2021年11月28日日曜日

映画 「里見八犬伝」

 1983年  日本。





私は昔から薬師丸ひろ子が好きである♥️



ハッキリ言って美人でもない丸顔や低い鼻を持つ彼女。

背も低いし、見た目は平均のアイドルよりも、だいぶ下回る。



つまり、どこにでもいるような女の子なのだ。



だが、ひとたび声を発せれば、独特なクリスタル・ヴォイスが超音波☄️となって、たちまち大勢を虜にする。


だから、薬師丸ひろ子の歌う曲は、どれもコレも名曲ばかりのラインナップがズラ〜リと並ぶ。(ひろ子の声質が、名作詞家や作曲家を引き寄せる効果もあるのだ)



こんな薬師丸ひろ子の歌は、好きな自分なのだけど……こと、芝居の方になると好き嫌いは両極端、真っ二つに分かれてしまう。


これは自分の趣向の問題が大きいのだけど、監督や共演者によっては敬遠するモノも、かなり多いのだ。



あの、「快感!」のフレーズでお馴染みの『セーラー服と機関銃』だって、そう。




歌の方、『セーラー服と機関銃』もヒットしていたし、「1度くらい本編の方も観ておこうか……」くらいの軽い気持ちで観始めたのだけど………


コレが、おっそろしく、つまらなかった。(自分には)


原作はユーモア・ミステリーの巨匠、赤川次郎なのに、「どこに赤川次郎のテンポの良い《ユーモア》があるの?」と言いたくなるほどだった。


監督が相米慎二。(この人の監督作で斉藤由貴の『雪の断章』も観たのだけど、これまた同じように駄作。つまんなかった)


とにかく、エンディングテーマが流れるまでは苦痛以外の何モノでもない。


女優の演技開眼に定評のある相米慎二監督で、薬師丸ひろ子も、斉藤由貴も、

「あの時、監督にしごかれた時間があったからこそ、こうして女優を続けてこられた」

なんて回顧するインタビューを見るけど、それとコレとは話は別。


観る側にとっては、無関係。


要は「面白いか!、面白くないか!」だけなのだ。(私はつまらなかった。ゆえに相米慎二の映画は、それ以後パスしている)




お次は、同じ赤川次郎原作の『探偵物語』。


コレを私、観ていないのだが面白いんだろうか?


共演者が、私の苦手な松田優作というだけで、今日に至るまで完全スルーしてきたのだ。(歌は勿論知ってるけどね。これまた名曲)



松田優作の何が苦手って、あの独特な《セリフまわし》。

ぶっきら棒に早口で「さっさとセリフを言い終わってしまおう!」っていう、あの喋り方。


ゆえに、いつもふてくされているようにとれて、昔から、この人のドラマや映画は苦手なのだ。(コレが「カッコいい!」って人もいるけど……今だに良さが分からん)


透明感あるクリスタル・ヴォイスの薬師丸ひろ子と、いつもの様にぶっきら棒な芝居をするだろう松田優作……想像しても不釣り合いな気がして、これまた当時観る気がしなかった。



そうして、この後に、この『里見八犬伝』がやってくる。


巨額の制作費を投じて、SF超大作時代劇を1983年の暮れにぶつけてきたのだった。


お話は簡単。


100年前、妖怪『玉梓(たまづさ)』の呪いや恨みで滅ぼされ続けてきた里見家。

その最後の生き残りである静姫は、因縁を断ち切るため、伝説である8人の《犬士》を集めて「打倒!妖怪たち!」を誓うのである。



もちろん、ヒロインの静姫役には薬師丸ひろ子


そして相手役には、当時、そのハンサム具合とキレのあるアクションで、世の女性たちを「キャアーー!キャアーー!」言わせていた真田広之




何気に芝居が上手い真田広之の登板に、(オオッ!この映画は面白くなりそうかも……)と期待を膨らましていたら、他の脇をかためる俳優たちも、これまた凄い面子が、ジャンジャン並びはじめてくる。


同じジャパン・アクション・クラブの志穂美悦子大葉健二(宇宙刑事ギャバン)。


そうして御大、千葉真一。(これだけ揃えれば、アクションに関しては「大丈夫!」だと、ほぼ太鼓判を押されたようなモノだ)




重鎮、寺田農や『必殺仕事人』でブレイクする前の京本政樹もいたりする。


オマケに、妖怪で悪の本元『玉梓(たまづさ)』には夏木マリが扮しているのだ。(若さを保つため血の池に浸かる玉梓にゾゾッ〜!)




原作と脚本は『男女七人夏物語』の鎌田敏夫さんで、監督は『仁義なき戦い』や時代劇アクションを知り抜いた深作欣二



これで面白くならないはずがないじゃないですか!


映画は当然、大、大、大ヒット!した!!(メガ・ヒット)


オマケに当時発売した高価なビデオさえも何万本も売れたという。(ビデオなんて当時は1万円以上の値段。それがバカ売れなんて角川事務所は、もうウハウハ状態。笑いが止まらなかったろう)



かくいう自分も、ここへきてやっと、薬師丸ひろ子の映画で「チョー面白かった!」と素直に思えたほどだった。(とにかく次から次への妖怪たちとの死闘は大迫力。魅せる!魅せる!)


『静姫』(薬師丸ひろ子)が、

星よ、導きたまえ!って矢を射るポーズ、流行ったなぁ~。



ただ…………


この映画に一つだけ難癖をつけるなら、薬師丸ひろ子に、着物が似合わないことに気づいてしまった。


もう、可哀想なくらいにチンチクリンなのである (笑)。


冒頭の弓を構えるひろ子を見ても分かるように、背の低さ、首や手の短さは、着物を着れば一目瞭然。


本当に酷な言い方をするなら、

ちょっと可愛らしい《バカボン》って感じなのだ(笑)。(着物って、誰でも着て似合うもんじゃないのだ、と知る)


それでも、このblogを書きながら、懐かしさゆえ、こっそり『里見八犬伝』を借りてきた私は、今から記憶保管に観賞する予定。


皆さまも、どうぞ、楽しんでご覧あそばせあれ。

星☆☆☆☆☆。


※《後記》やっぱり数十年ぶりに観ても面白さは変わらなかった! 


この映画は「傑作!」だと、改めて思った次第である。(薬師丸ひろ子の着物姿も、「コレはコレで良いのかも……」なんて寛大に思うようになったのも、自分が歳をとって充分にオッサンになった?からなのかな?(笑) )



2021年11月26日金曜日

映画 「白い肌の異常な夜」

 1971年  アメリカ。




この映画を観れば、ドン・シーゲル監督や、クリント・イーストウッドの見方は180度変わるかも。(『ダーティハリー』しか観てない方は特に)


かくいう自分も、その昔、何の予備知識も無しに観て、かなりの衝撃をうけた。


ガビーーーン!何じゃ、こりゃ?!


この映画を観た後なんて、しばらくの間は、この二人に関しては変な色眼鏡が抜けきれずに、「映画は映画として……」なんて割り切れなかったほどだ。


そのくらい、この映画は、エロティックであり、残酷なモノに満ちあふれている。


ドン・シーゲル、イーストウッドの師弟コンビが、若い時のノリで、思いっきり《変態性》を突き詰めた異色作。


それが、『白い肌の異常な夜』なのであ〜る。




時は、南北戦争終わりの頃、森の中でキノコ採りをしていた12歳の少女『エミー』は、瀕死で倒れている北軍の伍長『ジョン・マクバニー』(クリント・イーストウッド)を発見した。


(死んでるのかしら?……いや、生きてるわ!それに脚を怪我してる、この人!)


幼いエミーにそれ以上の事が出来るはずもなく………エミーは森を抜けた自分が住んでいるファーンズワース女学院へと助けを求めて走った。


しばらくして、気を失っているジョンが、ふと目を覚ますと、自分は担架の上に載せられていて、それを左右から見知らぬ女たちが大勢で取り囲みながら運ばれている。


(誰なんだ?この女たちは……俺をどこへ連れて行くつもりなんだ?!)


《ファーンズワース女学院》……そこは『マーサ・ファーンズワース』を校長として、森の中で自給自足をして女たちだけが住む女学校なのだ。


教師も女なら、エミーのような小さな生徒から思春期の生徒たちまで、全てが女性。

黒人奴隷で学院につかえているのも、これまた女性なのである。



こんな女だらけの巣の中に、突然、男が一人やって来た。


怪我をしていて動けないとはいえ、《男》は《男》なのだ。



案の定、その日から、女たちは始終ソワソワしはじめる。


気にならないはずがないのだ。(しかも若くてハンサムな男ときてるんだから)



ある日、17歳の女生徒『キャロル』は、授業を抜け出して、こっそりジョンが寝ている部屋へ忍び込むと、自ら大胆にキスしてくる始末。(ワァオー!)


清楚な女教師『エドウィーナ』もジョンの魅力に抗えずメロメロになっていく。




やがて介抱のかいあって、ジョンが松葉杖で歩けるようになると、南軍に引き渡そうと考えていたマーサもすっかりジョンの虜になって、

「どうかしら?ここに住んで畑仕事を手伝ってみては?」なんて提案をしてくる。



そんなマーサに「しめた!」と思ったジョンは、「この期を!」とばかりに、年増のマーサにまで手を出してしまう。



こうして色々な女たちと愛欲の日々を過ごすジョン。


まさに、ジョンにとっては、ここは《ハーレム》か《天国》。


あっちの女、こっちの女と行き来して、女たちの欲求に応えていく。



だが…………世の中、そう簡単に上手くいくのか?


やがて、女たちの間では、不穏な空気が流れはじめ、最悪の事態がジョンを襲うのだった………(アララ……やっぱりね)




こんなモテ男を演じたクリント・イーストウッドと、それを監督したドン・シーゲル


この『白い肌の異常な夜』は、あの『ダーティハリー』と同年、1971年の作品なのだ。


で、結果は『ダーティハリー』の方が世間的に大ヒットしたのは、皆の知るところなのだが、ドン・シーゲルにしてもイーストウッドにしても、この『白い肌の異常な夜』の方にこそ、思い入れが、かなりあるらしい。


なんせ、後年になっても、

「自分が監督した作品で何が好きか?」

と聞かれると、ドン・シーゲルなんて真っ先に「『白い肌の異常な夜』!」と答えているのだから。(まぁ、『ダーティハリー』は、皆が嫌がって無理矢理押し付けられたモノだしね)


イーストウッドにしても、この映画の撮影では「こんなカメラアングルで撮った方が効果的なんじゃないか?」なんて、どんどん自分の意見を発信していたらしい。


シーゲルも、それを「うん!うん!」と受け入れてくれたのだから、この映画は二人にとってはエポック的な作品なんだろうと思う。



たとえ、映画が、《残酷》で《変態》みたいな内容でも……(笑)




この後は、案の定、ジョンが若いキャロルと情事にいそしんでいるのを、女教師エドウィーナが目撃して修羅場。


エドウィーナは松葉杖のジョンを階段から突き落としてしまう。(ヒェ~!)


治りかけていたジョンの脚は、複雑骨折で、もうメチャクチャだ。


そんな光景を見ながら、マーサが冷淡に告げる。


「この脚はもうダメね……切るしかないわ」


イヤだぁぁぁーーー!

ジョンの叫びも虚しく、ギーコギコ(ギャアーー!(鳥肌モノ) )




脚を失ったジョンを今後どうするのか……


憎さはあれど、ジョンの肉体に完全に溺れていた女たちは集まって話し合う。


その結果、「皆でジョンを《共有する》」事になる。(いわばタネ馬みたいなもんである)



だが、こんなのに当のジョンが堪えられるはずもなく、すきをついたジョンはマーサの銃を盗んで、逆に脅してきたのだ。


(この男はやっぱり危ない……学園の平和の為にも、ここは決心しなければ……)


その夜、ジョンには、美味しい《毒キノコ》の料理がふるまわれたのでした。


メデタシ、メデタシ……。(メデタシなのか?)



ドギツくて、変態的で、なんとも言えないような内容の映画でしょ?


冒頭、少女がキノコ採りに行って、見つけたのは、食べられないけど立派な《キノコ》を持った男なのでした。


キノコではじまり、皆が《キノコ》を求めて、毒キノコで終わる。


なんだかキノコ尽くしの映画。


この映画は、こんな解釈でいいのかな?(失礼!(~_~;) だいぶ口が滑りました (笑) )


長々、お粗末さま!


2021年11月16日火曜日

人物 「アラン・スミシー」

 活動期間1968年〜2000年。





《活動期間》なんて、こんな書き方をするのも変な話かも。



だってアラン・スミシー』なんてのは、元々《この世には存在しない人物》なのだから。



それでも、長い映画の歴史の中で『アラン・スミシー』の名前はちゃんと残っている。


何本か、映画を監督した名前として。


『アラン・スミシー』は、その昔、映画界が勝手に創り上げた架空の監督名なのである。


こんなアラン・スミシーの名前を私が知ったのは、デニス・ホッパージョディ・フォスターが共演した映画『ハートに火をつけて(1991年)』を観た時だった。




偶然、殺しの現場を見てしまったジョディ・フォスターに殺し屋が差し向けられるのだが、その殺し屋デニス・ホッバーが彼女に一目惚れしてしまう、ちょっと変態チックなお話。


私、当時、コレを観たんだけど、まぁまぁ面白かった気がする。


でも、「誰だ?この『アラン・スミシー』って?」と聞いたこともない監督に「無名の監督か?」と思ったくらいだった。



結局、後年、この映画は、主演兼監督もしたデニス・ホッパーが、勝手に編集した映画制作会社に激怒してしまって、


「監督のクレジットから外してくれ!」


と、猛烈に激怒した為、架空の監督である『アラン・スミシー』をたてた経緯を知る事になるのだけど……




でも、時はビデオからDVDに移行する時代……


あらたにデニス・ホッパーが再編集して完成させた『バック・トラック(改名)』が世に出ると、瞬く間に、この『アラン・スミシー』の事も世間にバレバレになってしまう。



そうして驚くなかれ!

この映画、その後に更に《完全版》が出来ていたらしい。


『ハートに火をつけて(99分)』

『バック・トラック(108分)』

『バック・トラック』完全版(180分)』(ゲゲッ!3時間も!)。


こんな長〜い、変態殺し屋の恋愛サスペンスを、誰が観るねん!(笑) 



でも、映画界にしてみれば、『アラン・スミシー』は、昔から一部の映画関係者だけが知る、それこそ、タブー化されていた秘密。


こんなのを誰も彼もが知って、監督スミシーの名を見れば、

「あっ、この映画はなんかトラブルがあったんだな!」なんてのが容易に分かってしまう。


すると、この『アラン・スミシー』の偽名も段々と使い辛くなってくるのだ。



その後は、ご多分に漏れず、『アラン・スミシー』を茶化す輩(やから)まで現れはじめた。


とうとう、アラン・スミシーを題材にした『アラン・スミシー・フィルム』なんてタイトルで映画が作られてしまうのだ。(こういう馬鹿なウケ狙い。どこにでもいるよねぇ~)



そうして2000年。全米監督協会は『アラン・スミシー』使用を、完全に取りやめる事となったのでありました。




こんな色々な因縁のある『アラン・スミシー』映画は以下の通り。


★『夏の日にさよなら(1968)』主演、バート・レイノルズ。


★『ガンファイターの最後(1969)』主演、リチャード・ウィドマーク。


★『学生の死体(1981)』


★『ハリー奪還(1986)』


★『クライシス2050(1990)』(日本出資の駄作として悪評判)


★『ハートに火をつけて(1991)』


★『ヘルレイザー4(1996)』


★『アラン・スミシー・フィルム(1998)』


★『美しき家政婦  ウーマン・ウォンテッド(2000)』出演兼、実際の監督、キーファー・サザーランド。



まぁ、いろんなジャンルがあることよ。



その中で、私が、今、観てみたいのが『ガンファイターの最後』。


主演のリチャード・ウィドマークと監督のロバート・トッテンが対立して、結局監督が降板。


その後、あの有名なドン・シーゲル監督(ダーティハリーなど)が請け負うも、トッテンもシーゲルも、

「監督で名前が載るのは、絶対ヤダヤダ〜!」

とゴネて、アラン・スミシー名義になった、これまた、いわく付きの作品。



でも、何気にこの映画、評判が良いのだ。(ドン・シーゲルの力?)



愚作もあれば、良作もあるアラン・スミシー映画の数々。


ネタに、1度はご覧になってみるのもいいかもしれない。


※ところで、映画会社も、今はどんな架空の監督名を使っているんだろう?(まぁ、それがバレちゃしょうがないんだけどね (笑) )

2021年11月11日木曜日

映画 「マスク・オブ・ゾロ」

 1995年  アメリカ。




『ディエゴ・デ・ラ・ベガ』(アンソニー・ホプキンス)は、美しい妻『エスペランサ』と産まれたばかりの娘『エレナ』の3人で幸せな暮らしを営んでいたが、彼にはもう一つの顔があった。


スペインによる植民地支配で苦しむメキシコの市民たち。


それを陰ながら救いたい!


黒いマスクとマントに身を包んで悪漢たちを成敗する。そう!彼こそは正義の味方ゾロなのである。



「おのれぇ~!ゾロめ〜!!」

そんなゾロの活躍に苦虫を噛み潰しているのが、カリフォルニア総督で、悪の大ボス『ドン・ラファエル・モンテロ』(スチュアート・ウィルソン)。


農民を囮にしてゾロにひと泡吹かせよう策を練るも、ゾロを助けた幼いホアキン&アレハンドロ兄弟の邪魔だてで、今回も大失敗する。(「チクショー!」by ラファエル)



「ありがとう…」

ゾロはそんな兄弟に感謝の気持ちをこめて、自身のメダルを贈った。



そうして、その夜、ゾロのマスクをとって愛しい妻子の元へ帰ったディエゴ。



だが、なんと!ラファエルとその部下たちが、その後をつけていたのだ。


「お前がゾロだったのかぁ~!」

憎きゾロの正体がディエゴだったのもショックだったが、ひそかに横恋慕していたエスペランサを妻にしているのにも、Wショックのラファエル。


もう、腸が煮えくり返るようで、憎さは数千倍である。


ラファエルの部下が、ディエゴに銃口を向けた。


それを咄嗟に庇って、身代わりに撃たれた妻エスペランサ。


「エスペランサァァーーーーッ!」


エスペランサは亡くなり、ディエゴは呆然。

敵であるラファエルも(ガ~ン!)大ショックである。


だが、ラファエルはすぐに気持ちを立て直すと、「エスペランサの残した娘だけでも……」と幼いエレナを奪い去った。(人さらい)


「その男は牢獄にぶちこんでおけ!」

部下に命じてディエゴを投獄させると、自身は、エレナを連れてカリフォルニアへと引き揚げていくラファエル。



こうして正義の味方《ゾロ》は町から消え去り、暗い牢獄生活。


愛しい妻は殺されて、娘までもさらわれてしまったディエゴの心は空っぽ。


長い20年の年月が過ぎてゆく………………




だが、ある日、牢獄で過ごすディエゴの耳にとんでもない噂が入ってきた。


「カリフォルニア総督ラファエル様がお帰りになるらしいぞ!」


それまで空っぽだったディエゴの心に、メラメラと灯りはじめる復讐の炎🔥。


「奴と刺し違えてもいい……」


ディエゴは脱獄し、帰還したラファエルの姿をとらえる……だが、その隣には若くて美しい娘の姿が。


「エレナ?……あれは私の娘エレナなのか?」



美しく成長した『エレナ』(キャサリン・セタ・ジョーンズ)は、何も知らされず育てられて、完全にラファエルを父親だと思いこんでいたのだった。


エレナの出現に、すっかり出鼻をくじかれたディエゴは、すんでのところで復讐を思いとどまった。



一方、その昔、ゾロからメダルを貰ったホアキン&アレハンドロ兄弟も成人へと成長していた。


軍の圧政に苦しむ時代ゆえ、兄弟は盗賊稼業に勤しむ毎日だったが。


だが、金品強奪に成功したのも束の間、冷徹な軍隊長『ラブ大尉』に、兄ホアキンの方は殺されてしまう。


「チクショー!」

ホアキンがゾロから貰ったメダルを自分の首にかけて、弟『アレハンドロ』(アントニオ・バンデラス)は復讐を誓う。



そんなアレハンドロに、ディエゴは町の酒場で偶然出会ってしまう。


「その首のメダル……もしかして、昔、私を助けた兄弟の片割れか?」


「あんたが《ゾロ》?!」

兄を殺されて、やけ酒をあおりながら復讐話をするアレハンドロに、ディエゴは同情しながらも、(まぁ、今のコイツが乗り込んでいっても返り討ち合うのが、せいぜいだろう……)と思うのだが、ディエゴにはもう一つの考えが浮かんできた。


(だが、私がこの青年を鍛え上げれば、もしかして……)


「ついて来い!」


ディエゴはアレハンドロを伴うと、ある秘密の隠れ家へとやってきた。


「何なんだ?ここは?!もしかしてゾロの隠れ家なのか?!」


キョロキョロするアレハンドロに、剣をさし向けるディエゴ。


「今から、私がお前を鍛え上げてやる!!」



そう、剣術も武術も、私の全てを叩き込んでやる!


それにしても、この身なりも相当にヒドイ……紳士としてのマナーも1から教えてやらねば……トホホ……


こうして《初代ゾロ》ディエゴが、《2代目ゾロ》アレハンドロを特訓する日々が始まるのだった………。




またもや、長々と書いてみた『マスク・オブ・ゾロ』の序章。(読んでくれる人いるのか?)


でも、ここまでは、どうしても丁寧に書きたかったので、どうかご容赦を。



この『マスク・オブ・ゾロ』、当時『デスペラード』で勢いづいていたアントニオ・バンデラスや、『羊たちの沈黙』で賞を総なめしたアンソニー・ホプキンスなどの出演で、観る前から期待値はおおいに上昇していた。(ヒロインのキャサリン・セタ・ジョーンズも綺麗だし)



オマケに監督は『007 ゴールデンアイ』を撮ったマーティン・キャンベルですもん。


アクション部分も「大丈夫だろう!」と期待は膨らむばかり。



で、当時、観た感想だけど……やっぱり面白かった。


「良く出来てるなぁ~」と、期待を裏切らない仕上がり具合に感心した記憶がある。



もちろん、出演者や監督も良いんだけど、この『マスク・オブ・ゾロ』、脚本がとにかく素晴らしいのだ。(脚本には3人の人物が関わっているらしいが)


冒頭に書いたモノを読んでみても分かるように、それぞれの登場人物たちの過去や背景、行動の動機なんてのが、「これでもか!」ってくらい、初めて観る人にも親切丁寧で分かりやすく描かれている。


敵役のラファエルにしても、その複雑な心情などが観ていて分かるのだから、相当に練りに練られた脚本だったんだろう。



だから、こういう映画は、何度でも繰り返し観るごとに発見があるし、長い年月にも耐えられるのだ。



初見では主役である『アレハンドロ』(アントニオ・バンデラス)の気持ちで観るのもいいだろうし、次に観る時は『ディエゴ』(アンソニー・ホプキンス)の想いに寄り添って観るのも良し。


女性なら、数奇な運命に振り回される『エレナ』(キャサリン・セタ・ジョーンズ)に感情移入だってできる。


悪党『ラファエル』(スチュアート・ウィルソン)の気持ちで観るなら、その叶わぬ恋に同情したり、本当の父親でもないのに、エレナを育てながら芽生えてくる父性に、複雑な気持ちを垣間見ることもできるだろう。



《ゾロ》の闘いをはさみながらも、これは良質な《人間ドラマ》なのである。



そんな中でも、面白いと思う部分は、やっぱり『アレハンドロ』が徐々に成長して、変わっていくところ。


粗野で汚い身なりをして、マナーも剣術も何も知らない無作法な男が、ディエゴを指南役にして、変わっていく様(さま)は痛快である。



そうして、エレナの前に現れたアレハンドロは、もう立派な紳士のイケメンさん。




《ゾロ》の強さを手に入れて、ついでに恋人もゲットしてしまうアレハンドロの姿に、男ならきっと憧れてしまうはずである。(この頃のバンデラス、カッコ良かったなぁ~)



続編の『レジェンド・オブ・ゾロ』も面白かったし、これ以降《ゾロ映画》が作られなくなったのも、やっぱりコレが最高峰の《ゾロ映画》だと、誰もが認めているからなのかもしれない。



星は、もちろん☆☆☆☆☆。


やっぱり男でも《変身》するのって楽しいよね。