1958年 イギリス。
スペインはバルセロナ。
海を見渡せる豪勢な別荘に、美しい女性が一人、通いの召し使いを従えて住んでいる。
女性の名前は『キム・プレスコット』(アン・バクスター)。
ダイヤモンド王の社長である父親が、突然自殺して、その父親が所有する別荘へとやってきたのだ。
キムにはウォードという兄もいたのだが、その兄もまた、運転する車が崖から落ちるという悲劇で、すでに亡くなっていた。
もはや、近縁者といえば、近くに住んでいる叔父だけ。
そんなある夜、訪ねてきた叔父を見送った後、庭先に、ひょっこり現れた一人の男の影。
「誰?誰なの?!」
見知らぬ若い男(リチャード・トッド)は、キムの目の前に来ると、
「キム、久しぶりだな。ウォードだよ」と、兄の名を名乗った。
「何の冗談なの?!兄は死んだのよ!!あなたなんて知らないわ!!さっさと出ていかないと警察を呼ぶわよ!!」
そんなキムの言葉にも、この見知らぬ男はどこ吹く風。
悠長な姿勢を崩す様子でもない。
苛立つキムは、警察に電話すると、署長である『バルガス』(ハーバート・ロム)が、直々に別荘へとかけつけた。
「見知らぬ男がやってきて、兄の名を語っているのよ!さっさと逮捕してちょうだい!!」
激昂するキムに、バルガスはあくまでも冷静沈着。
「失礼ですが、運転免許証やパスポートを見せて頂けますか?」
若い男は、やれやれ!とばかりに懐から、それを取り出して署長に見せた。
隅から隅まで、それに目を通すバルガス。
「何も不自然なところはございませんな」
「そんな……」青ざめるキム。
それでもキムは気を取り直して訴え続けた。
「兄は事故で死んだのよ!遺体の確認だって私が、ちゃんとしたんだから!!」
それでも男はそんなキムの言葉を待っていたように、
「自分の財布と車を奪ったヒッチハイカーが崖から転落して、今まで自分と勘違いされていたんだ」と、淡々と答えた。
署長のバルガスの目も、どんどんキムを訝(いぶか)しげに見つけはじめる。
その時、キムは兄の写真のことを思い出した。
「そうよ!兄の写真があるわ!私の部屋に!!それを見ればこの男がニセモノだって、ひと目で分かるはずよ!!」
だが、持ってきた写真は、今ここにいる、見知らぬ男の顔写真に変わっていた。
「どうして……? こんな…あり得ない!………いつすり替えたのよ?!」
そして、とどめは兄と同じように、その男の腕に彫られていた《錨》の入れ墨。
もはや、目の前の見知らぬ男を『ウォード・プレスコット』じゃないと疑うような証拠は何一つない有り様である。
バルガス署長は、狂人を見るような目でキムを見ると、「これまで!」とばかりに、そそくさと帰っていった。
そうして、別荘に残されたキムと、得たいのしれない《見知らぬ男》。
「いったい何が目的なの?!」
キムは恐怖して、階段を駆けあがると、自分の部屋へと逃げ込み、鍵をかけた。
叔父に電話するも、ずっと不通。
(まだ帰っていないの?それとも受話器がハズレているの?!)
言い知れぬ恐怖でガタガタ震えながら、キムの精神は限界だった。
考えて、考えて、そして疲れきって、いつの間にか眠ってしまったキム。
だが、キムの悪夢のような日々は、まだ、はじまったばかりなのだった……。
《埋もれていた、お宝のような映画を、きっと掘り起こす……》
このblogを始めてから3年以上経つが、自分が、こんなblogを始めた理由はそれだった。
そして自分は大のミステリー好き。
このblog、1940年代~50年代が多いと思われるだろうが、この時期がミステリー映画やサスペンス映画の傑作が集中しているためである。
その後にも、もちろん傑作と言われるミステリー映画は現れるのだが、《基本型》といわれるモノは、この時期で、ほぼ完成されているような気がするのだ。
これ以降は、現代の今に至るまで、それらの《変形型》や《亜流》、《バリエーション》みたいなモノだと、自分なんかは、そう考えている。
推理小説の世界でも、傑作が産まれているのは、同じように40年代~50年代のこの時期。
しかも、そのジャンルの本家と言われるイギリスでは、今現在に語り継がれるほどの傑作が、軒並み現れている。(アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』や『オリエント急行殺人事件』なども、ちょうどこの時期である。)
意外なトリック、
意外な犯人、
「アッ!」と驚くような大どんでん返し。
こんな本格推理小説の傑作が量産されていた当時のイギリスなのだから、そんなのが映画界にも影響しないはずがない。
隠れた名作と言われるミステリー映画は、まだまだ掘り起こせば、枚挙にあるはずなのである。
そんな数多く作られたイギリス産ミステリー映画の中でも、この一編も長い間、埋もれていた良品なのだ。
『生きていた男』……
この映画の存在を知ってから、数十年、念願叶って、この度やっと観る事ができた。
もう、観る前にあまりにも時間が経ちすぎていたので、この映画に関する内容も知りすぎていた感もあったのだが、それでも実際に観てみると、やはり、「オオッー!」なんてため息が漏れてしまう。
『イヴの総て』でベティ・デイヴィスと火花を散らしたアン・バクスターが、この映画でも大熱演。
リチャード・トッドなんか、ヒッチコックの『舞台恐怖症』でしか知らなかった俳優だが、この《見知らぬ男》の不気味さを、大袈裟にならずに淡々と演じていて、この映画でグ~ン!と株が急上昇。
この後も、
「これでもか!これでもか!」と次から次に追い詰められていく『キム』(アン・バクスター)にハラハラする。(アン・バクスターに感情移入しすぎて、もう、胃がキリキリするほどである)
通いの召し使いは辞めさせられて、代わりに現れたのは、見知らぬ男が勝手に雇った『ホイットマン女史』(フェイス・ブルック)と執事の『カルロス』。
あの信用している叔父すらも、「オオー!ウォードじゃないか?!生きていたのか!!」と見知らぬ男を兄だと断定してしまう始末。
(どういうこと? いったいどうなっているの?!)
もう、どんどん孤立無援に追い込まれていくキム。
緊張感は最後まで続いていき……そして、ラスト5分!
「アッ!」と驚く大どんでん返しが待ち受けている。
映画の終わりには、この映画のプロデューサーであり、『絶壁の彼方に』などで有名な俳優ダグラス・フェアバンクス・jr.が、コッソリ現れて一言。
「この映画の結末は誰にも言わないで下さいね」
こんなの言われたんじゃ、絶対に言えないでしょうよ。
でも、言いたい!!
う~ん、やっぱり言えない!!
この歯がゆさを当時の人たちは、どう伝えたのだろうか。
とにかく、この『生きていた男』も《どんでん返し》のジャンルでは、確実にマイ・ベスト・テンに入るような傑作だと言っておこうか。
『生きていた男』を観るまで、『生きていて』よかった~ (笑)。
星☆☆☆☆☆。