2024年6月2日日曜日

よもやま話 「君は《龍宮伝説》を知っているか?②」



《↑豊玉姫》



《①の続き》


とうとう豊玉姫のお産の日が間近に迫ってきた。


豊玉姫は考えた。


(産まれてくる子は地上界の人との子供、ならば絶対に地上で産まなければ!)


こんな決意の元、砂浜近くの産屋(うぶや)にやって来た豊玉姫。

尚、一緒についてきた山幸彦には、こんな事を言い含めて約束させてある。


「お願い!私がお産をしている間、絶対に中を覗かないでちょうだいね」と。


こうして一人、産屋に入っていった豊玉姫。



だが!こんなのを大人しく、この山幸彦が聞いてくれるはずもなく ……

(見るな!見るな!と言われれば、人は必ず見てみたいものよ …… )と、こっそり覗き見する。



その瞬間、山幸彦の目は凍りついた。



目の前には、巨大なワニがいて、たった今、産まれたばかり赤ん坊が、側にいたのだ!!(ゲゲッ!)




そんな気配を察知してか、恐ろしげなワニの目は山幸彦を凝視しながら、こう言う。

み〜た〜な〜 …



顔面蒼白になった山幸彦は、全力で逃げ出した。




もう、逃げながら死にものぐるいな様子だ。


走りながらも、今まで豊玉姫と過ごした日々が走馬灯のように頭の中をグルグルと駆け巡りはじめる。



俺はあんな化物と暮らして、何度も、何度もエッチな事をしていたのかぁぁぁーーー!(たぶん、男なら絶対こう思うだろうよ(笑))



走りながら何度か吐いたかも(オェーッ!)。

もしくは、あまりの恐怖で《白髪》になったかも …… (なんか、こんなところから【玉手箱】=【お爺さん】みたいな寓話に発展していったんじゃないのかな~)



一方、豊玉姫様はワニ(本来の姿)のまま、海中へ消え去り、『綿津見神の宮』(龍宮城)へと帰っていった。


山幸彦のことは生涯怨んだという …… (確かに《ワニ》の姿は《》にも似てる。《龍宮城》なんて名称も、やや納得かも)



こうして産まれてきた子どもが、相関図でいうところの、鵜茅葺不合命(うがや ふきあえず の みこと)である。(これも舌を噛みそうな名前。この人も、他にもいくつかの別名があったりする)




ただ、産まれたばっかりの頃はこんなオッサンじゃなく、まだ可愛い赤ん坊なので、豊玉姫は、地上に置いてきた我が子の事を考えては、気をもむばかり。



「ああ、残してきた、あの子のことが心配だわ …… 」

そんな言葉は自然に漏れてしまい、妹の玉依姫(たまよりひめ)の耳にまで届いてしまう。


「お姉様、よかったらワタクシに、その子供の世話をさせてもらえませんか?」


「まぁ、そうしてくれると助かるわ、玉依姫


 《↑(左)妹の玉依姫と(右)姉の豊玉姫》




きらびやかな姉の隣りで、いつも地味目な印象しかない玉依姫。


だが、こういう女こそ、実は底知れぬ 恐ろしさを秘めているものなのだ。



産まれたばかりの『鵜茅葺不合命』(うがやふきあえずのみこと)を育てながら、しばらくして立派な成人に達すると、玉依姫は(チャンスとばかりに)自分の息子を誘惑する。(ゾッとするような近親相姦)


オマケに結婚までして、なんと!子どもまでを、ボコボコこしらえちゃうのだ!!(これは《養育》というよりも《洗脳教育》。オマケに4人も子供を作っちゃうなんて …… まさに《鬼畜》の所業じゃないのか?!)



そうして、その二人の間に出来た子の一人が、日本では一番最初の天皇(紀元前663年統治)、神武天皇(じんむてんのう)になるのだという …………






こんな話が、日本書紀の《龍宮伝説》である。


自分なりの解釈で、現代でも分かりやすく要約して書いてみたが、内容は大体あっていると思う。



そんな話によって建造されたのが《龍宮神社》だったり、全国に散らばっている数々の神社なのである。



確かに面白いよ。

面白いけど、これを、まるまる史実として受け取るのは、かなり無理がある話だ。



大体、ワニと契ってみたり、自分の姉が産んだ子供と結婚して、さらに子供をもうけてみたり ……… こんな奴らが、今に続く由緒正しい天皇の祖先であるはずないじゃないですか。(※尚、豊玉姫に関しては、本当の姿は《》という説もあり)



これも完全なるフィクションだと、私なんかは認識しております。




こんな話をあちこちにバラ撒かれて、本来なら皇室は、全国の神社という神社を相手どって《侮辱罪》や《名誉毀損》で訴える事もできるはずですよ。(絶対に勝訴するはず)


でも、それをしないのは、全国の至る所に神社があることで、日本の自然が守られている事を皇室側が充分に理解しているからである。




海や川、山、田畑などの側に神社があるだけで、その場所は汚されない。

ゴミまみれにならない。



日本は自然に感謝して、そこに神が宿ることを信じてきたからこそ、こうして、ある一定の《清潔さ》を保ってきたのだ。



その為には、祖先が面白可笑しく創作されたり伝えられたりしても、いっこうに構わない!というのが、皇室側の寛大なお考え。


これが、代々続いてきた天皇たちの御心の広さじゃないのかな。



私なんかは、そんな風に解釈している。(オォ!珍しく良いことを書いたぞ)




だからこそ、我々日本人は、大量の風船にゴミや汚物をくくり付けて、隣国に飛ばしたりするような愚かな行為をしなくてすむのである。(最近ニュースでやっていたけど最低最悪の行為だ。いかに信仰心が大事なのかを思わせてくれる)



どんな小さな神社でも、日々感謝して、平身低頭、御参りすれば、そこに《神》は宿るのだ。


そうして願いを叶えてくれるやもしれぬ。




あっ!そうそう、北海道の小樽市にも《龍宮神社》があって、あの麻生太郎氏が参拝した後に内閣総理大臣になったのは有名な話だ。


…… ただ、1年も持たないほど短命な内閣総理大臣ではあったけど ………(「後は本人の問題でしょ!」ってことで、神様も時々、容赦ない)




たまたま今回行った《龍宮神社》で、私も御参りしてきた。



この願いは叶うのか、

叶っても1年くらいはもってくれる … のかな? (未来永劫なんてのは、はなから期待してないけど)



もしも願いが叶えば、その神社の方角に向けて、手を合わせるのもよいかもね。




長々書いてみた《龍宮伝説》の巻でございました。