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2023年12月9日土曜日

映画 「ファミリー・プロット」

 1976年  アメリカ。





ある夜、霊媒師・『ブランチ』(バーバラ・ハリス)は、恋人でタクシー運転手・『ジョージ』(ブルース・ダーン)の情報を元に、孤独で金持ちなレインバート婦人相手にインチキな霊媒していた。


完全にブランチを信用した老婦人は、水を得た魚のように、今の悩みを打ち明けはじめる。


「実は《甥っ子》を探してほしいのよ! 死んだ妹が昔、私生児として産んだ子よ。」


大昔、名家レインバート家では私生児など《一族の恥》。

子供は早々に養子にだされ、生きていれば、もう中年男の姿なのだという。


老い先短い自分に残された身内といえば、考えても、もう、あの《甥っ子》しかいない。

その甥を見つけて自分の財産を相続してもらいたい!というのが、目下、婦人の願いなのだ。


「それに見つけてくれたら、お礼として報奨金 一万ドル を払うわ!」の話が飛び出すと、たちまちブランチの瞳が輝いた✨。



この話を家に持ち帰ると、恋人のジョージもウハウハ♥。

タクシーの仕事そっちのけで、【素人探偵ヨロシク!】、《甥っ子探し》に乗り出してゆく ……



でも、良い《甥っ子》なら、いいけど、世の中そんなに上手くいくのかな~?



コイツが二人が探すことになった肝心の《甥っ子》、エドワード・シューブリッジ=またの名を『アーサー・アダムソン』(ウイリアム・ディヴェイン)である。(思いっきり歯をむき出しにして、まぁ〜、ひと目見ても悪そうな顔)


自身が17歳の時に養父母は、とっくに火事🔥で亡くなっていた。(コイツが殺したんじゃないのか?)


そうして、しばらくすると、エドワードは『アーサー・アダムソン』を名乗りはじめ、宝石商を営みはじめる。(ご丁寧に養父母の墓の隣に、自分の嘘の墓まで建てる念の入れよう)


だが、元々が悪党のエドワードに真っ当な暮らしは無理!


情婦の『フラン』(カレン・ブラック)と組んで司祭を誘拐。

身代金代わりに高価な宝石を要求するという、トンデモない《裏稼業》を生業(なりわい)にしていたのだった。




そうとは知らないブランチとジョージは、

「《甥っ子》を見つけ出せば本人も得するし、自分たちだって報奨金の一万ドルが手に入る!」と、完全に一挙両得、親切家気取りの気持ちである。


そうして、とうとうジョージは『エドワード・シューブリッジ』の名前と墓地を探し出した。



(亡くなっていたのか …… これで一万ドルも水の泡。パァーか …… )と落胆しかけたジョージだが、ある異変に気付く。


(いや!待てよ!この墓はシューブリッジ夫妻の墓に比べて …… )


同じ1950年に建てられたにしては、エドワードの方の墓は、やけに 新しい のだ!


疑念を抱いたジョージは、エドワードの死亡保証人が、雑貨屋を営んでいる『マロニー』(エド・ローター)という男になっていることを突き止めると、即座に訪ねていくのだが ………





アルフレッド・ヒッチコック監督、最後の映画。(後、1980年没になる)

そうしてヒッチコック映画には珍しく美男美女は全く登場しない!(特にカレン・ブラックの起用には「???」)



だが、この映画の構成は中々良い。


2組のカップルの思惑や行動を交互に描きながらも、それが交差する時、どんな反応を引き起こすのか?


一種の《科学的反応》な面白さがあるのだ。



その間にはさまれて、『マロニー』(エド・ローター)の姿がチラホラ。

右往左往している。(私がこれまで取り上げてきた映画に、(なぜか?)不定期に登場する、謎の【禿げたオッサン】(笑))


「アイツらをぶっ殺してやる!」


いちいちアダムソンの前で、ナイフを取り出しては凄んでみせるマロニー。

実は、このマロニーもアダムソンと一緒に、養父母を火事🔥に見せかけて殺した共犯者なのでした。(やっぱり!保険金目当てか?)


叩けば、いくらでも埃が出てくる悪党たちには、もはや、人の善意なんてのは全て真逆の悪意に見えてしまうのだ。

突然現れた、ジョージとブランチに、危機感さえ覚える悪党たち。


「エドワードの情報を教えてやる!」

わざわざ山奥の喫茶店にブランチとジョージを誘い出したマロニー。


二人が喫茶店で待ってる間に、チョイチョイと車に小細工する。(全く、あの飛び出しナイフは何だったのか?妙に小者感丸出しのマロニーさん)


そうして、待てど暮らせどやって来ないマロニーにシビレをきらせて、二人が車に乗り込むと ……


ゲゲッ!この車、ブレーキが効かないぞ!(お決まりといえば、お決まりの展開が待っていたのだった)




ここで、ヒッチ先生のいつもの悪い癖が出て ……


このシーンは《大失敗》する。


全くハラハラしないのだ。


なぜなら、このジョージが運転するシーンが素人から見ても、ヘタクソな合成ってのが、丸わかり過ぎるから!】 なのである。


ヒッチコック映画は、今まで、いつもスタジオ内に豪華なセットを組んで撮影してきた。

ヒッチコックが《アウトドア嫌い》の《インドア派》なのは有名な話である。


そんな《インドア派》のヒッチコックが撮る《車で走っているシーン》は、昔ながらの古いやり方である。


スタジオ内、停めた車に男女を乗せて、撮影カメラは常に男女の様子が分かるよう、真正面に固定。

車の後部座席に映り込む背景には、大きなスクリーンに別撮りしていた景色を映写してみせる。


これならスタジオ内でも車を走らせてるようなシーンが撮影できるし、これはサイレント時代から続いている古い手法の一つなのである。



モノクロ映画やテクニカラーの時代は、その手法でも良かったかもしれない。(他の監督たちだって、皆んなこぞってやっていたし)


だが、70年代にもなれば、撮影方法も変わり、初めからカラー・フィルムで撮影出来るようになってくる。


迫力あるカー・チェイスなんてのは、1968年に公開されたスティーブ・マックイーンの『ブリット』を観客たちは、既に観てしまっているのだ。


『007シリーズ』でも、ショーン・コネリー時代は、その手法を取り入れていても、ロジャー・ムーア時代には、たとえ《合成》でも走らせる車のアングルを変えてみたり、色合いや照明で、なるべく違和感がないような工夫がほどこされている。


だが、この【フィルム撮影】では、もうダメなのだ。


完全に(あら)》が見えすぎてしまっている。(車の中で必死に運転する『ジョージ』(ブルース・ダーン)のネクタイを引っ張りながら、叫んだり暴れたりする『ブランチ』(バーバラ・ハリス)が、まるっきりの馬鹿女に見えた)


だって観客には1976年時点でも、「コレ合成でしょ!」ってなのが、バレバレなんですもん。


(↑これはさすがに野外撮影である)



この後、なんとか無事に脱出したジョージとブランチを、今度は轢き殺そうとやってくるマロニーの車は、自損事故で谷底へ真っ逆さま。


大炎上してアホな最期をとげる。(やっぱり死んでしまうエド・ローター(笑))



それにしても、何でこんなシーンを、わざわざ取り入れたのだろう、ヒッチコックは?!


「俺は昔からこんなシーンが得意なんだぞ!」と思ってたのなら、もはや勘違い。

時代の流れに取り残されてしまっている。


70年代は、《生のアクション》こそ、重宝された時代だったのだ。(コンピューターやCGなんてのは、これより、まだまだ、ずっと先の話である)


このシーンが映し出された時、(まだ、こんな古いやり方をやってるのか …… ヒッチコックも …… )と、ガッカリした思い出がある。


ヒッチコックも柄じゃないカー・アクションなんてのに、この時、手を出すべきじゃなかったのだ。


つくづく残念なシーンである。



……… と、ここまで思うのも、この映画『ファミリー・プロット』はクライマックスに向けて、ここから俄然良くなっていくからなのだ。


ジョージの留守中、ブランチは、あの悪党アダムソンとフランの家に、単身乗り込んでいく!


ハラハラ、ドキドキの対決。

そうしてギリギリのところでの勝利。


最後には今までの伏線がキチンと回収されてゆく。


《なぜ?ブランチが霊媒師だったのか?》《盗んだ宝石をどこに隠しているのか?》が長々とした説明ではなく、ちゃんと絵面だけで納得させてくれるのだから、この点は流石の一言である。


(あのカーチェイスでの馬鹿女っぷりは何だったの?)と思うくらい、ブランチの株は、ここで一気に上昇して終わるのだ。


当時の批評家たちも自分と同じ考えだったと思う。


一口に《駄作》とも切り捨てられないし《傑作》とも言えない。

皆が平均点を与えている。


私の評価も星☆☆☆。

オバチャン顔のバーバラ・ハリスのウインク😉に根負けして、70点くらいで終わりにしたいと思う。


※それにしても、この映画で初めて知ったエド・ローターを、その後、何度も他の映画で見かけることになろうとは ……


この【禿げたオッサン】には、何やら因縁めいたものを感じる今日この頃なのである(笑)。