2021年3月4日木曜日

映画 「ゴリラ」

1986年 アメリカ。




このタイトルだけを辛うじて覚えていたのだけど……内容に関してはスッカリ忘れてしまっていた、この『ゴリラ』。


何でだろ?

あの、大ヒット作『コマンドー』の翌年に、天下のシュワルツェネッガーが主演しているのに。


数十年ぶりに観てみる。


あ~なるほど!

これなら仕方ないかも………



FBIが隠れ家を用意して匿っていた重要参考人。


それを、いきなりマフィアの連中が襲撃した。


重要参考人はおろか、警護していた捜査官たちも無惨に殺害されてしまう。


そんな殺害された捜査官の中には、死体現場を捜索にきたFBI捜査官『ハリー』の息子の姿もあった。


「許せん……」

ハリーはFBIにも関わらず復讐を決意する。


だが、こんな隠れ家まで探し当てるなんてきっと内通者がいるはずだ……表立って、捜査官の私は動けない。


いったいどうすれば……


そんなハリーの頭に一人の男が、パッ!と思い浮かんだ。

(アイツなら……)



行き過ぎた捜査で田舎の警察へと左遷された、昔の部下『マーク』(アーノルド・シュワルツェネッガー)。


今日もニセ警察を騙るバイカーをしょっぴいてきたマーク。(田舎じゃ、た~まにこんな事件があるくらい)


家に帰れば、妻の『エイミー』に「こんな田舎暮らしは、もうたくさん!!」とギャンギャン!八つ当たりされるマーク。


(しょうがないだろ……俺のせいじゃない)


マークだって第一線に戻ってバリバリ活躍したいのだ。



そんな今のマークにとって、ハリーの提案は渡りに船だった。


FBIへの復帰を条件に、ハリーの代わりに潜入捜査をする。


「やります!!」


マークは、自らの死を偽装すると、FBIが用意した身分証で別人になった。(奥さんいるのに、いいのか?)


「今日から俺は、『ジョセフ・P・ブレナー』だ!」


ジョセフとなったマークは、マフィアが暗躍する街へと向かって車を走らせていく……。





こんな冒頭ではじまりをみせる『ゴリラ』。


お察しのとおり、この後は、

「シュワルツェネッガーが、敵のマフィア相手にハデなアクションを仕掛けていくだろうな……」

と、想像どおりの展開になっていくのだが、………いかんせん!この映画は全くダメだった。


※ここから先は自分が《ダメ》だと思う事を、ツラツラと書いていくので、この映画をお好きな方は、ここでストップしてくださいませ。




①『撮影がダメ』


まるでホーム・ドラマみたいなアングルやカット割り。これじゃ、せっかくのアクションも盛り下がるというモノ。(その点、マーク・L・レスターが監督した『コマンドー』は、どこをとっても良かった)



②『脚本がダメ』


焦点をシュワルツェネッガーにあわせて話を進ませればいいのに、やれ、マフィア同士の内紛場面だの、話が脇道にそれすぎである。


その上、この脚本、主人公マークの人物造型が、あまりにも下手くそすぎる。


最初から、マフィアのアジトを破壊してみたり、手下どもの所に堂々とのりこんで行ってメチャクチャに大暴れしてみたり……


この、マークが、死んだ事にしてまで名前を変える意味もあるんだろうか?


やってる事が、あまりにも幼稚でアホすぎる主人公。(これでもFBIの捜査官なの? そりゃ、地方にとばされるはずだわ (笑) )




③『シュワルツェネッガーに長い台詞を喋らせては絶対にダメ(笑)』


生前、淀川長治先生が言っていた事が、やっと分かった。


「シュワルツェネッガーは演技は下手くそだ」と。


元々ボディー・ビルダーの彼は、演技の下積みも無しに、その見た目だけでここまで、のしあがってきたのだ。


『ターミネーター』はロボットゆえ、ほとんど無口で喋らないので、《粗(あら)》は見えなかった。


『コマンドー』でも、長い台詞はなるべく敵や、相手側に喋らせては、間に「チクチョー!」とか何とか言わせたり、決め台詞を言わせるだけにとどめておいて、これまた成功している。



でも、この『ゴリラ』は、シュワルツェネッガーに喋らせる。



冒頭、ハリー捜査官が潜入捜査をマーク(シュワルツェネッガー)に依頼する場面では、シュワルツェネッガーが長い台詞を喋っているのだが………英語でも棒読みが分かるくらい《超下手くそ》なのだ。



気の利いた監督なら、相手側のちゃんとした俳優にその部分を喋らせて、シュワルツェネッガーには「分かりました」の一言くらいで、とっとと短く切り上げるところを、この監督は、長々と尺をとってシュワルツェネッガーに喋らせる、喋らせる!


今までは、バレなかった演技の下手くそさが、これで完全に《露見》してしまったのだ。



そりゃ、シュワルツェネッガーだって、場数を踏んでいけば、それなりに後年の映画では、台詞まわしも、多少はマシになっていくのだが、この時点ではまだまだである。



こんなダメダメ尽くしの映画、案の定、本国アメリカでも赤字を出して、製作会社は倒産にまで追い込まれたそうな。



そうして、日本の配給会社は、この映画を売り出そうとして、どうしたかというと……


「前年、スタローンの映画が『コブラ』だったんだから、シュワルツェネッガーなら、対抗して、タイトル『ゴリラ』でいいんじゃねぇの?」


なんて言いながら、安易なタイトルを勝手につけてしまう。



主人公の名前は、『ゴリラ』でもないし、内容のどこにも『ゴリラ』の『ゴ』の字すら出てこないのに。(笑)



もう、完全にシュワルツェネッガーをおちょくったタイトルとしか思えないような、酷い邦題である。



そして、この映画の原題は、『Raw Deal』。



翻訳すれば、意味は《ひどい仕打ち》なのだ。



何だか、この意味を知ると、酷い邦題をつけた日本の配給会社に対するシュワルツェネッガーの言葉にも聞こえるのだが………(どう思います? (笑) )



だが、シュワルツェネッガーは、やっぱり強運の人。


この翌年には、あの『プレデター(1987)』で、颯爽と不死鳥のように蘇るので、皆さまご心配なく。(最後に精一杯フォローさせていただきます (笑) )



※あ〜、そうそう、この人が珍しく、こ〜んなマトモな刑事役で出演してました。




いつもなら悪党役か汚れ役専門のエド・ローターさんが、マフィアを捜査する善人側の刑事とは …… (一瞬、誰か分からずに見逃すところでしたわ)