1960年 アメリカ。
アメリカ南部のテキサスに広大な土地を所有する富豪『ウェード・ハニカット』(ロバート・ミッチャム)。
今日も朝早くから、使用人たちを引き連れて、沼にやって来ては、趣味の狩猟を楽しんでいる。
そんな時、ウェードの側にいた使用人『レイフ』(ジョージ・ペパード)は、何かの不審な気配に気がついた。
「危ない!!」
レイフがウェードを押し倒し、ウェードを狙った銃弾はギリギリ肩をかすめた。
慌てて他の使用人たちが、狙撃者を捕まえて引っ張ってくると、その男は別に悪びれた様子でもない。
憎悪をたぎらせた男は、ウェードをキッ!と見据えると、
「俺の女房に手を出すな!!」
と言い放った。
そう……ウェードは狩猟以外にも、町中の女たちに手を出す《女漁り》が趣味だったのだ。
肩を撃れても、どこか余裕をみせるウェードは「こんなのは唾でもつけておけば治る」と言い、撃った男を咎めもしないで、即、解放させた。
それでも、(まぁ、撃たれたんだし、痛いしで)レイフに連れられて町の病院へ直行。
町医者には、「もう、女漁りもいい加減にしないか!今度は命がないぞ!!」とガミガミお説教される。
そんな説教にも「フフン…」と、まるで聞く耳なしのウェード。
手当てが済むと、レイフはウェードを屋敷に送り届けた。
「誰かいないか?!」
左腕を吊っているウェードが広間で叫ぶと、妻の『ハンナ』(エリノア・パーカー)が現れた。
ハンナはウェードの怪我を見ても、表情すら変えない。
「あら、何か御用かしら?」
「怪我をしてるんだ、気遣ってくれないか」
ウェードが着ている、血だらけのシャツを引き裂き、強引に脱がしてやると、ハンナは、それを燃え盛る暖炉にポイ!と放り投げた。
長年、ウェードの女遊びに苦しめられ、もう、ひと欠片の愛情すら残って無いのだ。
(どうせ、どっかの女をたぶらかした報いで、こんな目にあったんでしょ……)
何も言わなくても、ハンナの冷やかな目は、無言でそれを語っている。
こんな冷えきった夫婦生活に、ハンナが忍耐強く耐えているのは、ただひとつ……一人息子のセロンの為だった。
ハンナが溺愛している、17歳になった青年『セロン』(ジョージ・ハミルトン)。
だが、蝶よ花よで、あまりにも大事に育てすぎたのか……温室育ちのセロン青年は、まるで世間知らずのお坊っちゃま。
今日も借地人のオッサン連中にからかわれて、馬鹿にされて帰ってきた。
「もう、こんなのはイヤだ!僕に狩りを教えてよ!!」
セロンは父親のウェードに懇願した。
「正気か?お前の事に口出ししないのが、母さんとの約束だ」
「男になりたいんだ!」
真剣な息子の表情にウェードも心を決めたようだ。
「なら、お前の集めてる切手やら蝶やらを全部捨てるんだ!」(笑)
ウェードは猟銃の撃ち方を教えてやると、次の日からレイフをお供に、息子セロンの狩りの特訓がはじまった。
どんどん狩りの魅力にハマっていくセロンに動揺を隠せない母親のハンナ。
「あの子には手を出さない約束よ!」
ハンナの直訴も届かず、ウェードの予想を遥かに越えて、セロンは射撃の名手になっていく。
そして、町ではイノシシが現れ、田畑を食い荒らす被害が続出しはじめた。
「何とかしてくれないか?!」
小作人たちが集団でウェードの屋敷にやって来ると、皆で訴えた。
(ウェードなら仕留めてくれるかも……)の期待をよせて……
だが、ウェードが口にしたのは、
「イノシシ狩りは息子のセロンにやらせる!」だった。
(エェーッ??あの、お坊っちゃんのセロンにぃー?!無理!無理!!)
だが、小作人たちの当てはハズレて、セロンは一発でイノシシを仕留めてしまった。(ゲッ!( ゚ロ゚)!!マジ?!)
「おめでとう、お前もこれで《立派な男》だ!」
やっと少し自信を持てたセロンの為に、屋敷では盛大に祝おうと、仕留めたイノシシを振る舞うために《イノシシ・パーティー》なるモノが開かれる事になった。(イノシシの丸焼き。美味しいのかね?)
そんなパーティーに、かねてから気になっていた女の子『リビー』(ルアナ・パットン)を誘いたいセロン。
でも、……まだまだ内気なセロン青年は自分から、とても声をかける勇気がない。(恥ずかしいよ~、無理!無理!)
「仕方ねぇなぁ~」
渋々、見かねた使用人のレイフは、恋のキューピッドよろしく、二人の仲介役になるのだが………
ロバート・ミッチャム目当てで観た『肉体の遺産』。
物語としては、重々しくない大河メロドラマって感じだろうか。
150分って時間は、(けっこう長いなぁ~、面白くなかったらどうしよう…)と思っていたけど、(時間が経つのも「アッ!」という間)面白かったです。
監督はヴィンセント・ミネリ。
ヴィンセント・ミネリ作品は、大昔にジーン・ケリー主演の『巴里のアメリカ人』を観ていて、今回久しぶり。(まぁまぁ面白かったと思う)
この物語、全ては『ウェード』(ロバート・ミッチャム)が根っからのスケコマシであった事が、原因で巻き起こす悲劇。
使用人の『レイフ』(ジョージ・ペパード)は、実は『ウェード』(ミッチャム)が他の女に産ませた私生児なのだ。
お坊っちゃま『セロン』(ジョージ・ハミルトン)は知らないが、セロンとは異母兄弟の間柄なのである。(母親はもちろん知っていて、尚更、『ウェード』(ミッチャム)を憎んでいるのだ)
まぁ、クズみたいな最低の父親なのである。
当時の《バッド・ボーイ》なるイメージで、こんな最低な役柄がまわってくるのも、しょうがないといえば、しょうがないのだけど………。
でも、実際のロバート・ミッチャムは、真面目で、奥さん一筋の愛妻家だったので、この役柄とは真逆と言ってもいいくらいなのである。(結婚も1回だけ)
役柄と真逆なのは、ミッチャムだけではない。
この内気で世間知らずのセロン役のジョージ・ハミルトン、彼もこの役柄とは、まるで真逆のプライベートなのだ。
実際のジョージ・ハミルトンが、生粋の《女ったらし》だったのは、有名な話だ。
その華麗な女性遍歴なんて、ズラズラ挙げてもお釣りがくるくらい見事な名前が並ぶ。
エリザベス・テイラーやら、アメリカ大統領の娘やら、あの!マルコス大統領婦人、イメルダ・マルコスやら、ヴァネッサ・レッドグレーブなどなど……(しかも大物ばかり。こんな純朴そうな青年がねぇ~)
有名なエリノア・パーカーの芝居を初めて、じっくり観たかも。(綺麗な人。17歳の息子がいる役は勿体ない気もする)
ジョージ・ペパードは、この後にオードリー・ヘプバーンとの共演『ティファニーで朝食を』で大ブレイクするのだが、やっぱり若い頃のペパードは格好いい。
この物語、レイフ役のジョージ・ペパードが一番に美味しい役で、実質は影の主役って言ってもいいかも。
私生児として、父親の『ウェード』(ロバート・ミッチャム)には息子とは認められず、甘んじて使用人の立場に収まりながらも、異母弟の『セロン』(ジョージ・ハミルトン)を憎むこともしないで、心底気づかうことの出来る『レイフ』(ジョージ・ペパード)は、「どんだけ人間が出来てるんだ!!」と、褒めちぎりたいくらいに感心しきりである。
もう、ミッチャムもエリノア・パーカーもジョージ・ハミルトンもおいてけぼりで、物語が進むにつれて、私、ジョージ・ペパードだけに肩入れしながら夢中になって観ておりました。
「こんなレイフが幸せにならなくてどうするの?!」なんて思っていたら、最後の最後で救われた。
特に、映画のラストシーンでは、ジョージ・ペパードの気持ちに光が射すようで、なぜか清々しい余韻が残る。
けっこう見応えのある傑作ですよ。
時間の充分ある時にオススメしておく。
父親はクズなのに、全く憎みあわない異母兄弟の物語も珍しい。
星☆☆☆☆。
※ただ、邦題は、原題名の『Home from the Hill』(丘からの家)の方が、ずっといいかもね。