2021年6月13日日曜日

映画 「スイス・アーミー・マン」

2016年 アメリカ。





《スイス・アーミー・ナイフ》には、多機能万能ナイフの意味合いがある。

そこから借りてきて、映画のタイトルは、《スイス・アーミー・マン》と名付けられているのです。


で、…………



《スイス・アーミー・マン》と呼ばれる、この死体『マニー』(ダニエル・ラドクリフ)は、本当に人間が亡くなった後の《死体》なんだろうか?



この映画を観終わった後、こんな疑問符??が真っ先に出てきたのだった。



これを、どう説明したり、解釈すればよいのか……



死体なのに、《オナラ・ジェット》で荒海を勢いよく進む。(プッ・プクプー😁💨💨)


死体なのに、首を前に倒せば、飲み水が際限なくジャー、ジャーと滝のように出てくる。(見た目は、まるで吐いてるようにしか見えないんだけど)


口に石を詰め込むだけ詰め込んで、頭をポンポンと叩けば、まるでマシンガンのように石弾を連続発射する。(死体にこんな事をするのも、どうよ? )


股間の●●●●は、エロ本を見せれば即座に反応して、グルングルン🌀と回り続けて、方位磁石の役割までしちゃう。



ナニこれ……?



「お下品」、「お下劣」、「悪趣味」、「冒涜」……こんなワードがいくらでも出てきそう。



公開当時、映画祭では、これらが映し出されると、即座に席を立つ者たちが続出したそうな。(だろうな)



でも、その気持ちも分かる気がする。



まるで、大昔の、ふざけた小学生が作ったんじゃないか?と思われるような発想なのである。


こんなの70年代に流行っていた永井豪の漫画の世界と、まるで一緒じゃないか!


●●●●が回転するなんて、永井豪の漫画『へんちん!ポコイダー』を、私なんか咄嗟に思い出してしまった。(これも相当、変な漫画である)


モラルや常識に背を向けて、世間を敵にまわしながら、当時の永井豪は、こんな漫画ばかりを、連発しながら、せっせと描いていた。(今なら発禁だろう)



そんなのを数十年経った、しかも、アメリカの映画で、今さら観る事になろうとは。



この死体『マニー』(ダニエル・ラドクリフ)と無人島から脱出して、サバイバルを続ける『ハンク』(ポール・ダノ)は、マニーの特殊な能力に頼りながら、いつしかマニーに愛着をよせていく。



マトモな人間の感性なら、そんなハンクの異常な行動や感情に、眉をひそめて、一瞬で嫌悪するはずである。



これらは席を立つ人たちの、当然の反応なのだ。



でも、こんなモラルや常識を、ひとまず切り離して考えてみると、ハンクとマニーの関係は、どことなく、のび太とドラえもんのようにも、自分なんかには見えてしまう。


ダメ男ハンクと、万能能力を備えた死体マニーのヘンテコリンな友情。(なんか、良い部分を探そうとして、無理にそう思いこもうとしてるのだけど (笑) )




最初、この映画を観始めた時、てっきり、この主人公『ハンク』(ポール・ダノ)は、正気じゃなくて、こんなマニーの姿は、ハンクにだけ見えたり、聴こえたりする幻覚なんだと、思いこもうとしていたのだが、映画のラストを観ると、どうやらそうでもないのだ。



こんなマニーは、警官にも、レポーターにも、ハンクの父親にも、ハンクの初恋の女性サラにも、ハッキリと見えているのだ。



マニーの姿は、ちゃんと実在していて、全員がそれを確認して、驚嘆する。


故郷に帰り着いたハンクを残して、またもやオナラ・ジェット😁💨💨で海に帰っていくマニー。


その姿を見送りながら、サラが呟く言葉。



「ちょっと、何なの?アレ?!……」



本当に何なんだろう?……ただの死体じゃない事だけは確かだ。



ゾンビ?

異星人? 


それとも天使なのか?(こんな天使がおるんか?(笑) )



考えると頭の中がクラクラ。


これをオススメしてよいのやら……。



とにかく、今、言える事は『ハリー・ポッター』に人一倍想い入れがあって、ダニエル・ラドクリフを好きな方は、観ないほうがいいかも。


ガラガラと音をたてて、一瞬で崩れさっていく、ラドクリフのイメージ。


それくらいの異様な問題作なのですから。



取り合えず、ここに記す事で、この映画の事は自分自身も、一旦忘れようと努力するつもりである。(忘れられたら良いのだけどね。まぁ無理か (笑) )