1941年 アメリカ。
久しぶりのヒッチコック映画である。
この映画の事をどう書いたらいいのか、考えあぐねていて、ずっと後回しにしておりました。
ハッキリ言って、映画としては、あんまり良い出来ではないんだけど、バッサリと切り捨てて、単に「面白くない!」とも断言しにくい。
それというのも、この映画には、語るべき逸話が多すぎするのだ。
ちょっと順を追って、慎重に歩を進めるように書いていこうと思う。(また、長くなるかなぁ~、ご容赦あれ)
この映画の原作は、フランシス・アイルズ(別名アントニー・バークリー)によって書かれた小説『レディーに捧げる殺人物語』である。
簡単に説明するなら、
『世間知らずのお嬢様が、親の反対を押しきってまで結婚した男は、どうしようもない札付きのクズ男でした』ってお話である。
生粋のプレイボーイでいて、おまけに『働かない』、『博打打ち』、『金銭トラブル』などなど……(現代にも、こんな男はわんさと存在する)
そんな男でも、ベタ惚れで世間知らずのお嬢様は、
「私の愛の力で真面目に変えてみせる!」
と意気込むのだが、世間の誰もが思うように、こんなクズ男を改心させるのは到底無理な話なのである。(こんな女性も大勢いる)
しばらくすると、多額に膨らんだ借金の事を知って、男の態度に不信感を募らせていくお嬢様。
しまいには、
(もしかして、財産目的で私の命を狙っている……?)とまで、思い始めて恐怖していくのだ。(それ見ろ!)
そう、男は、クズはクズでも根っからのクズ、《殺人者》なのだった………
こんなのが、『レディーに捧げる殺人物語』の筋書き。
こういう救いのない話をヒッチコックが撮りたかったとは、とても思えない。
大方、ヒッチコックをアメリカに呼んで、「あ~だ、こ~だ」口出しするプロデューサー、セルズニックの差し金だっただろうと推測する。
「前年の『レベッカ』でアカデミー作品賞を取ったんだ!次はこれでいく!!」
有無を言わせない、セルズニックのこんな声が聴こえてきそうである。
主演女優は、前年の『レベッカ』からの続投でジョーン・フォンティン。
世間知らずの富豪のお嬢様『リナ』役は、清楚な彼女のイメージに似合ってるっちゃ、似合ってるんだけれども……(「ジョーン・フォンティンを売り出すぞー!」ってセルズニックの鶴の一声だったんじゃないのかな?)
そして、最低のプレイボーイ『ジョニー』役には、ケーリー・グラントが抜擢される。
「ケーリー・グラントだって?!ケーリー・グラントを使えるのか?!」
ヒッチコックは多分、小躍りして喜んだはずである。
なんせ、ケーリー・グラントは、この映画に出るまでに、とっくの昔に大スターになっていたのだ。
マレーネ・デートリッヒやキャサリン・ヘプバーンなど有名女優たちと、次々共演して、いずれも成功をおさめている。
ハワード・ホークスやジョージ・キューカーなど、名だたる監督たちにも愛されていたケーリー・グラント。
こんな映画の筋書きでも、俄然ヒッチコックも張りきるというものである。(「ヨッシャー!やったるわい!」てなところか)
撮影がはじまると、『ジョニー』を嬉々として演じはじめるケーリー・グラント。
こんな最低な男の役でも、グラントが演じると、どこか愛嬌があって、妙な可笑しみが出てくるから不思議である。
やっと結婚して、妻のリナに真面目に働くように言われると、
「働くの?このボクが?!」なんて言いながら、おどけた表情をするグラントには、嫌な感じはまるで受けないし、むしろ笑ってしまう。
だが、映画も後半に入ってくると、途端にジョニーの表情が重々しく変わってくる。
『リナ』(ジョーン・フォンティン)が、
「夫の行動がおかしい……もしかして夫は殺人犯かもしれない……」と疑いだして恐怖しはじめると、ケーリー・グラントの芝居も、それまでの陽気さは影を潜めて、険しい表情に様変わりしていくのだ。
目線は全く動かなくなり、首から上は一切動かなくなる。
実は演技派の人なのだ!このケーリー・グラントって人は!
寝室に閉じ籠っているリナに、夜半ミルクを持って階段を上がっていく『ジョニー』(ケーリー・グラント)は、まぁ、恐ろしいことよ。(このミルクに「毒が入っているのでは…?」と観ている人は思うはずだが、実際に入っているのは、ミルクを際立たせる為の《豆電球》。ヒッチコックの演出が冴え渡ります)
こんなリナは、とうとう「しばらく実家に帰りたいの」と言いだす。
それを、ジョニーは「実家まで自分が送っていく!」と一歩も譲らない。(リナにしたら、「あなたが怖いから帰りたいのに、放っといて!」なのだが、恐ろしい表情のジョニーに逆らえるはずもない)
嫌々、ジョニーの運転する車の助手席に座らされたリナは、もうガタガタ震えっぱなし。
ジョニーは、アクセル全開で猛スピードで車を走らせていく。
そして、車はタイトルでもある『断崖』の場所へとさしかかってくる。
車が走り抜けていく、すぐ側の真下を見れば、高い断崖絶壁の崖なのだ。
(もう、これ以上は耐えられない!!)
隙をみて、車の助手席から飛び出たリナ。
その腕を掴むジョニー。
「イヤアーーーッ!離してー!!」
リナの絶叫が響き渡る…………………
と、この映画が優れているのは、ここまで。
残り数分でとんでもない展開を迎えるのだ。
「いい加減にしてくれ!ぼくの顔を見れば震えて!君はぼくが殺そうとしてるとでも思っているのか?!」
えっ?どういう事?!
全てが私の勘違いだったの?!
ジョニーから事情を聞けば、身近で起きた友人の死は全くジョニーとは関係なかったらしい。
ジョニーはリナを実家に送り届けた後に、自殺しようと考えていたらしいのだ。(借金の為に)
全てが私の勘違い………(私はこの人をまだ愛しているんだわ!)と一瞬で悟ったリナ。
「もう一度やり直しましょう、最初から!二人なら出来るわ!!」
リナの呼び掛けに、車は実家に向かう道路をUターンして、また元の二人の家へと帰っていくのであった。
めでたし、めでたし……で、映画は終わるのだが………
何じゃコリャ?!舐めとんのかー!💢
今まで散々、気を持たせておいて、ハラハラさせといて、全てが、《馬鹿な女の勘違い》だったー?!
ふざけるなーーー!💢金返せーーー!!(金なんか、もともと払ってないけど (笑) )
初めて、この映画を観た時は、こんな感想を持ったものだった。
「『断崖』は駄作だ!もう一生観ることはないだろう」の気持ちは、しばらく続いていた。
でも、後に、こんな裏事情を知ってしまうと、この怒りも徐々にトーン・ダウンしていく。
全ては、《ケーリー・グラントが大スター過ぎた》からだったのだ。
上層部がクレームを入れて、急遽結末は変えられたのである。
「プレイボーイの役でもいいが、大スターのケーリー・グラントを殺人犯なんかに出来るか!」が、その理由である。(だったら、最初からこんな役に当てがわなきゃいいのに)
こんな帳尻会わせの、違和感アリアリの結末は、その為である。
スター・システムが健在だった時代、仕方ないっちゃ、仕方ないんだけど……。
でも、おかげで、ジョーン・フォンティンが演じたリナは、一挙に《世間知らずで思い込みの激しい、馬鹿な女》に成り下がってしまったのでした。
こんな仕上がりになってしまった『断崖』だったが、ケーリー・グラントやジョーン・フォンティンの人気で、当時は、そこそこプチ・ヒットする。
でも、こんな副産物までついてくるのはいかがなものだろうか?
自分には、やり過ぎにしか思えないのだが。
なんと!この作品でジョーン・フォンティンはアカデミー賞の主演女優賞を受賞してしまったのである。(えっ?何で?どういう事?!)
受賞式でオスカーを受け取るジョーン・フォンティン。
でも、難癖をつけたくないが、こんな失敗作で受賞して、本当に嬉しかったのだろうか?
何か裏で、特別な力が動いたとしか思えないような受賞である。(後にも先にもヒッチコックの映画で、主演賞を取れたのは、このジョーン・フォンティンだけだしね)
そして、この受賞は、ある人物の憎しみをメラメラと掻き立てる結果にもなってしまったのだった。
ジョーンの姉で、『風と共に去りぬ』のメラニー役で有名なオリヴィア・デ・ハヴィランドの憎悪を……🔥🔥(怖っ)
ジョーンよりも、演技に対する情熱は人一倍のオリヴィアは、妹に先を越されてしまい、大嫉妬。
ずっと憎み続けたという。(後にオリヴィアも主演女優賞を2度も受賞するのだが、それはまだまだ先の話)
まぁ、オリヴィアの気持ちも分かるような気がする。(こんな失敗作で受賞なんて、とても納得できるはずがない)
こんなメラメラ煮えたぎる憎悪の一方で、ヒッチコックはケーリー・グラントと出会えた事を素直に喜んでいた😆💕。
(いつか、またケーリー・グラントで映画を撮りたい………)と。(凄いよねぇ~、ヒッチコックでも、ビリー・ワイルダーでも、名だたる監督たちがケーリー・グラントを欲するんだから)
これが後に出来る、『汚名』、『泥棒成金』、『北北西に進路をとれ』の始まりだったのかもしれない……なんて思うと、この『断崖』自体の失敗も、少しばかり許せる気がしてくる。
ヒッチコック映画の中でも、重要な位置付けなのかもしれないしね。
長々、お粗末さま。これにて。
(やっぱり長くなった~、スイマセン)