのか?コイツら (笑) )
そんなマックとケリーの住む隣に、若い青年『テディ』(ザック・エフロン)が引っ越してきたから、さあ大変。
青春を謳歌するテディは、仲間を集めて毎晩、毎晩パーティー三昧。
騒音なんて気にしない連中は、昼夜とわず、やりたい放題の日々が始まってしまう。
「これじゃ、うるさくて眠れないじゃないの!」(「S●X出来ない」の間違いじゃないの?)
マックとケリーは、何とかして隣の騒音を止めさせようとするのだが………。
もう、次から次へと繰り出される下品な下ネタに、観終わった頃には、アタマがクラクラしてきた。
この夫婦、パーティーを止めさせようと自ら参加するが、ミイラとりがミイラになって、いつの間にか溶け込んでしまったりもする。(元がそんな性質なのだから、しょうがない)
翌朝、起きて、胸が張って痛いケリーはステラにお乳をあげようとするが、マックに制止させられる。
「お乳の中に、昨日パーティーで飲んだ酒がたっぷり入っているからダメだ!ステラがアルコール浸けになってしまう!」
「じゃ、搾乳器(さくにゅうき)を持ってきてよ!もう、お乳が張って張って痛いのよ!早く!!」ケリーが叫ぶ。
搾乳器を探せど見つからないマックに、キレながらケリーが叫ぶ。
「もう、しょうがないわ。あなたが搾ってちょうだい!!」
ケリーが胸を開くと、ドッジボールのように膨らんでパンパンになっていた。
それを見て怖じ気づくマックに、「早くしてよ、早く!」と叫び続けるケリー。
「じゃ、とにかく膝をついて前屈みになって………」
「アタシは牛じゃないのよ!」
ケリーの剣幕に、やっと意を決したマック。
ようやく絞り出すと、お乳が水芸のように(シャーーーッ!)凄い勢いで吹き出したのだった。
……………このシーンを観て、自分の中の何かがガラガラと音をたてて、崩れ去った。
あのローズ・バーンが………。
ドラマ『ダメージ』でグレン・クローズと一歩も譲らずに、知的に張り合ってきたローズ・バーンが…………。
それまでのイメージ、何もかも崩れ去ってしまった。
「何て事させるんだぁぁぁー!、セス・ローゲン、てめぇ、このヤロー!!」
これが、これからの女優としてのプラスになるとは、とても思えない。
なぜ?こんな映画に出てしまったのか?
そんな自分の心配をよそに、パート2でも嬉々として出演しているローズ・バーン。(ゲロまで吐いている)
そして、パート2では、『キック・アス』のクロエ・グレース・モレッツまでもが出演。
下品さは、ますます過激にヒート・アップしていき、あろうことか、ザック・エフロンなんて
、またもや裸になって、とうとう、はみでたタ●キ●までも、ブラブラしはじめだした。(これ、O.Kなの?)
セス・ローゲンの毒牙にかかって、皆が、とうとうおかしくなってしまったのか?
みんな、目を覚ませー!(笑)
アメリカ人、本当に分からなくなってきた。
人種差別や性差別に、ヒステリックに怒りを向けながらも、こんな映画が、ヒョッコリ出来てしまうなんて。(それを好む人も大勢いるのだ)
でも、案外、人の本質なんて所詮はこんなものなのかもしれない。
その、普段押さえ込んでいる欲望を、一瞬にして解放してしまうのがセス・ローゲンの手腕なら、恐ろしいとしか、言わざるおえない。
心底恐ろしい男………セス・ローゲンである。
星なんて、とてもじゃないがつけられない。
そんな枠から、はみ出した映画なのだから。
こんな世情でも、こんな映画が好んで作られるなんて、やっぱり映画も、時折、適度なガス抜きが必要なんだろうなぁ~と、つくづく思いました。