1982年 アメリカ。
この『ランボー』を、意味もなく大暴れするシリーズだと思いこんでる方も多いはず。(かくいう自分もそうでした)
でも、この第1作目を観ると、そんな印象は180度変わってしまうのです。
『ジョン・ランボー』(シルベスター・スタローン)は、ベトナム戦争の帰還兵。
ベトナムの戦友仲間を訊ねて、真冬の田舎町にやって来たランボー。
だが、………
「あの子は死んだよ、ベトナム土産の枯葉剤の影響で癌になってね……」親友の母親はランボーにそう告げた。
トボトボ意気消沈して、町に向かって歩きだしたランボー。
それをパトカーで通りかかった保安官『ティーズル』(ブライアン・デネヒー)が見つける。
(この風貌……なんか怪しい奴……)
髭ボーボーに、長い髪。
薄汚れた身なりのランボーは見るからに不審者。
強引にパトカーに乗せると、ティーズルは町外れまでランボーを連れていき、そして降ろした。
「町の静けさを守るのが俺の務めだ!お前みたいな怪しい奴は、さっさと、この町から出ていってくれ!」
ティーズルは、そう言い捨てて町に引き返そうとするも、サイドミラーを見れば、またもや町に戻ってこようとするランボーの姿が……。
(あいつ………)
パトカーを戻したティーズルは、ランボーが持っていたサバイバル・ナイフを見つけると、「お前を逮捕する!」と署に強制連行していった。
「俺は何もしていないじゃないか?!放せ!!」
ランボーの必死の訴えを無視して、連れて来られた警察署は、またしても半端ゴロツキのような警官たちばかりの吹き溜まり。
「へへ、コイツ臭いな。たっぷり洗ってやろうぜ!」
警官たちは留置所でランボーを丸裸にすると、冷たい放水を浴びせはじめた。(こんな警察が町の治安を守っているのもどうよ?)
放水が終わると、警察たちはランボーをいたぶり始め、そして、押さえ付けると、
「今度はお前の髭を剃ってやるよ。」とキラリと光る剃刀を持って近づいてきた。(あれま!こんな所に『CSI:マイアミ』のデヴィッド・カルーソが!)
だが、その瞬間、ランボーの脳裏にベトナム時代の拷問のトラウマがフラッシュ・バックされる。
「ウォオォォォォーーーーッ!!」
ランボーは叫ぶと警察たちを簡単に、蹴ちらかして、署内で暴れはじめた。
警察たちは、あまりのランボーの変貌ぶりにビックリして、防御すらとれず、なすがまま。
まるで、寝ていた虎を起こしたようなものだ。
さんざ暴れまわったランボーは、署を脱出すると、通りに走っていたバイクを奪って逃走した。
「待てー!待ちやがれー!」
ティーズルは、すぐさまパトカーで追いかける。
「チキショー!なめやがって……俺が絶対に捕まえてやる!」
パトカーを走らせながらティーズル保安官は、呟くのだが………だが、事は簡単に運ばないのだ。
なぜなら、ランボーは闘いのプロ中のプロ。
ティーズル他、警察たちは、この後、ランボーの恐ろしさを身をもって知る事になってゆく………。
この第1作目『ランボー』をちゃんと観たのは初めてかも。
と、いうのも私、1作目、2作目をとばして、当時いきなり3作目『ランボー3 / 怒りのアフガン』を劇場で観てしまったせいもある。
何の予備知識もないまま、それを観てしまい、あまりの銃の乱射や爆破に胸焼けというか、へき易してしまい、「もう、『ランボー』はいいや……」と思ってしまった記憶があってそれっきり………。
テレビで放送されようが、4作目が作られようが、何だか知らぬ顔をきめこんで、見て見ぬふりをしておりました。(スタローンは好きなんだけどね)
近年になって、この1作目『ランボー』を作った監督が、テッド・コッチェフ(『料理長殿、ご用心』など)だと知ると、また考えも変わってくる。
観てみようかなぁ~………。
で、観た感想、なかなか良く出来てるじゃありませんか。
山に潜り込んだランボーは、廃屋を見つけると、そこにあった廃材やガラクタを利用して、様々な武器を作り出す。(勉強になるなぁ~)
そうして、山の中に仕掛けられたハニー・トラップ。
追いかけて来たドジな警察たちは、それに面白いように引っ掛かるのが、愉快痛快である。
「この山の中では、俺が法律だ!!」
(か、カッコいい!………こりゃ、大ヒットするはずだわ)
そんな具合に、簡単に軽くあしらわれているのに、馬鹿なティーズル保安官たちは、
「200人の警察官たちを集めて、一斉に山狩りをするんだ!奴はひとりだ!」と、全く懲りない様子。
そこへ、ランボーのかつての上司『トラウトマン大佐』(リチャード・クレンナ)が現れる。
「無駄な事は、お止めなさい。君ら警察に勝ち目はない。」
「何を言ってるんだ!?こっちが大勢でかかれば、奴はもう終わりだ!」
「ならば、200人の死体袋を用意することですな」と淡々と話すトラウトマン大佐。
ランボーが、《 いかに優れた破壊工作のプロ中のプロなのか 》を、トラウトマン大佐は警察たち相手に、コンコンと説いてゆく。
恐るべしやランボー。(このあたり、ランボーの強さをトラウトマン大佐に語らせるあたり、コッチェフ監督の演出が冴え渡る。上手いなぁ~)
こんな、向かうところ敵なしのランボーなのだが、最後の最後で、またまた驚愕した。
映画のラスト、説得するために訪れたトラウトマン大佐を目にすると、途端に目の前で《 大泣き 》しはじめたのだ!!
「ベトナムから帰ってきてからも俺らは除け者扱い!仕事といえば駐車場係くらいしかない!それに毎夜、ベトナムで死んだ仲間の姿が忘れられないんだ~!」
もう言ってる事が支離滅裂。
堰(せき)を切ったように、次々流れ出す言葉の放流。
トラウトマン大佐の胸を借りて、突然、オイオイ泣き叫ぶランボーにビックリ。
いくら強くても、心は傷ついた魂を抱えているランボー。
トラウトマン大佐は、「よし、よし……」とばかりに、まるで子供をあやすようにして慰める。
そして逮捕され連行されていくランボーの姿で映画は、幕となる。
この1作目を観ているのと、観ていないのとでは、まるで大違いだ。
自分の中で、ガラリと印象が変わってしまったランボー。
この1作目は、超オススメである。
星☆☆☆☆☆。
※尚、この『ランボー』には別エンディングが存在する。
トラウトマン大佐の説得に対して、「この苦しみから逃れる為に俺を殺してくれ!」と頼みこむランボー。
銃を持たせても、ためらうトラウトマン大佐に、ランボーは、自ら引き金をひいて自殺するのである。
これが採用されていれば、その後に続く『2』も『3』なかったのだ。
80年代まで、ヨーロッパ映画の風潮で、アメリカ映画にも《悲劇万歳!》とばかりに、主人公までも無惨に死ぬ映画が、いくつも作られた。
ランボーは生き残り、これ以降、映画はヒーローの活躍を楽しむエンターテイメントの時代へと流れていくのである。