1965年 イギリス。
日本じゃ公開当時から、ちと残念な扱いをされている、不遇な映画なのかもしれない。
1962年に『何がジェーンに起こったか?』が、公開されると、たちまち、それまでのベティ・デイヴィスのイメージは一変した。
「恐ろしい顔の婆さん!」
「妖怪のような婆さん!」
「気持ちの悪い婆さん!」
になったのだ。(まぁ、本人が望んで、そんなイメージ・チェンジを図ったんだから、誰のせいにも出来ないのだけど)
美人女優として名をはせていた『痴人の愛』や『イヴの総て』のイメージは、すっかり霞んでしまい、もはや《化け物》のようなイメージのベティ・デイヴィス。
こんなイメージは、観た人々に刻印のごとく、深く焼き付いてしまったのである。
一方、この監督であるセス・ホルトはというと……
俳優として出てきたはいいけど、まるで売れない日々に悶々として、いつしか裏方にまわって、脚本やアシスタント・ディレクターなどの下積み時代を経験してきた人。
やっと映画監督として、映画が撮れるようになっても、その会社は《怪奇モノ》や《ホラー》の老舗である『ハマー・プロ』だったのだ。
『ハマー・プロ』といえば、ドラキュラやフランケンシュタインなどの《怪奇モノ》映画を次々と乱発していた会社。
そんな『ハマー・プロ』で、セス・ホルトは、映画『恐怖(1961)』を、やっとのおもいで撮りあげる。
『恐怖(1961)』は、練り上げた脚本、素晴らしいどんでん返しがきいているという良質なサスペンス映画である。
怪奇モノだらけの『ハマー・プロ』では、いかに異質な作品なのか、お分かりになるはずだろう。
後年、ハマー・プロの専属俳優だったクリストファー・リー(ドラキュラ役で超有名)が、この『恐怖(1961)』について、「《ハマー・プロ》で唯一の傑作!」と誉め称えている。(クリストファー・リーも出演しております)
そんな《ハマー・プロ》の監督セス・ホルトと、化け物イメージのベティ・デイヴィスがタッグを組むとなると、どんな映画になるのか。
日本では、最初から《怪奇・化け物ホラー映画》と、勝手に決めつけてしまっていた!
そうして、原題の『THE NANNY(乳母、ばあや)』は、『妖婆の家』なんていう、ひどいタイトルに変えられたのだった。
当時の日本の宣伝マンが誰かは知らないが、
「《ベティ・デイヴィス》=《妖怪のようなお婆さん》なんだから、《妖婆》ならインパクトがあるだろう!」
なんていう、安直な邦題のつけ方だったんじゃないのかな?
お次は、ベティ・デイヴィスの顔を恐ろしく、どぎつく描いた映画ポスターや、他の《ハマー・プロ》作品とのコラボのチラシ作り。
こんな宣伝をされたんじゃ、観る前から、
「どんだけ不気味で恐ろしい映画なの?!」
って、誰でも思いこんでしまうはず。
だが、………この映画は、そんな宣伝とは全くと言っていいほど、違う種類の映画。
『ばあや』(ベティ・デイヴィス)の見た目の不気味さは多少はあれど、日常に起こった悲しい悲劇と、それぞれの人々の猜疑心などを描いたサスペンス・ドラマなのである。(もう、全然違うやんけー! (笑) )
外交官をしている『ビル・フェイン』は出張が多くて留守がち。
その妻である『ヴァージー』は、二人の幼い息子『ジョーイ』と小さな娘『スージー』がいるのに、まるで何も出来ないお嬢様育ちである。(すぐに泣き出すし)
そんな『ヴァージー』をサポートするように、子供の頃から面倒をみてくれてた『ばあや』(ベティ・デイヴィス)が、今も住み込みで、家事から子供たちの世話までを、一切合切引き受けてくれている。
そんな《家》で、ある日、事件は起きたのだ!
幼いスージーが、浴槽の中で溺れて死んだのである。
真相は分からずじまいだったが、ビルもヴァージーも、息子のジョーイに疑惑を向けた。
「ボクは知らない!」
と言うジョーイだったが、普段の素行が悪くて、毎度タチの悪いイタズラを繰り返していたジョーイは、両親にも信用ゼロ。
施設へと預けられて、一家は不幸な出来事を忘れよう、忘れよう……と努力してきたのだった。
そんなジョーイが、2年ぶりに10歳になって帰ってくるという。(施設でも、タチの悪いイタズラを繰り返して放校になった)
「私は迎えにいかないわ!」
泣きじゃくるヴァージーをなだめながら、夫のビルと『ばあや』は、二人でジョーイを迎えに行った。
そんな『ばあや』に、ジョーイは敵意をむき出しにして反抗するのだが……
こんなジョーイのあからさまな敵意で、
《『ばあや』が『スージー』を殺したのか?》
なんて、観ている人は、すぐに考えるはずだが、事はそう単純ではない。
『ばあや』の振る舞いも、異常なところは全くないし、完璧に家事をこなすし、ジョーイにも嫌な顔もせずに振る舞うのだ。
むしろ、ジョーイの方が帰って来てからも、やりたい放題。(本当にクソガキ)
『ばあや』の用意した部屋は気に入らず、勝手に部屋を移ったり、『ばあや』の用意した食べ物は一切口に入れない。(ここまでは、《『ばあや』が妹を殺して、自分も殺される!》と思いこんでいるジョーイの自然な行動だと思えるのだが)
それでも、それを差し引いても、牛乳配達人に家の真上から鉢を落として驚かせたりするのは悪質。
浴槽にお湯を張って、人形をうつ伏せに浮かべるのは、相当ひどい残酷なイタズラである。
「キャアアーー!!」
死んだスージーのトラウマが甦って、それを見た『ばあや』は卒倒する。(だんだん、ベティ・デイヴィスが気の毒に思えてくるわ)
そして、映画のラストも、真相が分かってしまうと、これまた一気に『ばあや』に同情してしまう。
不幸な偶然が重なった事故だったのだ……
誰が悪いわけでもなかったのである。(くわしく書きたいけど………………ん~ここは我慢して、こらえたい (-_-;) )
『ばあや』の涙、ジョーイの改心で映画は幕となる……
この映画を「つまらなかった!」って言う声もあるが、自分は良くできてると思った。
でも、「つまらなかった!」って言う人の気持ちも、よく分かる。
なんせ、邦題が『妖婆の家』で、怪奇ホラーのごとく、宣伝部が「怖いぞ~、怖いぞ~、恐ろしいぞ~」と、煽(あお)るだけ煽ったんですもの。
『何がジェーンに起こったか?』と同じくらいか、それ以上の《ドギツイ恐怖》を、いやがおうもなく期待するというものである。(中身は全然違うのにね)
《ベティ・デイヴィス=怖い》、のイメージを一旦忘れて、白紙の気持ちで観ることをオススメしておきます。
星☆☆☆。
※後、私が特に気になったのは、『ばあや』(ベティ・デイヴィス)の極太眉毛である。
まるで、太いマジックのようなモノで、大胆に描かれた極太眉毛は、どうしても目がそちらにいってしまう。(こんなに太く描く必要あったの?)
ジョーイのパパ『ビル』(ジェームズ・ビリアーズ)の眉毛も気になる、気になる。
「この眉毛つながってるのか? つながってない? やっぱり、つながってる?!」
とにかく、《眉毛》に目がいく映画である。
ある意味、こんなところが、ホラーって言われればホラーなのかもしれないけどもね (笑)。