1945年 アメリカ。
男なのに、たぐいまれなる美貌と若さを持つ美青年『ドリアン・グレイ』(ハード・ハットフィールド)。
そんなドリアンは画家『バジル』(ローウェル・ギルモア)の元で肖像画のモデルになる。
絵も完成間近の時、バジルの知人で快楽主義者、へそ曲がりな男『ヘンリー卿』(ジョージ・サンダース)が呼ばれもしないのに、バジルのアトリエにノコノコやって来た。
そんな変わり者のヘンリー卿も肖像画の出来に感心して「これは傑作になるぞ!」と、大絶賛し、褒め称える。
そしてモデルになったドリアンに目を向けると、ドリアンを羨んで「若さと自由奔放な生活こそ最高なのだ」と、勝手な持論で演説までし始めた。
純真無垢なドリアンは、その言葉に心うばわれて、
「自分の代わりに絵が歳をとってくれればいいのに …… 」なんて、ボヤいたりする。(やっぱり自分がイケメンなのを、充分自覚してる奴である)
そんなドリアンは、ある日、舞台歌手『シビィル』(アンジェラ・ランズベリー)と出会って、二人は恋におちた。
結婚しようか、どうか……迷っていたドリアンだったが、またもやヘンリー卿の悪魔のささやき。心は簡単にぐらつきはじめる。
「たった一人の女に縛られるなんて……君はこんなにも、まだまだ若いのに …… 」
(そうだな!俺はまだ若いんだ!結婚なんて馬鹿馬鹿しい。や〜めた!!)
あっさり、シビィルとの結婚を破談にしたドリアン。
だが、それがショックで、シビィルは後日、可哀想に自殺してしまう。
さすがにうろたえるドリアンだったが、
「お、俺のせいじゃない!」と自己弁護と責任逃れ。(いや、充分お前のせいだよ)
そんなドリアンが、ふと、あの肖像画を見てみると、驚いたことに、醜く変化しはじめていた。
腐りかけたような肌色と深い皺 ……
まるで、ドリアンの内に秘めた邪悪さが、もろに絵に乗り移ったかのようである。
「こんな絵、絶対に人に見せられない!」
バジルの家から自分の肖像画を盗みだしたドリアンは、それをこっそり隠すのだが ………
1891年、オスカー・ワイルドが書き上げた、この同名の小説は、21世紀の現代に至るまで、メディアの力を借りて、微妙に形を変えたりしては、我々の目に入ってきたり、耳にしたりしている。
ドラマ化や舞台化も時折されていて、映画にも3度なっている。
今更、小説を手にとって読むのもねぇ〜(ちょい面倒くさい)
そんな時は映画が楽チン!それも1作目を観るに限るのである。(1作目なら、ほぼオリジナルの小説に近い内容だと思っているので)
で、観た感想なんだけど ………
当時としては中々、前衛的な映画だったのかもしれない。
モノクロ映画なのに、ドリアンの肖像画を映し出す場面になれば、途端に鮮やかなカラーに切り替わる。(醜悪に変化する肖像画は、カラーで観れば中々のインパクトで、「ドキッ!」とするかも)
でも、なんで?このドリアンにだけ、こんな《不思議》が起ったのかねぇ〜。(女遊びをしたり、女をアッサリ棄てるようなクズ男は他にも沢山いるだろうに)
むしろ、ドリアンに、くだらない事をいちいち入れ知恵する『ヘンリー卿』(ジョージ・サンダース)の方に、私なら天罰を与えたいくらいに思えた。
人がどう生きようが、結婚しようが、ほっとけよ!
快楽主義者だか、なんだか知らないが、こんな風に、自分の価値観を無理矢理押し付ける輩(やから)が、一番厄介である。
実際の、この役を演じたジョージ・サンダースも、当時としてはハリウッドの中で異質であり、変わり者で通っていたらしい。
この人の出演した他の映画を観ても、それは明らかである。
ヒッチコックの『レベッカ』では、死んだレベッカの元愛人で、ローレンス・オリヴィエをおとしめようとする、つくづくイヤな男。
『幽霊と未亡人』では、結婚してるのに、未亡人のジーン・ティアニーをたぶらかす、これまたイヤ〜な最低野郎。
『イヴの総て』では、悪女『イヴ』(アン・バクスター)に騙されたふりをしながらも、裏でイヴの過去を洗いざらい調べ上げて、最後にコテンパンに打ちのめす、コラムニストのアディソン・ドゥーイット役。
けっこうな頻度で、嫌われる役を演っているジョージ・サンダース。(そんな映画を、ほぼ観ていて知ってる自分も、中々の変わり者なのだけど)
こんな一癖も二癖もある役ばかりを演じるジョージ・サンダースの評判は、とうとう、当時、ある有名なミステリ作家のインスピレーションにもなったようである。
女流ミステリー作家『クレイグ・ライス』……
近年、日本でも発刊されているが、ライス女史によって書かれた『ジョージ・サンダース殺人事件』なるミステリー小説が存在するという。(もちろんフィクションだろうが、コチラは機会があれば、是非読んでみたいと思う)
アンジェラ・ランズベリーもイングリット・バーグマン主演の『ガス燈』では、端役のメイド役だったけど、やっと、マトモなヒロイン役。(でも、トホホ……前半で自殺してしまうけど)
でも、若い時は、この人も中々綺麗だし可愛らしい。(この映画では美声も披露する。歌うのは『黄色い小鳥』)
身長が高すぎなければ、王道のヒロイン役で充分いけたのにねぇ〜。(173cm。昔の女性にしては高い)
この映画の後は、やっぱり端役を続けながら、舞台を中心にやっていくアンジェラさん。
彼女の真価は後年の代表作『ジェシカおばさんの事件簿』まで、まだまだお預けである。
アンジェラ・ランズベリーが死んで、後半、この映画で代わりにヒロインを務めるのが、なんと!あのドナ・リードである。
リチャード・ウィドマークと共演していた西部劇『六番目の男』のドナ・リードは、馬を軽々乗り回し、色気を存分にふりまいて、リチャード・ウィドマークを終始デレデレにさせていたっけ。
この映画では、数年後にドリアンから求婚されるという、王道中の王道、可憐なお嬢様『グラディス』を、魅力たっぷりに演じております。
アンジェラには悪いが、ドナ・リードの眩しいくらいの美しさと色気には、あと半歩、アンジェラは及ばないかも。(単に自分がドナ・リード好きという贔屓(ひいき)もあるが)
そうして、最後、この主人公『ドリアン』を演じたハート・ハッドフィールド。
この役柄が、当時の人々にインパクトは与えても、近い周囲の人々には相当気持ち悪がられたみたいである。(この後、徐々に衰退していき舞台に戻っていったらしい。この人の事、全く知らないはずだわ)
「この映画の後、皆が、私と一緒に食事する事すら、拒むようになりました」は、ハッドフィールドの弁。
まぁ、これですもんね。(そりゃ、不気味がって、さすがに嫌がられるわ)
顔立ちは、後年スーパーマンを演じたクリストファー・リーヴにも似ているハッドフィールドさんなんだけどね。(やや、こっちの方が痩せてるけど)
映画のラスト、醜悪に変わり続ける肖像画にとうとう我慢出来なくなったドリアンは、ナイフを突き立てる。
すると、自分自身がその場にバッタリ(ウッ!)倒れて、絶命。
絵は、みるみる元の綺麗なドリアンに戻っていくのだが、代わりに、地べたで絶命しているドリアンの遺体は醜い肖像画の姿へと変っていく。(まぁ、けっこうインパクトのある結末)
1945年の当時では、あまりにも強烈で、先駆け過ぎた作品だったかもしれない。(アンジェラ・ランズベリーも、この映画でブレイクしないし)
美しさを求めて、男たちが過剰な美意識に走り始めた今、この『ドリアン・グレイ』の物語も、警鐘として、やっと受けとめられるようになってきた?……のではないだろうか。
そんな気がするのである。
星☆☆☆。(何事もほどほどが一番て事で)