1980年 アメリカ。
20世紀初頭、『アーサー・レストレンジ』(ウイリアム・ダニエルズ)は、8歳の息子『リチャード』と、従妹の7歳『エメライン』を連れて、イギリスの帆船でサンフランシスコに向けて長い航海をしていた。
だが、船内で突然火災が起きてしまう。
幼い二人は、船内で料理人をしている荒くれだが人のいい『パディ』(レオ・マッカーン)と、なんとか小舟に乗りこみ脱出した。
アーサーも小舟に乗って他の乗組員たちと脱出するが、やがて離ればなれになってしまう。
3人を乗せた小舟は、あてどもなく大海原を漂い続けた。
そうして、しばらく経った後、やっと目の前に島が見えてきた!
無事に上陸するとハシャギまわる子供たち。
それを静止ながらも辺りを見渡すパディの目は決して警戒心を解かない。
やがて島を探検すると飲み水もあり豊富な果物などもあることが分かってきた。
そして、どこから流れ着いたのか、ラム酒の樽。
だが、それとは別に不気味な《人骨》も発見したりする。
パディは子供たちを連れて、そっとソコを離れる。
エメラインが赤い実を手にして口に入れようとしていた。
「その実を食ってはいかん!」
パディが怒鳴りつける。
「いいか?その実を食べると永遠の眠りにつくんだ、絶対に食べてはならんぞ!(ホントか、どうか、いったい何の実なんだ…)、分かったか!?」
幼いリチャードとエメラインは、その忠告を、素直に聞き入れた。
(この島は無人島なのか …… ひとっ子一人、姿を見やしない ……… )
パディは二人の幼子たちを抱えながらも、この島で生き延びる為に、二人に生活の知恵や狩りの仕方などを教え込んでいった。
ある夜、二人が寝入った後、パディは島の反対側に探検に行った。
そうして、そこで原住民たちの恐ろしい儀式なるものを見て、慌てて帰ってくる。
帰ってきたパディは二人に、
「絶対に島の反対側に行くんじゃないぞ!ブギーマンに襲われるぞ!!」と釘をさした。
「絶対に島の反対側に行くんじゃないぞ!ブギーマンに襲われるぞ!!」と釘をさした。
誰にも相談したり頼るものさえいないパディは、昨日の夜の事もあってか、ラム酒をがぶ飲みしている。
もう酔わずにはいられないのだ。(大人だって弱いし心細い時は泣きたいのだ)
そして明くる朝。
砂浜でパディは死んでいた。
リチャードとエメラインが恐る恐る近づくと、倒れているパディの口から蟹が這い出てきた。
それを見て失神するエメライン。
こうして取り残された二人。
――― そして、数年が経ち ……
死んだパディから教えられた少ない知恵や工夫でなんとか二人は生き延びていた。
成長した二人 …
『リチャード』(クリストファー・アトキンズ)は精悍で逞しく育ち、素潜りで魚を採ったり、立派な住まいも作った。
『エメライン』(ブルック・シールズ)も、美しい美少女に成長し、そんなリチャードを助けながら共に暮らしていた。
だが、人は成長していけば、男も女も自然の摂理で、それぞれサナギが蝶に変わるように変化していくものである。
ある日、岩場にエメラインが立っている時、内腿の間を血がしたたり落ちた。
「どうしたんだ?ケガをしたのか?見せてみろ!」
リチャードが、そう言いながら近づいてくると、
「こないで!!」エメラインは叫んだ。
《初潮》が始まったのだ。
だが、無人島ではそんな知識もないし、教えてくれる人もいないエメラインは、ただ戸惑うばかり。
その日を境にエメラインはリチャードに対してよそよそしくなっていった。
それでも女性の本能が勝ってしまい、完全には無視できない。
暇さえあれば、リチャードの逞しい体つきを目で追ってしまうエメライン。
一方のリチャードも、そんなエメラインが気になりはじめ、触れようとすれば拒絶されるし悶々と過ごす日々。
次第に股間のイチモツに、知らず知らずに手がのびては、隠れて自慰をしてしまう。
そうして、それを見てしまうエメライン。
原作は1908年に書かれた(だいぶ古い)、ヘンリー・ドヴィア・スタックブールの、『青い珊瑚礁』(原題もthe blue ragoon)
タイトルがとても良い。
「青い珊瑚礁」の《青》は、舞台になる無人島を囲む海の「青さ」であり、甘酸っぱい青春の「青さ」を想像させる。
この原作は、1923年、1949年と映画になっていて、これは三度目の映画化である。
この映画は、公開されるやいなや、当時大ヒットした。
ブルック・シールズ(当時15歳)のキラキラ輝くほどの美しさと可愛らしさ。
1980年に、中学生になったばかりの自分の胸を、たちまちズッキューンと撃ち抜いた。
なんたって、ほぼ腰布1枚をまとって無人島で生活しているのだから、思春期の中学生には堪らない。
相手役のクリストファー・アトキンズ(当時18歳)は、水泳が得意という事もあってオーディションで選ばれた。
クルクル金髪の巻き毛に愛敬のある顔で、こちらもアイドル的存在になった。
この10代のふたりが、ほとんど裸身に近い格好で、性の目覚め、戸惑い、性の喜び、性の誕生までを演じるのだから、映画はヒットしたが、世間では賛否両論を当然呼んだ。
「10代の子にあそこまでさせて……」という意見が大半だったんじゃないだろうか。
だが、今と違い、まだまだ規制のユル~イ昭和の日本では民放のTV(しかもゴールデンタイム)で頻繁に放送されておりました。
本当に今じゃ考えられないくらい緩かった。
大人向けのエロティク映画では、『エマニエル夫人』や『チャタレイ夫人の恋人』など。
エロティク・コメディーや青春ものでは、『ポーキーズ』、『超能力学園Z』、『グローイング・アップシリーズ』などなど ………
こんなのをゴールデン・タイムで民放で、繰り返し放映していたのだから、当時の中学生や高校生には《大刺激》。
かくいう自分も、これが親と食事している時なんかに放送なんてされると、居心地悪い気持ちにさせられたものだった。
数十年たって観ると、なんて事はないラブシーンなんですけどね。(歳をとるとは、こういう事か… だいぶスレてしまった今の自分がいる)
今の歳の自分が観ると、当時はきわどさいばかりが取りざたされていたが、この映画の主題が真面目に《性》を取り扱っていて、むしろ性教育のお手本になるような映画にも思えてくるのだ。
だが、本国アメリカでは、この手の映画がヒットしても、量産される事に徐々に懸念の声が聞こえはじめた時期でもあった。
その最初の槍玉にあがったのが、このブルック・シールズ。
『プリティーベビー』で12歳の娼婦を演じて、次が、この『青い珊瑚礁』だったのもある。
この年に、今も続くゴールデン・ラズベリー賞(最低映画賞)が誕生し、第1回目の主演女優賞が、このブルック・シールズなのである。
それ以後は、セクシーな役柄を演じた役者たちが、軒並み、このゴールデン・ラズベリー賞の常連に名を連ねていく。(ボー・デレク、この後ストリッパーを演じたクリストファー・アトキンズも。シャロン・ストーンなどなど …… )
そして、現代では、そういう役柄を演じる役者や役自体も、ほとんど無くなってしまった。
味もそっけもない時代になったものだ。
007も現代ではベッドシーンすらない。
あればあったで、現代のアメリカでは大騒ぎされて排除されるに決まっている。
女性が胸をだせばセクハラ。、顔を黒く塗れば《ブラック・フェイス》だと騒がれる時代。
このギュウギュウに締め付けられた規制の中で、映画をつくり続ける人たちも大変である。
だが、まだ、自由の国フランスがある。
最後のエロスの砦として、自分としては期待しております。(何の砦だ(笑))
甘い青春の輝き『青い珊瑚礁』、星☆☆☆☆でございます。