1989年 アメリカ。
原題名は、《Ten Little Indians》。
そのまま訳すと、《10人の小さなインディアン》、日本では《そして誰もいなくなった》のタイトルの方が有名か……。
そう、ここまで書けば、ご存じのように、アガサ・クリスティーの名作の映画化である。
この《そして誰もいなくなった》は何度も映画化されていて、これは確か4度目の映画化だったはずだ。(最初の映画化は1945年版。これが、なかでも一番出来がいいらしいが未見)
当時、《アガサ・クリスティー生誕100年》の記念に作られた映画だったのだけど………それにしても、この邦題なんとかならなかったのかねぇ~。(センスの欠片もないし、超ダサい!)
この時期になると、クリスティーの数多い単行本は、ほぼ読破していたので、この《そして誰もいなくなった》も、当然読んでいたし、大胆なトリックと、クリスティーの読ませる筆力で、「まぁ、良くできてる」と感心はしていた。
でも、クリスティーの数多い作品の中でも、「名作!名作!」と持ち上げられていて、自分としてはあんまり好きじゃないんだよなぁ~、これ。
見知らぬ大富豪オーエンから招待状がきて、絶海の孤島に集められた、それぞれ縁もゆかりもない8人の男女。
でも、島には雇われたばかりの召し使いの夫婦がいるだけで、オーエンの姿はなく……。
ホールには、インディアンの人形が10体並べられている。
やがて一人、また一人と、何者かに殺されていき……。
殺されていく度に、いつの間にか減っていくインディアン人形。
逃げ場のない孤島、集められた10人しかいない島。犯人はこの中にいる……?!
要約すれば、こんなお話である。
最初に、この本を読んだ時は素直に感動したけど、この話、ともすればラストの大どんでん返しまで持ちこたえられるか、どうか、本当に微妙な匙加減で、ギリギリ成り立っているような話である。
この『一人、また一人殺されていく……』くだりが、段々、予定調和に思えてきて、退屈になってくるおそれがあるのだ。
そこを飽きさせないように、本では、クリスティーの筆力が勝っていて、ラストまでグイグイ引き込み、なんとか読ませる事が出来るんだけど……。
(でも、これ、映像向きか?……)
とりあえず、3度目の映画化作品が、当時レンタルビデオに置いてあって、なんの気なしに手に取っては観たのだけど………まぁ、これが、おっそろしく、ツマラナイ!(駄作である)
やはり、自分が危惧したように、この《一人、また一人殺されて……》のパターンが、延々繰り返される度に、つまらなく思い始め、どんどん飽きてくるのだ。
そして、名探偵もいず、ヒロイン、ヒーローとして主人公を描く事ができない、この原作は、
「登場人物10人を、公平に均等に描かなければならない」という制約の為に、映像にすると、どこか宙ぶらりん。
集団劇でも、(核・中心)になる人物が居ないので、観客は誰に感情移入しようにも出来ないし、皆が皆、横並びの登場人物たちばかりになってしまうのだ。
だから、この4度目の映画化『サファリ殺人事件』も観る前から、(失敗する)と思っていたら、やっぱり案の定でした (笑) 。
映画の舞台を、無人の砂漠(3度目)にしたり、アフリカの奥地(4度目)にしたりしても、それぐらいじゃ補えないくらい、この『そして誰もいなくなった』は映像には不向きな原作なのだと思う。
じゃ、「なんで失敗と分かっている、この映画を観たんだ?」と思うだろうが、それは、ただ、ただ、《フランク・スタローン》のお顔を1度見てみたかったから。
本当に、それだけ。
フランク・スタローンは、知っている人は知っている、シルベスター・スタローンの弟で、たま~に映画の端役もするが、本業は歌手である。
この映画では、たまたま2番手くらいにクレジットされていて、珍しい扱い。
演技の方は、どうしてもトホホ… (笑) の出来なのだが、このフランク、兄のシルベスター・スタローンによく似ているのだ。
兄弟なんだから、当たり前っちゃ、当たり前なんだけど、この『サファリ殺人事件』の当時は、あまりのソックリさにビックリしたものだ。(ただ映画は、とんでもなく駄作でしたけど、まぁ、良いのだ。最初から前述に書いたように、まるで期待してなかったし)
兄弟仲も良いみたいで、最近ならシルベスター・スタローンが映画『クリード』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされて、結局、受賞は叶わなかった時、この弟フランク、カンカンになって代わりに激昂したらしい。
「なんでスライ(シルベスター)が受賞できないんだ!?代わりに受賞した奴、誰だ?そんなの知らんわ!!」
どこまでも兄想いの弟に、ちょっと胸アツになるエピソードである。(ジ~ン)
あ、映画の評価は、言わずともお分かりだと思うので、今回はパス。
VHS時代に観た、これが、今後DVDやBlu-rayになる事は、まず、ないと思うので。
どんな名作でも、映画にするには向き不向きがあるという、一例でございました。