クラーク・ゲーブルは、カッコいいが、この主演女優クローデット・コルベールを、写真で見たとき、ゴメンなさい!、お世辞にも美人に見えなくて、作品は知っていても放置していた映画です。
クローデット・コルベール………眉も細くて、目も離れている、頬骨もでてるし、口は小さい。
アンバランスな造形のそのお顔は、同じ時代の女優たちに比べても、ん~なんだか、見劣りするように見える。
だが、映画の中で、ひとたびしゃべり、動きだすと、全然印象が180度変わるから、不思議だ。
富豪の娘『エリー』(クローデット・コルベール)は、腹をたてていた。
プレイボーイの『キングウェズリー』との結婚を、父親の『アンドリュース』に反対され、海原浮かぶヨットの上に、軟禁されていたからだ。(この父親の強引なやり方も現代では、もちろん犯罪である)
ハンストのエリーの前で、召し使いに食事を運ばせて、目の前で神経逆撫でするように食事してみせる父親。
怒りわめくエリーは、食事をひっくりかえして大喧嘩。
アンドリュースの部下が、あわてて追いかけるが、エリーは見つからない。
見事父親から逃げたエリーは、そのままマイアミから、ニューヨークまでの夜行バスに乗り込んだ。
そこで乗り合わせたのが、失業中の新聞記者『ピーター』(クラーク・ゲーブル)だった。
ピーターはエリーに近づくと、自分の捜索願いの記事を見せた。
エリーのゴシップ記事目当てに、ピーターは、世間知らずのエリーの逃避行を、付き合う事にしたのだった。
「ふん!何よ!勝手にすれば!」なんて言いながら、あくまでも強気のエリー。
「ふん!何よ!勝手にすれば!」なんて言いながら、あくまでも強気のエリー。
当然、次のバスに乗り込むと、エリーは、ピーターを避けて座っている。
だが、エリーは、バスの中で酔っ払いに絡まれはじめた。
元来、人の良いピーターは、それを黙って見ておられなくなり、お節介で、「妻に何の用ですか?」と、嘘をついてかばいだて。
酔っ払いから守ってやると、自分の隣の席に、エリーを座らせてやるのだった。
(やれ、やれ、世間知らずのお嬢様だな……)
(やれ、やれ、世間知らずのお嬢様だな……)
(この人……もしかして、いい人なの?)
お互い、こんな想いがかけめぐる。
そうして、バスは夜の道を進んでいく。
だが、しばらく走ると大雨になり、運行中止。
だが、しばらく走ると大雨になり、運行中止。
(こんな大雨に、バスからだされて、今夜、どこで過ごせばいいのよ~?)
途端に不安になりだすエリー。
だが、ピーターが雨の中、一室空いている部屋のモーテルを探してきた。
ずぶ濡れになりながら部屋に駆け込んだ二人。
「助かったけど、わたしに近づかないでよ!」
「もちろんだ!」
「助かったけど、わたしに近づかないでよ!」
「もちろんだ!」
部屋の間にカーテンを吊るして、エリーの警戒心を解く。
鼻唄を歌いながら、ピーターは寝てしまった。
鼻唄を歌いながら、ピーターは寝てしまった。
クラーク・ゲーブルが、紳士で(口は悪いが)異常にやさしい人物を演じている。(風と共に去りぬのレッド・バトラーとは大違い)
世間知らずのエリーの為に、エリーが起きる前に、エリーの濡れた服を乾かしてやったり、朝食のスクランブル・エッグをつくってやったり(安いモーテルだから自分で用意するのか)コーヒーまで淹れてやるほどマメな事。
父親の雇った探偵がモーテルを探し回ってくれば、エリーに合わせて演技までしてくれる。
酔っ払いのシェプリーが、新聞の報償金目当てでゆすってくれば、マフィアのボスの演技までして追っ払ってくれる。
だんだんと、二人の心の距離が近くなっていく過程を丁寧に描いていく、フランク・キャプラ監督は流石。
バスを降り、二人歩き、喧嘩しながら、納屋で寝泊まりし、旅は続いていく。
クローデット・コルベールも、世間知らずで、わがままで、でも育ちがよくて、さみしがり屋のエリーを魅力的に演じている。
そして、話が進むと、だんだん可愛らしくみえてくるんだからウマイと唸るしかない。
この映画は、アカデミー賞(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞)と総なめにした。
納得。
それくらい、主演のふたりは素晴らしいのだ。
CGもない、カラーでもない、映画に資金もそれほどかけられない時代。
演技と脚本だけがすべて。
安易に、パート2、3、4……を繰り返しつくり続けるアメリカ映画に、たまに振り返って思い出してほしい。
この名優、監督たちを。
星☆☆☆☆である。