1976年 アメリカ。
ある夜、霊媒師・『ブランチ』(バーバラ・ハリス)は、恋人でタクシー運転手・『ジョージ』(ブルース・ダーン)の情報を元に、孤独で金持ちなレインバート婦人相手にインチキな霊媒していた。
完全にブランチを信用した老婦人は、水を得た魚のように、今の悩みを打ち明けはじめる。
「実は《甥っ子》を探してほしいのよ! 死んだ妹が昔、私生児として産んだ子よ。」
大昔、名家レインバート家では私生児など《一族の恥》。
子供は早々に養子にだされ、生きていれば、もう中年男の姿なのだという。
老い先短い自分に残された身内といえば、考えても、もう、あの《甥っ子》しかいない。
その甥を見つけて自分の財産を相続してもらいたい!というのが、目下、婦人の願いなのだ。
「それに見つけてくれたら、お礼として報奨金 一万ドル を払うわ!」の話が飛び出すと、たちまちブランチの瞳が輝いた✨。
この話を家に持ち帰ると、恋人のジョージもウハウハ♥。
タクシーの仕事そっちのけで、【素人探偵ヨロシク!】、《甥っ子探し》に乗り出してゆく ……
でも、良い《甥っ子》なら、いいけど、世の中そんなに上手くいくのかな~?
↑コイツが二人が探すことになった肝心の《甥っ子》、エドワード・シューブリッジ=またの名を『アーサー・アダムソン』(ウイリアム・ディヴェイン)である。(思いっきり歯をむき出しにして、まぁ〜、ひと目見ても悪そうな顔)
自身が17歳の時に養父母は、とっくに火事🔥で亡くなっていた。(コイツが殺したんじゃないのか?)
そうして、しばらくすると、エドワードは『アーサー・アダムソン』を名乗りはじめ、宝石商を営みはじめる。(ご丁寧に養父母の墓の隣に、自分の嘘の墓まで建てる念の入れよう)
だが、元々が《悪党》のエドワードに真っ当な暮らしは無理!
情婦の『フラン』(カレン・ブラック)と組んで司祭を誘拐。
身代金代わりに高価な宝石を要求するという、トンデモない《裏稼業》を生業(なりわい)にしていたのだった。
そうとは知らないブランチとジョージは、
「《甥っ子》を見つけ出せば本人も得するし、自分たちだって報奨金の一万ドルが手に入る!」と、完全に一挙両得、親切家気取りの気持ちである。
そうして、とうとうジョージは『エドワード・シューブリッジ』の名前と墓地を探し出した。
(亡くなっていたのか …… これで一万ドルも水の泡。パァーか …… )と落胆しかけたジョージだが、ある異変に気付く。
(いや!待てよ!この墓はシューブリッジ夫妻の墓に比べて …… )
同じ1950年に建てられたにしては、エドワードの方の墓は、やけに 新しい のだ!
疑念を抱いたジョージは、エドワードの死亡保証人が、雑貨屋を営んでいる『マロニー』(エド・ローター)という男になっていることを突き止めると、即座に訪ねていくのだが ………
アルフレッド・ヒッチコック監督、最後の映画。(後、1980年没になる)
そうしてヒッチコック映画には珍しく美男美女は全く登場しない!(特にカレン・ブラックの起用には「???」)
だが、この映画の構成は中々良い。
2組のカップルの思惑や行動を交互に描きながらも、それが交差する時、どんな反応を引き起こすのか?
一種の《科学的反応》な面白さがあるのだ。
その間にはさまれて、『マロニー』(エド・ローター)の姿がチラホラ。
右往左往している。(私がこれまで取り上げてきた映画に、(なぜか?)不定期に登場する、謎の【禿げたオッサン】(笑))
「アイツらをぶっ殺してやる!」
いちいちアダムソンの前で、ナイフを取り出しては凄んでみせるマロニー。
実は、このマロニーもアダムソンと一緒に、養父母を火事🔥に見せかけて殺した共犯者なのでした。(やっぱり!保険金目当てか?)
叩けば、いくらでも埃が出てくる悪党たちには、もはや、人の善意なんてのは全て真逆の悪意に見えてしまうのだ。
突然現れた、ジョージとブランチに、危機感さえ覚える悪党たち。
「エドワードの情報を教えてやる!」
わざわざ山奥の喫茶店にブランチとジョージを誘い出したマロニー。
二人が喫茶店で待ってる間に、チョイチョイと車に小細工する。(全く、あの飛び出しナイフは何だったのか?妙に小者感丸出しのマロニーさん)
そうして、待てど暮らせどやって来ないマロニーにシビレをきらせて、二人が車に乗り込むと ……
ゲゲッ!この車、ブレーキが効かないぞ!(お決まりといえば、お決まりの展開が待っていたのだった)
ここで、ヒッチ先生のいつもの悪い癖が出て ……
このシーンは《大失敗》する。
全くハラハラしないのだ。
なぜなら、このジョージが運転するシーンが素人から見ても、【ヘタクソな《合成》ってのが、丸わかり過ぎるから!】 なのである。
ヒッチコック映画は、今まで、いつもスタジオ内に豪華なセットを組んで撮影してきた。
ヒッチコックが《アウトドア嫌い》の《インドア派》なのは有名な話である。
そんな《インドア派》のヒッチコックが撮る《車で走っているシーン》は、昔ながらの古いやり方である。
スタジオ内、停めた車に男女を乗せて、撮影カメラは常に男女の様子が分かるよう、真正面に固定。
車の後部座席に映り込む背景には、大きなスクリーンに別撮りしていた景色を映写してみせる。
これならスタジオ内でも車を走らせてるようなシーンが撮影できるし、これはサイレント時代から続いている古い手法の一つなのである。
モノクロ映画やテクニカラーの時代は、その手法でも良かったかもしれない。(他の監督たちだって、皆んなこぞってやっていたし)
だが、70年代にもなれば、撮影方法も変わり、初めからカラー・フィルムで撮影出来るようになってくる。
迫力あるカー・チェイスなんてのは、1968年に公開されたスティーブ・マックイーンの『ブリット』を観客たちは、既に観てしまっているのだ。
『007シリーズ』でも、ショーン・コネリー時代は、その手法を取り入れていても、ロジャー・ムーア時代には、たとえ《合成》でも走らせる車のアングルを変えてみたり、色合いや照明で、なるべく違和感がないような工夫がほどこされている。
だが、この【フィルム撮影】では、もうダメなのだ。
完全に《粗(あら)》が見えすぎてしまっている。(車の中で必死に運転する『ジョージ』(ブルース・ダーン)のネクタイを引っ張りながら、叫んだり暴れたりする『ブランチ』(バーバラ・ハリス)が、まるっきりの馬鹿女に見えた)
だって観客には1976年時点でも、「コレ合成でしょ!」ってなのが、バレバレなんですもん。
この後、なんとか無事に脱出したジョージとブランチを、今度は轢き殺そうとやってくるマロニーの車は、自損事故で谷底へ真っ逆さま。
大炎上してアホな最期をとげる。(やっぱり死んでしまうエド・ローター(笑))
それにしても、何でこんなシーンを、わざわざ取り入れたのだろう、ヒッチコックは?!
「俺は昔からこんなシーンが得意なんだぞ!」と思ってたのなら、もはや勘違い。
時代の流れに取り残されてしまっている。
70年代は、《生のアクション》こそ、重宝された時代だったのだ。(コンピューターやCGなんてのは、これより、まだまだ、ずっと先の話である)
このシーンが映し出された時、(まだ、こんな古いやり方をやってるのか …… ヒッチコックも …… )と、ガッカリした思い出がある。
ヒッチコックも柄じゃないカー・アクションなんてのに、この時、手を出すべきじゃなかったのだ。
つくづく残念なシーンである。
……… と、ここまで思うのも、この映画『ファミリー・プロット』はクライマックスに向けて、ここから俄然良くなっていくからなのだ。
ジョージの留守中、ブランチは、あの悪党アダムソンとフランの家に、単身乗り込んでいく!
ハラハラ、ドキドキの対決。
そうしてギリギリのところでの勝利。
最後には今までの伏線がキチンと回収されてゆく。
《なぜ?ブランチが霊媒師だったのか?》や《盗んだ宝石をどこに隠しているのか?》が長々とした説明ではなく、ちゃんと絵面だけで納得させてくれるのだから、この点は流石の一言である。
(あのカーチェイスでの馬鹿女っぷりは何だったの?)と思うくらい、ブランチの株は、ここで一気に上昇して終わるのだ。
当時の批評家たちも自分と同じ考えだったと思う。
一口に《駄作》とも切り捨てられないし《傑作》とも言えない。
皆が平均点を与えている。
私の評価も星☆☆☆。
オバチャン顔のバーバラ・ハリスのウインク😉に根負けして、70点くらいで終わりにしたいと思う。
※それにしても、この映画で初めて知ったエド・ローターを、その後、何度も他の映画で見かけることになろうとは ……
この【禿げたオッサン】には、何やら因縁めいたものを感じる今日この頃なのである(笑)。