2016年 アメリカ。
《スイス・アーミー・マン》と呼ばれる、この死体『マニー』(ダニエル・ラドクリフ)は、本当に人間が亡くなった後の《死体》なんだろうか?
この映画を観終わった後、こんな疑問符??が真っ先に出てきたのだった。
これを、どう説明したり、解釈すればよいのか……
死体なのに、《オナラ・ジェット》で荒海を勢いよく進む。(プッ・プクプー😁💨💨)
死体なのに、首を前に倒せば、飲み水が際限なくジャー、ジャーと滝のように出てくる。(見た目は、まるで吐いてるようにしか見えないんだけど)
口に石を詰め込むだけ詰め込んで、頭をポンポンと叩けば、まるでマシンガンのように石弾を連続発射する。(死体にこんな事をするのも、どうよ? )
股間の●●●●は、エロ本を見せれば即座に反応して、グルングルン🌀と回り続けて、方位磁石の役割までしちゃう。
ナニこれ……?
「お下品」、「お下劣」、「悪趣味」、「冒涜」……こんなワードがいくらでも出てきそう。
公開当時、映画祭では、これらが映し出されると、即座に席を立つ者たちが続出したそうな。(だろうな)
でも、その気持ちも分かる気がする。
まるで、大昔の、ふざけた小学生が作ったんじゃないか?と思われるような発想なのである。
こんなの70年代に流行っていた永井豪の漫画の世界と、まるで一緒じゃないか!
●●●●が回転するなんて、永井豪の漫画『へんちん!ポコイダー』を、私なんか咄嗟に思い出してしまった。(これも相当、変な漫画である)
モラルや常識に背を向けて、世間を敵にまわしながら、当時の永井豪は、こんな漫画ばかりを、連発しながら、せっせと描いていた。(今なら発禁だろう)
そんなのを数十年経った、しかも、アメリカの映画で、今さら観る事になろうとは。
この死体『マニー』(ダニエル・ラドクリフ)と無人島から脱出して、サバイバルを続ける『ハンク』(ポール・ダノ)は、マニーの特殊な能力に頼りながら、いつしかマニーに愛着をよせていく。
マトモな人間の感性なら、そんなハンクの異常な行動や感情に、眉をひそめて、一瞬で嫌悪するはずである。
これらは席を立つ人たちの、当然の反応なのだ。
でも、こんなモラルや常識を、ひとまず切り離して考えてみると、ハンクとマニーの関係は、どことなく、のび太とドラえもんのようにも、自分なんかには見えてしまう。
ダメ男ハンクと、万能能力を備えた死体マニーのヘンテコリンな友情。(なんか、良い部分を探そうとして、無理にそう思いこもうとしてるのだけど (笑) )
最初、この映画を観始めた時、てっきり、この主人公『ハンク』(ポール・ダノ)は、正気じゃなくて、こんなマニーの姿は、ハンクにだけ見えたり、聴こえたりする幻覚なんだと、思いこもうとしていたのだが、映画のラストを観ると、どうやらそうでもないのだ。
こんなマニーは、警官にも、レポーターにも、ハンクの父親にも、ハンクの初恋の女性サラにも、ハッキリと見えているのだ。
マニーの姿は、ちゃんと実在していて、全員がそれを確認して、驚嘆する。
故郷に帰り着いたハンクを残して、またもやオナラ・ジェット😁💨💨で海に帰っていくマニー。
その姿を見送りながら、サラが呟く言葉。
「ちょっと、何なの?アレ?!……」
本当に何なんだろう?……ただの死体じゃない事だけは確かだ。
ゾンビ?
異星人?
それとも天使なのか?(こんな天使がおるんか?(笑) )
考えると頭の中がクラクラ。
これをオススメしてよいのやら……。
とにかく、今、言える事は『ハリー・ポッター』に人一倍想い入れがあって、ダニエル・ラドクリフを好きな方は、観ないほうがいいかも。
ガラガラと音をたてて、一瞬で崩れさっていく、ラドクリフのイメージ。
それくらいの異様な問題作なのですから。
取り合えず、ここに記す事で、この映画の事は自分自身も、一旦忘れようと努力するつもりである。(忘れられたら良いのだけどね。まぁ無理か (笑) )