1954年 アメリカ。
プロテニスの選手だった『トニー』(レイ・ミランド)は、美しい資産家の『マーゴ』(グレース・ケリー)と結婚して、イギリスで何不自由ない暮らしを手に入れていたのだが……
テニス・ツアーで留守がちになったトニーの目をぬすんで、マーゴはこっそり隠れて《浮気》をしてしまった。
そして、その《浮気》はいつしか《本気》になっていく。
そのくらい、浮気相手のアメリカ人で推理作家の『マーク・ハリディ』(ロバート・カミングス)は魅力的だったのだ。
若くてハンサム、理知的であり情熱家。
若くてハンサム、理知的であり情熱家。
やがて、そんなマークは故郷アメリカに帰ってしまった。(仕事?)
だが、二人の間の情熱は冷めることなく……アメリカに帰っても、何通もの手紙がマークから送られて来る。
その手紙に、マーゴは励まされ喜んだ。(さすが小説家)
その手紙に、マーゴは励まされ喜んだ。(さすが小説家)
そして、夫トニーがテニスを引退して、マーゴの資産に頼って生活してくると、尚更マーゴの気持ちはトニーから離れていき、遠い場所にいるマークに気持ちは傾いていく。
だが、そんな素振りをおくびにも出さないように、夫トニーの前では、いつも笑顔でキスをするマーゴ。
(この気持ち……知られてはならない……)
1年ぶりにロンドンに来たマークは、すぐさまマーゴを訪ねた。
マークとマーゴ……二人は抱きあい、1年の空白を埋めるようにキスしあった。
だが、次の瞬間、マーゴの不安な顔。
「どうしたんだ?マーゴ」
「あなたから送られて来た手紙は、読むと全て燃やしたわ……証拠を残さないようにと……でも1通だけはどうしても燃やせなくて……」
その手紙はマーゴのハンドバックに入れられ、大切に、大事に持ち歩いていたのだが……ある日、ハンドバックごと盗まれてしまったのだ。
一回きりの脅迫状が送られてくると、マーゴは金を払った。
でも、それきり音沙汰なく、返ってこない手紙。
「もう、はっきりさせようじゃないか、マーゴ!トニーと離婚して僕と一緒に来てくれ!!」
「ええ……でも、もう少し待って」
だが、この《浮気》、夫のトニーはとっくにお見通しだったのだ。
もちろん、マーゴの手紙を盗んで脅迫状を送りつけたのも夫のトニー。
全てはマーゴの反応を見るためにした、トニーの作戦だったのだ。
そして、マーゴの気持ちが、すでにトニーになくて、マークに傾いている事を知ってしまうと、トニーは昼夜考え続けた。
(もしも、マーゴから離婚を切り出されたら自分は無一文で放り出されてしまう……今更、テニス選手に戻れる年齢でもないし………どうすればいい?)
狡猾で冷酷なトニーは、表立ってはマーゴの前では、何も知らない演技を続けながらも、ずっと思案していたのだ。
そうして、とうとう、ある《完璧な計画》を立てる。
それは、まさに今、実行されようとしていた。
「入りたまえ!」
マーゴの留守中、トニーに呼び出されてやって来た男は、不審そうにキョロキョロした目で、アパートに入って来ると、トニーのいる部屋のドアを開けた。
(『スワン』と名乗るこの男……この男を、まず陥落させて、私の思いのままに操り従わせなくては。)
トニーの計画が始まる………。
この時期、「もう、どんな映画を撮っていいのかわからない!」状態だったヒッチコック。
フレデリック・ノットの舞台劇である、この『ダイヤルMを廻せ!』は、当時、上演されてヒットしていたので、
「これを映画にすれば……まぁコケはしないだろう……」くらいの気持ちで映画化に乗り出した、というのは当人の弁。
でも、今となってはヒッチコックが、この『ダイヤルM…』に、フラフラ~と惹き付けられたのも、なんとなく分かるような気がする。
《トニーの仕事が元テニス・プレイヤー》
そして、《赤の他人『スワン』に妻殺しの話を持ちかけるトニー》
そう、これは、それ以前に大ヒットした自身の映画『見知らぬ乗客』に似ているワードが、かなり入っているのだ。
本人は気づいていたのだろうか?(気づいてなくて無意識な気もするが)
この『ダイヤルM…』も、昔、ヒッチコック熱にうかされていた自分は、その流れで、当然観たのだが、当時の感想が、
「ヒッチコック映画にしては、あんまりつまんないかも…」というような感想だった。
今回、30年ぶりに見直してみると、その理由も、ハッキリと分かる。
舞台劇は、限られた空間で、ほとんどセットが変わらない室内劇が多い。(セット・チェンジは膨大な予算がかさむから)
その中の登場人物たちは、セリフの応酬だけで、観客たちの意識を舞台につなぎとめようと必死になる。
そのため、セリフの量が半端なく多いのだ。
舞台なら、それで良いかもしれないが、映画には映画の手法がある。
これを映画にするなら、全てをバラバラに分解して、映画的手法に組み変えなければならないのだが、それがあまり上手くいってないような気がするのだ。
例えば、夫『トニー』が赤の他人『スワン』を自宅に呼び寄せるシーン。
このシーンが、とにかく長くて、映画としては一番退屈な部分なのである。
スワンが、
過去にど~した、こ~した。
こんな事件を引き起こした。
お前の弱味を俺は全て知ってる。
ゆえに、俺の言う事を聞いて、妻のマーゴを殺せ!
警察に行ってもお前の話は通用しないし、マーゴの手紙に触れたお前の指紋も、ちゃんとこうして証拠としておさえてある。
ゆえに、お前は俺の言う事を聞くしかないのだ。
………こんなクドイ場面が何分も続くのである。
そこまでかけて、『スワン』を説得まで持っていくまでの話が、まぁ~長くて退屈な事よ。
これを、全て、夫トニーのセリフでいちいち説明するのだから、辛抱して聞いてる方は、「いいかげん、まだ、終わらないのかよ。このシーン……」となってくるわけである。
この『スワン』の過去など途中から、「ど~でもいい」と思ってくるのだ。
これが、昔、この映画を「退屈」と感じた理由だったのか。
ただ、…………
この長ったらしくて、くどいシーンが終わると、段々とこの映画は、その様相が変わってくるような気がする。
ヒッチコックが撮影しながら、徐々に光を取り戻してゆくのだ。
それはカメラ越しに見る《グレース・ケリー》の姿……。
グレース・ケリーの美しさ、洗練された所作、ファッション・センス……
悪党スワンにストッキングで首を締め上げられながらも、懸命にあらがい、スワンの背中にハサミを突き立てるグレース・ケリー。
恐怖するグレース・ケリーの姿……
撮影を続けながら、グレース・ケリーに次第に魅力されていくヒッチコック。
その熱気やノリノリになってきている様子が、映画を観ているこちら側にも、充分に伝わってくるのだ。
映画の勘を取り戻しつつある……そんな期待を持たせて、映画は終わるのである。
この『ダイヤルM…』の公開と同じ、1954年に間髪を入れずに、傑作『裏窓』は作られている。
もちろん、主演女優はグレース・ケリー。
まさに、グレース・ケリーはヒッチコックの窮地を救う為に現れた《女神》だったのだ。
星☆☆☆。