1963年 アメリカ。
「わたし離婚するわ!」
スイスの観光地に、友人『シルヴィー』と、その息子『ジャン・ルイ』と共に、バカンス旅行に来ていた『レジーナ』(オードリー・ヘプバーン)は、こう、高らかに宣言した。
シルヴィーのやれやれ顔などには、目もくれずにレジーナは続けて言う。
「彼には何か秘密があるのよ …… こんな生活は堪えられないわ …… 」
そんな決心をしていたレジーナに、気軽にナンパしてくる男がひとり。
「あ~どこかで会った?」
『ピーター・ジョシュア』(いつだって軽~いケーリー・グラント)である。
「私、夫がいるの。でも、すぐ別れるつもりだけどね」(断りながらも、なんだか気をもたせるセリフである(笑))
そうして、離婚に向けていざ行かん!
パリに帰ってきたレジーナが自宅のドアを開くと ……
何も無かった。
家具も、シャンデリアも、クローゼットの中の洋服も何もかも無い。
代わりに待ち構えていたのは、パリ警視庁の『グランピエール警部』である。
夫の『チャールズ』が、何者かの手によって殺害されていたのだ。(離婚しようと思っていたのに。拍子抜け)
「奥さん、旦那さんは家財道具の一切を競売に賭けて25万ドルの現金を得ました。でも遺体からも所持品からも、それらしきものは何も出てこないんですよ。」
チャールズの所持品を、机に上にズラズラ〜と並べるグランピエール警部。
小さなバックには、手帳、櫛、歯みがき粉、万年筆、レジーナ宛の未投函の手紙などなど……本当に25万ドルには程遠い。
全部で4つ、偽名のパスポート。
もう、明らかに怪しそうな死んだ旦那の正体。
「なにか心当たりはありませんか?」
何も知らないレジーナは、大きな目を、ただパチクリさせるだけなのである。
夕刻………警察から解放されて、再び、あのガラ~ンとした邸宅に帰ってきたレジーナ。
暗闇の中から、またもや男の人影が。
「ニュースを聞いて、慌てて駆けつけたんだ」
その声はスイスで会った、あのピーターじゃないか?
伊達男ピーターは、「力になるよ」というと、優しくレジーナの肩を抱いてきた。
だが、次の日から未亡人となったレジーナの前に、見知らない男たちが近づいてくる。
メガネをかけた小男の『ギデオン』(ネッド・グラス)。
狼のように非情そうな『テックス』(ジェームズ・コバーン)。
鉤爪の義手をした、ブスッとむくれた顔のスコビー(ジョージ・ケネディ)。
「あんたの旦那は最低な野郎だ!許せねぇーー!!」
いずれもが、夫チャールズの昔の知り合いらしいのだが、どうも恨んでいる様子である。(でも、んな事、いちいち、あたしに言われてもねぇ~)
訳の分からないレジーナに、最後に近づいてきたのは、アメリカ大使館にいる『バーソロミュー』(ウォルター・マッソー)だった。
バーソロミューの説明によると、死んだチャールズと先の恨んでいる3人は、戦争中、ドイツからの金塊輸送の際、それをネコババして隠したらしいのだ。
それを、こっそり抜けがけして、一人で持ち逃げしたのが、旦那のチャールズだった。
(あ~、それであんなに恨んでいるのねぇ~納得!)
「奥さん、何としてもその無くなった『25万ドル』を探してください!それは政府のお金なんです!」
バーソロミューの懇願に、
「無理です、無理!絶対に無理!」と最初は断るレジーナだが、
「女性だって、優秀なスパイになれますよ」とおだてられると、またもや簡単に陥落。
(何だか悪い気はしないわねぇ~)なんて思いながら、またもや、いつもの軽い調子良さが出てくる。
そして、
「やってみますわ!」
レジーナは、アッサリ返事してしまう。
(今日から、私は政府の為に働く『女スパイ』よ …… )
ドキドキ、ワクワク。
こうして、レジーナの素人スパイ活動が始まったのである。
60年代になると、様々なスパイ映画が作られはじめた。
いずれもが、007のヒットに便乗した亜流の映画であったが、この『シャレード』は、大ヒットした。
大きな瞳とスラリとした手足。
少女漫画から抜け出してきたような姿のオードリー。
50年代は、その姿で、恋愛映画の主演をしてきたオードリーも、60年代がせまってくると、別の活路を見いださなくてはならなくなってくる。
そして、見つけたのがミュージカルとサスペンスの分野。
ミュージカルでは、『パリの恋人』、『パリで一緒に』、『マイフェア・レディー』。
サスペンスでは、『おしゃれ泥棒』、『シャレード』、『暗くなるまで待って』。
それらは、いずれも有名だが、オードリーが興業的にも一番成功したのは、実は、この『シャレード』なのである。
ここで、はっきり言い切ってしまおう。
オードリー・へプバーンの演技は、あんまり上手くはない(笑)。
生前、淀川長治先生は、オードリーの事をケチョンケチョンにけなしていたくらいである。
(まぁ、そこまで言わなくてもいいのでは …… )と、逆にフォローしたくなるけど。
「この映画のヒットの要因は何だろう?」と考えた時、ヤッパリ、真っ先に浮かんでくるのが、相手役のケーリー・グラントの《演技の上手さ》だ。
さりげなく、でも飄々としていて、要所要所でキチンと笑わせてくれる。
ケーリー・グラントがクソ真面目な顔をしたり、おかしな事をする度に笑い転げるオードリー。
映画の中で、オードリーが笑っているのは、ほとんど《素》の笑顔なのだ。
そんなオードリーの演技を上手に引き出しているケーリー・グラントこそは、やっぱり名優中の名優なのである。(アカデミー賞を生前、授与しとけばよかったのに)
そんな場面を、名匠スタンリー・ドーネン監督が、手堅く映像におさめている。
ヘンリー・マンシーニの音楽も、さまざまなバージョンで効果をあげる。
全てが、うまいぐあいに重なりあって、この映画はヒットにつながっている。
だからこそ、つくづくオードリー・へプバーンって女優は、運に恵まれていたんだなぁ~と思わずにはいられない。
運も才能の内とは、まさに、この人を指す言葉じゃないだろうか。
これも繰り返し、たま〜に観たくなる映画。(《消えた25万ドル》のありかを知った後でも、充分に面白いよ)
星☆☆☆☆。
それにしても、オードリーもケーリー・グラントも、芝居を越えて本当に楽しそうだ。