2022年4月4日月曜日

よもやま話 「おばあさん女優」






最近の60代は、まぁ、元気だ。


いつまでも若い容姿にはビックリするし、還暦グラビアなんてのを平気でやってのけるんですもん。

60を越えた宮崎美子や藤あや子が、ビキニ姿でグラビアを飾るなんて、トンデモなく凄い時代が、やって来たもんである。



昭和なんて、60歳といえば立派な高齢者。

見た目的にも、《おじいさん》や《おばあさん》で充分に通ったのだから。



そんな昭和の60歳は、今のように

「テレビや映画に出たい!モデルになりたい!」なんて言うような輩なんてのは、一人もいない。


それどころか、それらは逆に、

「恥さらしな!」

なんて見方で、蔑(さげす)まされるモノだったのだ。(本当に人の意識も、今と真逆になったよ)


あくまでも道徳的。


だからテレビでも、映画でも、圧倒的に《年寄り》不足の状況なのである。


だから、特殊な演劇界では、こんな《異常なこと》が、悪気なく、平気な事として行われていく。



「お前は、あんまり美人じゃないなぁ~、よし! お前は、これから《老け役》で頑張るんだな!」


こんな無遠慮な言葉が、数十年前までは普通の状況として、まかり通っていたのだから …… 


美人には、《お嬢様役》や《ヒロイン役》。

容姿が劣る人間には、《イジメ役》や《老け役》が、ごく当たり前のように振り分けられてしまう。


それも、実年齢が60前後ならまだしも、30代や40代の女性に、平気で《老け役》を振るのだから始末に負えない。(コレ、今じゃ、間違いなくパワハラか差別要件に値するだろうよ)


嫌な顔や不満顔をすれば、簡単にその役さえも降ろされてしまう。

「あ〜、あんた、もう来なくていいから …… 」と。



かの森光子も、そんな不遇な扱いにずっと耐え忍んできた人。


『 あいつより 上手いはずだが なぜ売れぬ 』

森光子が不遇時代に《自虐句》として詠んだ、この句は有名だ。


菊田一夫に見出され、舞台『放浪記』に主役として選ばれたのが、森光子が40歳の時。


でも、森光子はまだ救われた方かも。


中には、一生を《脇役》、《老け役》で終わった人だっているのだから。



それで、すぐさま思い出すのが、初井言榮(はつい ことえ)さんである。



私が子供の頃から、《意地悪なお姑さん役》や《おばあさん役》のイメージしかない初井言榮さん。


初井言榮さんは、1929年生まれ。(1990年に わずか61歳でお亡くなりなった)


上記に挙げた画像は、山口百恵の主演映画『絶唱(1975)』の一場面。

まだ、この頃、 46歳 なのに、この老けっぷりときたら …… 超絶!(驚く (ꏿ﹏ꏿ;) )



初井言榮さんといえば、『ヤヌスの鏡(1985)』の意地悪な婆さま役が、パッ!と思い出されるだろうが、この時でも、まだまだ 56歳。

実年齢を知ると、とても「オバアちゃま」なんて言える《お歳》じゃないのだ。


同年、1985年公開の『寅さん』では、さらにモノ凄いお姿。


重ねて言うが、コレが 56歳 に見えますか?!


今考えると、恐ろしい覚悟と演技力である。



…… でも、苦しまなかっただろうか。


女性なら誰だって「若く見られたい!」、「綺麗に見られたい!」ってのが普通の感情のはず。


その感情を押し殺して、徹底的に『おばあさん女優』を演っていく事に、何のためらいも無かっただろうか。


…… 多分、相当苦しんだはずである。



テレビドラマ『肝っ玉母さん』で有名になった京塚昌子さんなんてのが、その代表例。

この時、まだ 38歳 だったのに、二人の子持ち役で、孫までいるような『おばあさん役』。


6歳下の山口崇(やまぐち たかし)からは、役柄とはいえ「母さん!」と呼ばれ、近所の院長先生である松村達雄からは「おい!バアさん!」と、無遠慮に呼ばれ続けるのだ。


ドラマは大ヒットしても、家に帰れば泣きながら、一晩で、いくつもの酒瓶を空けていったという。(こんなの「呑まなきゃ、やってられるかー!」が本音だったのだ)


芝居の世界では《おばあさん》でも、現実世界では、まだまだ若い自分。


その埋められないギャップに苦しみ、もがき、毎夜、のたうち回るのだ。

まさに血反吐(ちへど)を吐くようなおもいで芝居を続けたのだろう、と推察する。



そうして、こんなのは日本だけじゃない。


アメリカでも、昔は当たり前のように《おばあさん女優》が成り立っていた時代もあったのだ。


それがヒッチコックの『裏窓』などで有名なセルマ・リッター。

まわってくる役柄といえば、いつも老年の、女中か、女優の付き人、出張看護師などの端役ばかりである。


映画『裏窓』の中で、脚を骨折したジェームズ・スチュワートに、マッサージしながらお説教するセルマ・リッター。


「今すぐ結婚なさい!『リサ』(グレース・ケリー)は美人で、あんたは健全な若者なんだから。これ、ステラおばさんからの立派な忠告よ!」

というセリフがあるが、オイ!オイ!


セルマ・リッターは1902年生まれで、ジェームズ・スチュワートは1908年生まれだぞ。


たった6歳違いなのに、ジェームズ・スチュワートを《若者》呼ばわりで、自分自身は《オバサン》かよ!(今観ると、スゲ~!セリフだ)



こんな不条理な事が平然とまかり通っていた時代。

その不条理さに、女たちは耐えて、涙にくれながら、《演じる》事を全うした時代もあったのだ。


たとえ、《おばあさん女優》と呼ばれても ……



さすがに、この2020年代に、そんな扱いで涙にくれるような女優はいないだろうと思う。


それでも、これらの女優たちが決死の覚悟で演じきった役が、今の時代でも、妙に惹きつけられるのはどういう事だろうか?


それらの名演は、時代が過ぎても、いつまでも我々の心に深く残っておりまする。


もっと評価されてもいいのかも、《おばあさん女優》たち。


長々、お粗末さま。


※そうそう、なんの因果なのか、『裏窓』でのセルマ・リッターの日本語吹き替えは、初井言榮さんでございました。

2022年4月3日日曜日

映画 「不連続殺人事件」

 1977年  日本。




戦後、日本の推理小説の傑作として、よくよく引き合いに出されるのが、この坂口安吾によって書かれた『不連続殺人事件』だ。


ある日、本屋で手にとって、パラパラと見てみる。


ダメだ、こりゃ!(~_~;)

とってもついて行けそうにないわ。


古い言い回しと、ビッシリ書かれた文章。

それに加えて改行の少なさで、目がチカチカ(⊙_◎)してきて、とても読み進めていけそうにない。


無理もない、なんせ書かれたのが昭和22年〜23年ですもん。(《紙1枚》だって貴重な時代。改行を増やして余白部分を作ろうなど「勿体ない!」時代なのだ)


それに、この登場人物の多さは何だこりゃ!(総勢、大体29名)


いくら推理小説に慣れ親しんでいる者でも、コレに取り掛かるのは、けっこう至難の技かも。


そっと本棚に直すと、これまたスルーを決めこんでしまいました。(どうしようもない奴(笑))



でも、しばらくすると閃いた事があった。

「いや待てよ …… コレも、また、もしかしたら映像化されてるかも …… 」と。


そうしたら、案の定、映画化されてましたがな。

1977年に松竹映画として。


このポスターの右上にいるのは、田村高廣(たかひろ)さん。(田村兄弟の長男さん)

その左隣りは瑳川哲朗(さがわてつろう)さんである。(この方はショーン・コネリーなどの声優としても有名)


その下に鎮座するのが夏純子さん。

私、てっきり夏樹陽子さんだとばかり勝手に思ってました。(顔も似てるし、《夏》の漢字も入ってるし、お色気あるしで。いつも混同してしまう)


そうして、その左隣りにいるのは、誰でもご存知、内田裕也氏である。(痩せていて、ガリガリ君なのに映画では常に上半身裸)



このポスターだけを見れば、てっきり田村高廣さんが主役であり、謎を解き明かす名探偵かと思いきや、ただの事件に巻き込まれた作家役。(ワトソンみたいな感じね)


ポスターにはデカい顔写真すら無いけど、小坂一也さん演じる『巨勢(こせ)博士』が名探偵なのである。(名探偵役なのに映画のクレジットでは4番手か5番手。なんでやねん?あまりにも地味だから?(笑))



まぁ、とにかく映画を観てみると …… 

ゲゲッ!コレも、また難解な(*﹏*;)!(この登場人物の多さったら)


それでも辛抱、辛抱 ……


これから初めて観られる方には、多少の手助けになれば …… と、ココに要約だけを記しておく。



山奥にある財閥の名家『歌川多門(たもん)』(金田龍之介)が、そもそもの元凶。

根っからの絶倫じいさまなのだ。


正妻、後妻 …… 結婚を繰り返しながらも、あちこちの女中たちに子供を産ませたり、関係を持ってきたのだ。(よ~やるよ)

そんな多門のトンデモないDNAは、立派に?それぞれの子供たちにも受け継がれているようで ……


歌川家の長男である『歌川一馬』(瑳川哲朗)は、奥様と離婚までして、ヨーロッパ帰りでアバンギャルドな新進画家、『土居光一(アダ名:ピカイチ)』(内田裕也)の情婦である『あやか』(夏純子)と恋愛関係になってしまう。


ピカイチに大金を支払って、やっと別れてもらい『あやか』と結婚するのだが、現在は腹違いの妹の一人『加世子』に目移りしてしまい、悶々とする日々なのだ。(生真面目そうな顔でも、やってる事は父親と同じ)


こんな歌川家は、年老いた多門と女中たち、腹違いの妹たち、一馬・あやか夫婦で、微妙な関係に折り合いをつけながら、暮らしていたのだが ……


ある日、一馬は昔ながらの知り合いで、作家である『矢代寸兵』(田村高廣)と妻・『京子』の家を訪ねていく。


「お願いだ!お二人で我が家に来て頂けないか?!京子さんも是非!!」


妻・京子は昔、歌川家の女中をしていて、あまり気乗りしなさそう。


それでも熱心にお願いしてくる一馬の頼みに夫婦は折れて、N県の山奥にあるという歌川家を目指してやってきた。


途中、駅からバスに乗りかえようとするも、同じように歌川家に招待された客人たちに遭遇する。


その中には、あやか夫人の元情夫である、あの『ピカイチ』(内田裕也)の姿もあったのだ。


「このご時世、俺もタダ飯にありつこうと思ってね」


邸の前で客人たちを出迎えるあやか夫人は、ピカイチの姿を見つけて、いかにもイヤそうである。



オマケに、一馬の元妻や、他の作家連中、弁護士までもが、ゾロゾロと集まって来ている。


「おい!あんな連中やピカイチまで本当に呼んだのか?」

矢代が一馬に問いただすも、一馬からは意外な返事。


「誰かが私の筆跡を真似て、あちこちに手紙を出してるんだ!」


矢代本人に宛てた招待状の手紙さえ、書き加えられて、誰かの手で改ざんされていた。

「私は『《巨勢(こせ)博士》もご一緒にどうぞ』なんて、ひと言も書いてないぞ!」


誰が、何の為に、こんな手のこんだ小細工をしているのか。


そんな不穏な空気の中、ひと癖も二癖もある連中が集まって、今宵、気味の悪い宴が始まってゆく ……



こんな長〜い前振りの後は、一応『…… 殺人事件』のタイトルらしく、一人一人が殺されてゆく展開なんだけど ……


この手の《殺人事件モノ》としては、あまり上手くいってないかも、この映画。


《構想5年》、《制作期間1年》の大見出しの割りには、(ハッキリ言おう!)この映画の出来、ちょっと ヘタクソである。


この映画の撮影が、大広間にいる集団全てを収めようとする為、ほぼ遠目で撮っているので、個々にまでカメラが寄る事が、ほとんど無い。


その為、セリフは喋っていても、誰が誰なのやら …… (一度観ただけでは、とても判別が出来ないのだ)


ある朝、「●●が部屋で殺されているわ!」と、一人の女が大広間に駆け込んでくるのだけど、その女にしても、


「お前、いったい誰だったっけ?」ってな具合。(笑)


それに殺された●●にしても「どんな奴だっけ?●●って?!」って考え込む。(そのくらい登場人物たちの個性が薄〜いのだ)


オマケに、肝心の殺害シーンも無く、死体も顔出しさえ無いので、確認すらとれない。(本当に不親切な演出)


「誰が殺されたのやら?」

原作を知らずに初めて観ている者は、ポカ〜ン状態になってしまうのである。(完全に置いてけぼり)


こんな、殺人事件の連続で物語が進んでいくのだけど ………


なんとか上記に記載した面々だけが、かろうじて判別できているという、情けない有り様である。(今ならDVDを巻き戻して確認出来ても、当時、映画館で観た人には、サッパリ分からん映画だったろうよ)


無個性な連中の中で、内田裕也だけが、一人だけ場違いなほど目立ってる。(元情婦の『あやか』(夏純子)さんとの大喧嘩は、あまりにも壮絶過ぎる!)



それでも我慢、我慢で観続けていると、最後には我慢のかいあって、やっと霧が晴れるような驚くべき真相が ……



……… なるほどねぇ〜


結局こういう話だったのねぇ~(観てない人には何の事やらサッパリ分からんだろうが)



1:犯人は一人だけじゃない。


2:そして、人前では大袈裟過ぎるほどの過剰な《演技》をしている。


3:この連続殺人事件の動機は、全て《お金》目当てだった。



こんだけ大ヒントを書いておけば、多少、勘の良い人はお察しがつくかな?(笑)



この映画を観て、即座に思い出したのが、アガサ・クリスティーの『ナイル殺人事件』の犯人だった。


どっちの出来が良いかを比べてみれば、明らかにクリスティーの方に軍配は挙がる。


『不連続 …… 』の方は、登場人物たちの性格、背景、描写において、だいぶクリスティーに劣るのだ。(「さすがはクリスティー!」と再認識したところ)


この『不連続殺人事件』も昭和22年なら驚きでも、今の肥えたミステリー・マニアの目でみれば、だいぶ「若書き」に思えてしまうかも。


とにもかくにも、この原作を映画として、もう一度リメイクするなら、他の登場人物たちの描写を何とかせにゃ〜なるまい。(あまりにも記号的すぎる)


私には『不連続殺人事件』ならぬ、『不親切殺人事件』なのでございました。(今回、星での評価は無し。終わり方もこれじゃ〜あんまり酷すぎるわ(笑))



※あ、そうそう、この映画には、あの『ヤヌスの鏡』で有名な初井言榮さんが出てる。(ちょい役で)


やっぱり老けたお婆さん役だ。


「年寄りは昨日出来た事が、今日は出来なくなりますのでねぇ~」

こんなセリフをのたまう初井言榮さん。(まだ、この時40代ですぞ)


ほんの短いセリフに、後日、身震いした私なのでした。

2022年3月30日水曜日

映画 「時をかける少女」

 1983年  日本。




もはや説明も要らないくらい有名な『時をかける少女』である。



今回、久しぶりに観てみる。



数十年ぶりに観る『時をかける少女』は、主人公『芳山和子』(原田知世)のように、《タイム・ループ(時間跳躍)》でもしてるような不思議な気分。


長〜い40年近い年月を、一気に飛び越えて、遠い過去に戻るような奇妙な感覚である。 



変わらないのは映画の登場人物たちや原田知世の可愛らしさ。


変わったのはオッサンになった自分と、この映画に対する評価である。




なるほど〜 …… 


オッサンになってみて、やっと分かった気がする。



この映画は傑作だし、当時の原田知世に《演技力》なんてのは不要なのが、ようやく分かった。(少し下手だと思ってました)


16歳の原田知世は、ただ、可愛いい✨だけで、そこに存在していれば良いのである。


(↑それにしても本当に可愛らしいことよ)



当時の角川春樹が原田知世にベタ惚れだったらしく、この『時をかける少女』に関しては、全制作費の一億円以上を、ポ〜ン!と自身のポケットマネーで捻出したそうな。(よっ、太っ腹!)



「とにかく『原田知世』で主演映画を!!」(スゲ~、熱の入れようよ)



そして、ソレに白羽の矢が立ったのが大林宣彦監督なのだけど …… 大林宣彦も原田知世の魅力に一瞬で、ポワワワ~ン♥️🤩(もう虜状態である)



「映画がヒットしようがしまいが関係ない!今、この日、この時の16歳の『原田知世』を、記念としてスクリーンにおさめたい!」(これも、ややドン引きしてしまうほどの熱量である)




何が、こんなオッサンたち二人を夢中にさせたのか。



オッサンになった自分も、今なら、ようやっと分かる。



この時の原田知世が、まるで世のオッサンたちが思い描き、理想とするような《完璧な聖少女》なのだ。


まだ、化粧も慣れていないような、素のままでも充分に可愛らしい、汚れなき乙女。



こんな純粋無垢そうで可憐な乙女に、あんなドロドロした変な映画『伊賀忍法帖』なんて角川春樹もやらせるはずがないのだ(笑)。



大林宣彦と角川春樹は充分に話し合って、知世にピッタリの舞台、美しい風景画のような場所『尾道(おのみち)』を提案した。



古い家屋がひしめき合うように建っていて、いくつもの石階段で彩られた場所『尾道』。(実際、ココに住むとなれば大変だろうが、なんだか水彩画にしてもよいような風情のある場所である)



そんな場所では、そこに住む人間たちの精神状態も健全そのもの。


ギスギスした人間関係なんてのは、全くもって存在しないのだ。





醤油屋の跡取り息子『吾朗ちゃん』(尾美としのり)は、学校では「腹減った〜、腹減った〜」が口癖でも、家に帰ればちゃんと家業の手伝いをする立派な子。



しっかり者の委員長『神谷さん』(津田ゆかり)は、そんな吾朗ちゃんの事が気になる様子。(和子と吾朗ちゃんが一緒にいると)


でも妙な嫉妬心でメラメラ燃えたりは決してしないのだ。(この辺りのサラッとした描き方、大林宣彦監督は流石だなぁ~)




和子の担任の根岸季衣(ねぎしとしえ)や国語教師、岸部一徳も、ノホホ〜ンとしながらも生徒たちを信頼していて暖かく見守ってくれている。(多少の痴話喧嘩はあっても。でも二人とも、やっぱ若いわ)




そんな場所へ、未来人『深町一夫(仮名)』(高柳良一)が、未来では絶滅した植物を求めてやって来るのだけど ………



2660年の遠い未来から1983年に時間移動してくる『深町一夫』。




でも、なぜ?《1983年の尾道》だったのか?!




今、現在2020年を過ぎて、存在している自分には、分かりすぎるくらい理解できた。



インターネットが普及し、携帯電話が発達して、誰でもどこでも情報が得られるような便利な世の中になっても、皆が下を向きながら常に飢餓状態。

心は全く満たされない現代社会。


世界はコロナが蔓延していて、先行き不安な想いを常に抱えている。



こんな2020年代に《タイム・ループ》したいはずがない。



やっぱり《1983年》で大正解なのだ。



キラキラと輝いていた、あの時代 ……… 人も、町も、夢だっていくつも持てた時代 ……



そうして、なにより、この時代には16歳の完璧な乙女、原田知世が存在してるのだから …… (この映画のエンディングの可愛さったら異常。半端ない!こりゃ、人気がでるはずだわ!!)



星☆☆☆☆☆。(超オススメ)


※この映画を観て、

「あ〜、自分にも《タイム・ループ能力》があればなぁ~、あの日あの時に戻れればなぁ~」と、ついつい思ってしまう今日この頃。(オッサンの哀しき郷愁)

2022年3月21日月曜日

映画 「伊賀忍法帖」

 1982年  日本。




この映画に関しては、昔からあんまり良い評判を滅多に聞かない。


『伊賀忍法帖』のタイトルでも、原作があの『魔界転生』と同じ山田風太郎ですもん。


マトモなアクションを楽しむような忍者活劇じゃないのだ。(相当グロい内容に、現代においては、ちとドン引きする)


オマケに、当時の角川映画の悪趣味な部分が出過ぎている感じだ。(角川映画といえば、横溝正史の金田一シリーズのように、首が●●●。今では美保純と渡辺典子には、かなり汚点といえる作品かも)


私も最近の真田広之熱で、再度観直してみたが、評価は、やっぱり変わらず ……… あまり楽しめなかった。(『里見八犬伝』や『忍者武芸帖 百地三太夫』のように多少の《痛快さ》や《爽快さ》があればねぇ〜)


それでも、この映画に関しては別のエピソードがあるので、そこを書いておこうと思い、今回は取り上げた次第である。





で、この御方が出てくる。


皆さん、ご存知の有名な方、原田知世である。(まぁ、可愛らしいこと)


こんな可愛いい(≧∇≦)原田知世は、当時、熱烈な 真田広之の大フアン!♥ だったのだ。


「あ〜、憧れの真田広之様に会いたい〜!」


少女、原田知世が考えるのは寝ても覚めても、その事ばかり。(みんなフアンっておんなじ気持ちなのね)


とうとう中学3年生になった原田知世は、大胆にも行動にまで移してしまう。


なんと!自ら、《角川映画の新人募集》に応募してしまうのだ。


「グランプリが取れれば、憧れの真田広之と共演できる!毎日、真田広之の近くにいられる!」

ただ、それだけの理由で。(こんだけ愛される真田広之って、いったい …… 男冥利に尽きるだろうよ)



でも、ときに神様は残酷なモノである。



「今回のグランプリは渡辺典子さんに決定しました!!」


原田知世、大ショック!😭(ガビ〜ン!)


原田知世は結局、次点となり、審査員から特別賞が与えられたのだが、本人にしてみれば、

「んなこたぁ~、ハッキリ言ってど~でもいい」事なのだ。


かなり(ドヨヨ〜ン)落ち込んだはずの原田知世。


だが、それでも気持ちを切り替えて、立て直すことにする。


(この仕事を続けていれば、いつか真田広之様と共演できるかも …… )と。(今となっては、そんな日が来ないのを、我々は知ってるけどねぇ~(笑))


見事、グランプリに輝いた渡辺典子には、真田広之との共演、ヒロインの座が約束されていた。


それが、この映画『伊賀忍法帖』なのである。(これが渡辺典子のデビュー作なのだ)


とにかく、内容は冒頭に書いたように散々でも、ヒロイン役らしく渡辺典子は真田広之と終始イチャイチャしてる。(エンディングでは二人の長いキスシーンまである)



この映画を原田知世は、当時観ただろうか。


観ていたなら、きっとこんな気持ちだったのかも。


(あそこにいたのは、もしかしたら私だったのかもしれないのに ……… )



壁に爪をあてて、相当悔しがっていたのかも。(コレ、あくまでも私の勝手な想像ですので)



でもねぇ〜、新進女優のスタートとしては、この映画、渡辺典子にとってはラッキーだったのかしらん?(後年を知る自分としては、とても良いとは思えない)


最初からドギツイ映画に出てしまった渡辺典子の、次に与えられた役は、あの問題作の映画化『積み木くずし』である。(テレビ版の高部知子が例の事件で干されてしまった為、急遽、そのお鉢が渡辺典子にまわってきたのだ)


これまた、ドギツイ化粧に荒れた不良姿の渡辺典子に、アイドル的な人気が出るはずもない。



グランプリまでとった彼女に、角川側も「このままじゃ、いかんだろう …… 」と、やっと本腰を入れ始める。


等身大の役を与えようと、赤川次郎の原作映画をあてがって、主題歌を歌わせるシステムに切り替えるも、完全に出遅れた感じ。



その間、原田知世は『時をかける少女』のヒットで、薬師丸ひろ子の二番手になっていたのだから。


角川三人娘の序列は、薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子の順番で、世間的には認知されていたはずである。



それにしても、この後に真田広之は薬師丸ひろ子とも共演している。(『里見八犬伝』や『病院へ行こう』でも)


こうして渡辺典子とも共演していて、唯一、共演していないのは、角川三人娘の中では原田知世だけなのだ。



こんなに真田広之を慕っていた原田知世なのに ……(トホホ可哀想)


そう考えると、真田広之も罪作りな男よのぉ~。(もう、今じゃ、とっととハリウッドに行ってしまったし)



原田知世は、この後、『早春物語』でオッサン林隆三相手にキスシーンがまわってくるのだが、「とてもイヤでした」と、どっかでコメントしてるのを聞いた覚えがある。(けっこう、根はハッキリした性格なのかも、原田知世って人も)



(あ〜、これが憧れの真田広之ならなぁ~ …… )

なんていう、原田知世の心の声が聞こえてきそうだ。



この『伊賀忍法帖』は、そんな二人の女優、原田知世と渡辺典子の明暗を分けた映画として、記憶にとどめておくのもいいかもしれない。(映画は散々な出来でもね)


長々、お粗末さま。これにて。