なんだか出だしから、小難しそうなタイトルになってしまった。
それでも辛抱強い方は、ワタクシめの『ひとりごと』に、しばしお付き合い下さいませ。
『演じる』と書けば、誰でも真っ先に浮かぶのは、俳優、女優のお仕事。
でも、その昔は《歌》の世界でも『演じる』という事は当たり前のように行われていたのである。
専門の作詞家が詞を書いて、短い詞の中に織り込まれた登場人物の気持ちになって、それを歌い手は「どう演じるか?」考える。
舞台で歌う事は、短いメロディーに合わせて、寸劇を演じるようなモノ。
歌い手が、演者としての力量を試される場でもあったのである。
だからこそ、昔の歌手と呼ばれる方々は、芝居をさせても演技的な勘が優れた人たちばかりで、特別に上手かった。
そんな代表格が日本人なら誰でも知っている『美空ひばり』だろう。
子供の時から、映画や舞台に引っ張りだこ。
男役もすれば、剣劇も出来て、オマケに町娘まで演じてしまう。(なんでもござれだ)
こんな美空ひばりゆえ、歌の方でも、一曲一曲が違う。
顔つきも変われば、歌い方も変わるのだ。
「《歌う》事は、お芝居を《演じる》事と、同じこと」
こんなのが、美空ひばり独自の解釈だったと思うのである。
だからこそ、亡くなって数十年経った今でも、ひばりは永遠の人なのだ。(ひばりの好きな曲といって、人それぞれバラツキがあるのは当たり前なのかもしれない)
こんな美空ひばりをお手本にして、後進の歌手やアイドルたちも、歌も歌えば、お芝居もするという時代が続いてゆく。
芸能事務所にしても、新人歌手たちには無理矢理、ドラマや映画の仕事をねじこんでくる。
ようは、「芝居をさせる事で、歌に深みを与える」ためだったのだ。
だが、そんな状況が続く中で、それまでの歌手たちとは全く違うような形態の者たちが、ヒョコヒョコと現れだした。
それが《シンガー・ソング・ライター》と呼ばれる人たち。(今じゃアーティストと呼ばれる人たちのはしりかも)
自分で歌詞を書いて、自分で作曲して、その曲を自ら、自分自身で歌う人たち。
一見、素晴らしい才能で「格好いいなぁ~」と思っていても、この方々たちにも、最大の弱点がある。それが ……
お芝居なんて無理な話。
《演じる事なんて全く出来ない》のだ!(言い切ってしまおう)
自分で書いた歌詞を自分で歌う事は、どこまでいっても《自我の表現》でしかない。
要するに、これは《自己演出》の世界なのである。
他人の書いた歌詞を全く歌わない事は、
「それを、どう演じればいいのか?」
なんて事までは考えないのだ。
その領域までは、決して到達しない。
だから、この人たちは芝居の世界なんかに滅多に踏み込んでこない。
自分たちには、まるで畑違いの分野だということを身に沁みて分かってるのである。
でも、この『自己演出』も、特に悪いとは思わない。
その代わり、よっぽど優れた才能や、自分の中に特別な引き出しがいくつもなければやっていけないだろう(とにかく歌一本なのだから)
それくらい過酷で厳しい世界なのだと思っている。
若い時の荒井由美(松任谷由実)なんて、売れてからも、学生や若者たちに徹底的にリサーチしたりした話を、前に聞いた事がある。(才能があっても、今現在残ってるアーティストたちは、皆がこうやってジタバタしてやってきてるのだ)
何冊もの本を乱読しては、歌詞に似合うような《言葉探し》を常にしている。
そして、書く歌詞も決して主観的なモノだけに頼らず、時には自分が書いたモノを俯瞰(ふかん)で見るような冷静な眼力も持っていなければならない。
それを一人きりで、身を削るようにして、何十年も、何千曲も作ってはヒットさせていくのだから、凡人の自分なんかには、その苦労は計り知れない。
私から見れば、桑田佳祐や中島みゆきなんてのは、もう化け物のように見えてしまう ( 笑 )。
今現在、アーティストが主流になっていて、それを名乗っている者たちがいても、この先、こんな大御所たちのように生き残っていけるのか ……(既に消え去った者は数多い)
同じようなメロディー・ライン、どこかで聴いた事のあるような安易なフレーズ …… 最初こそ、偶然ヒットしても、それを何年持たせて、持続出来るのかな?(意地悪だけど)
ちなみに、作詞作曲をしなくても、80年代以降のアイドルたちでも『自己演出』に流れていった者たちは、大勢いる。
でも、その話は、次回の②に持ち越そうと思う。(あまりにも長くなりそうなので)
こんな《ひとりごと》を読んでくれる人いるのかなぁ〜(まぁ、それでも書いちゃいますけどね)