1985年 11月。
和久峻三、松本清張ときて、今回は 赤川次郎 。(こりゃ、今月は小説家月間になりそうかな?)
昭和51年に『幽霊列車』でデビューした赤川次郎は、瞬く間に超売れっ子になっていった。
日本人なら知らない人はいないだろうし、誰もが一度は、何かしら赤川次郎の小説を手に取って、読んだことがあるんじゃないかな?
漫画しか読んだことがなくて、いざ「これから小説を読んでみようかな~」と思っている人には、その初級編として赤川次郎の小説は最適かもしれない。
なるべくの情景描写、心理描写を減らしての会話文形式。
改行の多さ、余白のとり方は、テンポが良くて読み進めやすいかも。
かくいう私もデビュー作の『幽霊列車』からはじまって、『マリオネットの罠』、『三毛猫ホームズの推理』と、次から次に読んでいった一人。
でも、昭和が終わる前、赤川次郎の小説からは簡単に卒業してしまった。
理由も分かっている。
毎月毎月、膨大な数が出版されていた赤川次郎の小説は、ある時期から明らかに変貌し始めるのだ。
これが「来る仕事拒まず」で、多作を繰り返した結果なのか ……
元々、少なかった情景描写、心理描写は極端過ぎるくらい無くなっていき、ほぼ、登場人物たちが一言二言を言い合うような会話形式の文体に様変わりしてしまうのだ。
これを読みながら、(いくらテンポの良さはあってもねぇ〜 …… )と、読後にはなんとも言えぬアッサリ感だけが残る。
毒気もなくなり、まるで《シナリオでも読まされている》風に段々と感じてきたのだ。
こんな風に思ったのが、自分以外にもいたのかもしれないが、あれだけ熱狂的だった赤川次郎ブームも昭和と共に終わってしまう ……
なんだか、最初からケチのつけどおしだけど、それでも昭和の作品に関しては、中々の良作が並んでいる赤川次郎のラインナップ。(それらは今読んでも面白い)
一時期は、映画やドラマに原作が借り出され、ジャンジャン映像化されたものである。
そんな中、1985年に鳴り物入りで始まったのが、フジテレビの『木曜ドラマストリート』なる2時間枠。
世はまさに2時間ドラマ全盛期の時代に『赤川次郎』の作品が次々にドラマ化されるというのだ。
1回目の『孤独な週末』の岸本加世子に感心して(さすが演技派)、主題歌のオフコースも印象に残った。
2回目の『払い戻した恋人』藤谷美和子にガクッ!(笑)(言わずもがな)
3回目の『明日を殺さないで』の渡辺典子で、またまた評価は急上昇。(渡辺典子さん、映画でも赤川次郎作品に主演してるしね)
4回目の『復讐はワイングラスに浮かぶ』の柏原芳恵で、またまたガックリ!(この人、演技しない方がいい(笑))
こんな風に、毎回上がったり、下がったりを繰り返しながら、ある日突然、美空ひばりのドラマ?なんかが放送されちゃう。(オイオイ!赤川次郎の原作はどこいったの?)
それ以後、たま〜に赤川次郎のドラマをやっても、完全に他の原作者やオリジナルドラマに路線変更してしまった《木曜ドラマストリート》。(こういう主体性の無さや迷走ぶりは、やっぱりフジテレビって感じだ)
とうとう明石家さんまの『心はロンリー …… 』を最後に、この枠はたった1年で終了する。(赤川次郎どころか、もうミステリーでもサスペンスでもない作品で終了とは …… 呆れるやらなんやらで、トホホである)
こんなトンデモ2時間枠の『木曜ドラマストリート』だったが、とにかく良作も何本か残せた。
その中の1つが赤川次郎の原作を忠実にドラマ化できた『殺人よ、こんにちは』なのである。
このタイトルを見ればお察しの通り、作者がフランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』に影響を受けて本編を書き上げたのは明らか。
こちらも、多感な一人の少女の、忘れられない夏の日の出来事を切り取って描いている。
莫大な財産を残して、ある朝突然亡くなった父親。
母親(中村晃子)はそれでも平然としている。
それを見て13歳の一人娘『丹野有紀子』(工藤夕貴)は直感した。
(ママがパパを殺したんだ …… )と。
普通なら母親を憎むところだが、この母娘ちょっと変わってる。
母親への愛情は全く変わらない有紀子だし、それに母親の方もあっけらかんとしていて、塞ぎ込む様子でもない(?)。
二人は昔からのお手伝い『八重子』を伴い、ひと夏を過ごすため、海の見える別荘へ。
そして母親は、『金沢』という若い男と知り合って意気投合すると、早速、別荘へ呼びつけて、
「私、この人と結婚するわ!」と有紀子の前で高らかに結婚宣言。(オイオイ)
有紀子は有紀子で「へ〜え、そうなの」と、まるで動じる風でもない。
そんな別荘へ次々集まってくる人々。
有紀子の親友や、父親の弟で借金取りに追われるダメ叔父やら、その他もろもろ …… (この辺り、記憶がおぼろげ)
やがて連続殺人事件が起きて ……
なんだか一見するとリアリティーのない登場人物たちばかりなんだけど、工藤夕貴も中村晃子も、まるで原作から抜け出てきたように演じていたのには、ほとほと感心した記憶がある。
特に、このドラマはラストが秀逸な出来。
フタを開けれてみれば史上最低のゲス男だった『金沢』を罠にかけようと、『有紀子』(工藤夕貴)が海の岩場におびき寄せるシーンがある。(岩の隙間に、わざと金沢の高級ライターを落として潜って取りに行かせる)
原作でもエッジが効いてる、このシーンを忠実に再現しているのには驚いた。
海から岩場の下をくぐり抜けて、やっとライターをつかんだ金沢。
でも、あっという間に満潮が近づいて海水が上がってくると、水圧におされてしまい、潜りこんでいった穴を抜けられなくなってしまう。
金沢はヒステリーをおこして、大パニック。
「助けてくれぇーー!」と岩場の間から絶叫するのだが、有紀子はあくまでもクールに振る舞う。
冷たい表情を崩さない。
こうなることを予期していたのか、淡々と金沢に話しかけている。
そして、
「死刑囚には最後の一服を与えるんでしょ?」と火のついたタバコを岩場のすき間に投げてやり、そのまま見殺しにするのだ。
自分の手を全く汚さずに、少女が仕掛けた完全殺人。
なんとも言えない残酷なラスト・シーン。
この難関なシーンを撮影する場所を「よくぞ!探してくれた」と、当時のスタッフを褒め称えたいし、工藤夕貴の演技も最高潮である。
この『殺人よ、こんにちは』は、赤川次郎の原作の忠実な映像化作品としては、今だにNo.1だと思ってる。
いつの日か、ちゃんとしたDVDで観られる日を希望して、ここに長々と書いた次第である。(主題歌オフコースの著作権料が高いのか?)
それにしても、こういうドラマを作ってやろう!って気力や労力は、もう無いのかねぇ~、今のテレビには。
なんとかしないと、益々テレビ離れが進みまっせ!
星☆☆☆☆。