2019年 アメリカ。
冒頭、のっけから『ジョン・コナー』(エドワード・ファーロング)が、ターミネーターに殺されちゃった。
あの『 2 』を全否定するように、始まる、この『ニュー・フェイト』。
ファーロングには役者として、再起のチャンスすら与えない。
ファーロングの顔の造形だけをコンピューターに取り込み、若返らせて、子供の顔にはめ込んだだけ。
まるで、「太った豚は死ね!」とばかりの非情なジェームズ・キャメロンである。
この冒頭だけで、長年の『 1 』、『 2 』の大フアンだった人は、この作品を見限ったのじゃないかな。
「こんなの長年、待ち望んでいた『ターミネーター』じゃない!!観る価値なし!」と。
この『ターミネーター:ニュー・フェイト』が興行的にも大コケしたのは、それが最大の理由だろう。
代わりに始まるのは、今までと、何の想い入れもない人物の物語。
メキシコの少女『ダニー・ラモス』(誰?)の命を奪う為、未来から送られてきた新型ターミネーター、『レヴ・ナイン』。
そして、そんなダニーを守る為に、これまた未来から送られてきた強化人間『グレース』(これまた誰?)。
それに絡むのが、ジョンを殺されて、半端ヤケクソ気味になりながら、20年以上、ターミネーター狩りをしている『サラ・コナー』(リンダ・ハミルトン)。
そして、ジョンを殺した後、すっかり人間生活にとけこんで、カールと名乗りながら、ちゃっかり家庭まで築いている別の『Tー800 』(アーノルド・シュワルツェネッガー)。
こんな四人がメインになって物語が進んでいくんだけど………。
この『ニュー・フェイト』、良い評価もあるには、あるのだけど、それでも私なりの感想を、まず、言っておく。
完全な失敗作である。
高い予算をかけて、せっかく作ったのに、残念ながら、ストーリーは完全に破綻している。
ジェームズ・キャメロンも、この数年で、だいぶ、お歳をとったようだ。
まず、冒頭、『ジョン・コナー』が殺された事で、この物語は、全く整合性を失ってしまった。
少年のジョンが殺されれば、『 1 』の未来(2029年)での、大人のジョンも存在しないわけで、
そうすると、未来から、1984年の世界に、『ジョン・コナー』によって『カイル・リース』(マイケル・ビーン)が送られてくる事もなくなるのだ。
カイルが送り込まれなければ、サラを襲う為のターミネーターも1984年には存在しない。
ゆえに、ジョンも産まれない。
その後の、サラがターミネーターと闘ってきた死闘の数々も、ジョンが産まれてこなければ、全てが《抹消》されるのだ。(『1』も『2』も、全く意味をなさなくなる)
この物語の2019年の時点で、サラが生きていたとしても、歳をとった、何も知らない、普通の老婦人に変貌していなくてはならない。
ジョンが殺された時点で、『1』や『2』のサラの過去や記憶は、全てが自動的に書き変えられている事になるはずなのだから。
ターミネーター、「何?それ?」ってな感じで、別人格になってなくては、おかしいのである。(こんな素人でも考える事、誰か映画を作る前に、キャメロンに教えてやれよ~(笑))
もう、この大きな矛盾に、冒頭から気づいてしまった人は、この後のダニーやら、グレースやら、相変わらずの女闘士サラの姿を観ても、違和感しか覚えず、頭の隅にある矛盾を、完全に追い払う事は出来ない。
いくら迫力あるアクションやら、見せ場、見せ場があっても、まるで「意味のない」物語を、延々、見せられているだけなのだ。
「これを皮切りに、新しい『ターミネーター』として、この続編と次の続編までの構想がある。期待していてくれ!」
ジェームズ・キャメロンが、鼻息荒く、インタビューに答えているが、
「やめておいた方がいいんじゃない?」と言ってあげたい。
『1』と『2』を愛するターミネーターのフアンは、この『ニュー・フェイト』の存在こそを、頭の隅から、逆に抹消するだろうから。
期待を裏切られたフアンは、ターミネーターは『1』と『2』で完結!
そんな風に線引きをするはずだろうから。
星☆。
それと、機械のターミネーターが、人間と同じように年老いたりして姿を変えていきますかね?(経験値は学んでいっても)
ドラえもんで、SFを学んで育ってきた我々世代には、こんな整合性のない、矛盾だらけの物語には、とても、ついていけそうもございませんです。