1967年 イギリス。
作家H・P・ラグクラフト(1890~1937年)。
両親が早くに亡くなったり、自身も神経症に悩まされたり、学校も退学になったりして、人生は、まさに不幸の連続。
やっと結婚できても、妻には、その陰気な性格ゆえに、ずっと疎んじられておりました。(とても根明なアメリカ人とは思えない)
そんなラグクラフトさん、46歳の若さで自身も、あっさりと亡くなってしまう。
死ぬまで暗~い境遇。(ここまで書てみて、自分も陰鬱になりそうだ)
こんなラグクラフトさんが、たった1つ夢中になった事が、エドガー・アラン・ポーの怪奇小説を読み漁ることで、自身もホラー小説を書くことなのでした。
ただし、暗い境遇ゆえに、不気味な仕上がり具合のゴシック・ホラー小説。
簡単に書いてみたラグクラフトさんの略歴だが、この映画は、そんなラグクラフトが書いた『閉ざされた部屋』が原作になっている。
古い荒れ果てた屋敷に何年も監禁されて、生き続けた魔物。
小動物(多分、ネズミか何かだろう)を食いながら、ずっと生きていた怪物。(ゲゲー)
そんな屋敷にやって来た主人公(男)は、恐怖に怯えながら、異形の魔物の姿を目撃するのである。
まぁ、恐ろしそうな物語だことよ。
でも…………
この映画は、全くと言っていいほど、怖くないので、どうぞ御安心を。( 笑 )
主人公は『男』から『女性』に変えられている。
その主人公『スザンナ』役が、『ポセイドン・アドベンチャー』や『バニー・レイクは行方不明』で有名なキャロル・リンレイ嬢。(キャロル・リンレイの映画が観たくて、この映画を探してみたのだ)
でも、もちろん改変はあっても、ゴシック・ホラーらしく怖がらせようする材料は充分に揃っている。
『スザンナ』(キャロル・リンレイ)には、幼少期のトラウマが少しあった。
4歳のスザンナが《何か》に襲われかけて、それを両親が追っ払っている光景が、ボンヤリと記憶にあるのだ。
やがて、スザンナは一人、ニューヨークに追いやられて、そこで育てられる。
そして、21歳になったスザンナは、そんな幼少に育った孤島にある、製粉工場の屋敷を相続するために、島を目指すことになったのだった。(両親はとっくに他界)
最近、結婚した夫の『マイク』(ギグ・ヤング)は、そんなスザンナに付き添いとして同行してくれた。(時折、蘇るトラウマに挫けるスザンナを、気遣いながら励ましたりもしてくれる優しい夫である)
そうして、二人が島にたどり着くと、村人たちは、不気味な雰囲気がムンムンと漂っている。
島中を勝手気ままに、車で暴走する青年集団たち。(なんにも娯楽が無いので、しょうがないんだろうけど)
その青年たちの中の一人、『イーサン』(オリヴァー・リード)は、突然現れた美人のスザンナに欲情丸出しの目付きを向けてくる。(オイ!コラ!人妻だぞ!!)
そんな輩を無視して、島にある製鉄工場で道を訊ねると、無愛想な工場長が出てきて、一人の工員を紹介した。
右目が潰れている、その工員は話し出す。
「俺が、あの製粉工場に行ったら、突然、《何か》が襲って来やがったんだ! あそこには、きっと《魔物》がいるんだ!!」
その姿に、一瞬ゾッとするスザンナとマイクだったが、そんなのは一時。(オイ!オイ!)
二人は製粉工場への道を聞くと、さっさと行ってしまった。(コラー!)
先程のイーサンは、一目散で、先回りして、製粉工場の近くに建っている石造りの塔へやって来る。
壁沿いにある螺旋階段を昇っていくと、頂上には、スザンナの叔母でもある『アガサ』(フローラ・ロブソン)がデッキチェアに腰かけていた。(このイーサン、アガサの遠縁の息子で、スザンナとは遠い親戚なのである)
「スザンナが帰ってきたぞ!! なぁ、あの製粉工場は俺にくれるんだろうな? 約束だろう!?」
「スザンナ……あの子が……」
イーサンの言葉に、蒼白になるアガサ。
そんな時、スザンナとマイクは、製粉工場のあった家屋敷の前に、既にいた。
荒れ果てた屋敷は、中も蜘蛛の巣だらけ。
ウンザリする二人を、どこからなのか、異様な目が覗いている。
そう、《魔物》は見知らぬ訪問客に気づいてしまったのだった…………
こんなのが、『閉ざされた部屋』を改変して、映画にした『太陽の爪あと』である。
この改変でも、充分に怖そうな材料が揃っていると思う。
金髪美人のキャロル・リンレイは、幸薄そうなヒロインにうってつけだと思うし、
アガサ叔母さん役のフローラ・ロブソンは、独特な長い顔で、1度見たら忘れられないくらいのインパクトと、不気味な雰囲気を漂わせている。
製粉工場の屋敷や、アガサの住んでいる塔も、ゴシック・ホラーとしては、満点をあげてもいいくらい、舞台としては最適な場所なのだ。
他の演者たちも、どうして、中々頑張っている。
でも…………
全く怖くないのだ!この映画は!!
この映画の失敗は、監督や脚本、音楽もあるだろうが、一番の大失敗は《撮影監督》にあると、観て、すぐに思ってしまった。
それなりに、何本かのゴシック・ホラーやミステリーを観てきた自分である。
古くは『ジェーン・エア』から、最近のモノでは『アウェイクニング』なんてのもある。(これらは傑作である)
ゴシック・ホラーのジャンルには、それなりの映像の《色合い》が必須条件なのだ。
こんなジャンルの映画を、どーして? なぜ?
《西部劇》みたいな乾いた明るい色合い で撮ってしまったのか?!
こんなに陽が燦々と降り注いで、しかも明るい色合いの映画にしてしまって………これの、どこに怖がれというのか?!
屋敷も暗く陰鬱でもなければ、なんなら隅々まで分かるくらい、明るく見渡せている。
屋敷の中も、まるで怖くない。(だってチョー明るく撮っているんですもん)
それで、『太陽の爪あと』ですか?(アホじゃないのか?この監督も撮影監督も)
出演者たちや舞台となる現場……材料は良くても、それを料理する料理人(監督や撮影監督)がヘタクソだと、まずい料理に仕上がってしまう。
そんなお手本のような映画、それが『太陽の爪あと』である。
これを『バニー・レイクは行方不明』のオットー・プレミンジャーあたりが監督していたなら……そう思わずにはいられない。
キャロル・リンレイにとって、もう1本くらいの傑作になり得たはずなのに。(ブツブツ言いたくもなるよ、キャロル・リンレイ好きなんだからさ)
よもや、原作者のラグクラフトも、自分の小説が、こんなに燦々と明るい映画として作られるとは思わなかったはずだ。(しかもゴシック・ホラーの本場である、イギリスで)
あの世で怒っているかもよ。(怨み~ます~( 笑 ) )
こんな映画ほど、リメイクやリブートを希望する。(今回、評価はなし)
久しぶりに書いてみた、長い愚痴でございました。