2008年 アメリカ。
あのアフガンから20年………。
『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)が、今どこにいるのかといえば、タイにいた。
タイの奥深く、ジャングルの中での隠遁(いんとん)生活。
スネーク・ショーの為に蛇を捕まえては生け捕りにして売り買いをして、得意の弓矢で魚を射ったりしている。
そして、たま~に船を出しては観光ガイドなんて仕事もしている。
そんなランボーの元へ、ある仕事の依頼が来た。
「君に船を出してほしいんだ。ミャンマーまで。」
ミャンマーでは、軍事政権が完全支配していて、常に紛争、略奪が続いている。
その中でもキリスト教を信仰するカレン族への風当たりは強く、日々、虐殺が続いていた。
ランボーに船を頼んだ『NGO』(国際協力に携わる非政府組織)の団体は、そんな人々を救う為の、医療やボランティア活動をしていた。
「我々は、そんな人々の為に、少しでも力になりたいんだよ」団体の一人マイケルが必死に頼むが、ランボーの返事は素っ気ない。
「断る!」だった。
ランボーの愛想のない態度に、団体はすでに諦め顔。だが、その中の一人の女性がランボーの前に進み出た。
「私に任せてちょうだい」
『サラ・ミラー』(ジュリー・ベンツ)がランボーに必死に懇願すると、意外?にもランボーは返事は「分かった!」に変わった。(ランボーでも美人の頼みには弱いのかねぇ~? (笑) )
そして長いジャングルの川を、奥へ奥へと進んでいく、一行を乗せたランボーの船。
だが、その途中、野党たちに襲われる一行たち。
それをランボーが簡単に撃退する。
「人を殺すなんてどういうつもりなんだ?!我々は人々を救う為にやって来たんだぞ!」
ランボーの行動に一行たちはカンカンだ。
「この平和ボケどもが!殺さなきゃ殺されていたんだぞ!」
ランボーの怒りの声にも耳を貸さず、既に不信感いっぱいの一行は、ランボーと離れて自分たちだけで進む事を決めた。
「ごめんなさい……」サラは申し訳なさそうに、ランボーに言うと、一行たちについていく。
ランボーは、一人、船でトボトボ帰っていった。
それから数日がたち、ランボーの元へNGOの牧師が訪ねて来た。
「一行がミャンマーの兵士たちに捕まった。どうか救ってほしい!」
牧師はランボーに救いを求めてやってきたのだ。(またもや、困った時のランボー頼み)
何を今更、勝手な事を………と思うランボーなのだが、一方では、あの、サラの事が気掛かりでもあるランボー。(惚れたのか? (笑) )
仕方なく、政府が集めた傭兵たちを乗せて、ランボーは再び船を出すのだが………。
『最後の………』なんていうタイトルを打ち出しているだけあって、これまでよりも、目を背けたくなるような凄惨な場面の連続である。
とにかく容赦なしのランボー。
もう、あまりにもひど過ぎて、これを誰にでもオススメして良いものか、どうか………。
いくらランボー贔屓(ひいき)の自分でも、ちょっとためらわれるところ。
これを『リトル・ランボーズ』に出ていたような子供たちには、決して見せられないし、こんなのを食事しながらとか、映画館で、気軽にポップコーンとコーラを飲みながら観るなんて、とても無理だ。
実際のミャンマーでの悲惨さを、監督して、主演したスタローンは伝えたかったんだろうけど………それにしても、むごたらしい殺し方は、もはや、娯楽とかエンターテイメントと言われている映画の枠には収まりきれていない。
この映画を、いつものように、単に『ランボーらしい痛快アクション』などと、受けとめる事が出来る人は、今、ちょっとヤバイかもしれない。
1~3作目は、たとえランボーが無謀に行動しても、まだ《アメリカ軍の為》、《政府の為》という大義名分というものがあった。
この映画では軍を離れた民間人のランボーが、自分の意志で、容赦なく殺しまくる。
それを映画の中でランボー自身も言っている。
「国の為ではない、自分の為に殺すのだ」と。
このセリフをつぶやくランボーに背筋が凍りつく。
パート1では、軍から帰還した後、警官たちといざこざがあったり、山に立て籠って応戦していたりしても、ギリギリのところで人間性を失わないくらいの手加減があったが、そんなものは、もはや見当たらない。
それを映画の中でランボー自身も言っている。
「国の為ではない、自分の為に殺すのだ」と。
このセリフをつぶやくランボーに背筋が凍りつく。
パート1では、軍から帰還した後、警官たちといざこざがあったり、山に立て籠って応戦していたりしても、ギリギリのところで人間性を失わないくらいの手加減があったが、そんなものは、もはや見当たらない。
この『ランボー 最後の戦場』のランボーは、もう以前の『ランボー』じゃない。
全くの別人。
トラウトマン大佐という、正気を保つ為のストッパーがいなくなった今、全てが本能の赴くまま。
まるで、繋がれていない野獣が、野に放たれたようである。
この映画で、サラに名前を聞かれたとき、ランボーは、ただ「ジョンだ」とだけ名乗る。
自身も、もう(ランボーだとは名乗れない)と、薄々、察してしたのかもしれない。
例によって、この映画も批評家とランボー信者たちの間で、評価は真っ二つに割れた。
お堅い批評家たちの味方寄りには、なりたくない自分だが、これを素直に『痛快なアクション映画』だとは言い切れない自分もいる。
どちらかというと今回、批評家寄りの考えに近い私は、これを安易には、誰にでもオススメはできないかも。
星での評価も今回ばかりは、ご勘弁くださいませ。
そして、連続で書いてみたランボー・レビューも、今回で、一旦終了。
賛同する方や異論のある方もいらっしゃるでしょうが、とりあえずは書きおわった~!と安堵。(読んで下さった方も、ここまでお疲れ様でした)
これを観た後では、最後の『ラスト・ブラッド』も、どうなることやら……不安だが、それでも今回続けて観てきて『ランボー』が好きになった。
第1作『ランボー』、第2作『ランボー 怒りの脱出』は自分の中で殿堂入り。
これからも、ちょくちょく観返す事になると思うのである。