ホーム

2022年10月19日水曜日

人物 「ロー・ウェイ」

 1918年〜1996年(没)





今さらながら、ジャッキー・チェンの『スネーキーモンキー 蛇拳』や『ドランクモンキー 酔拳』に、ドハマりしている私は、それらについて、ちょっとだけ調べたくなってしまった。



そうしたら、この人の名前にぶち当たってしまう。


ロー・ウェイ監督 …… 

知ってる人は知っている、中国や香港では有名なお方。


自分で立ち上げたプロダクションを持っていて、あの、ブルース・リーの『ドラゴン危機一発』や『ドラゴン怒りの鉄拳』を監督して、大ヒットさせた人である。



このロー・ウェイ監督の事が、どこを探して見ても 悪評だらけ なのだ


とにかく、あちこちでクソミソ言われている。(笑)



ロー・ウェイ監督ブルース・リー


『ドラゴン危機一発』と『ドラゴン怒りの鉄拳』は、なるほど …… 世界的に大ヒットした。


だが、ブルース・リーは最後まで、このロー・ウェイ監督とは険悪ムードだったらしい。(ブルース・リーの方が一方的に嫌っていたそうな)


その後、残念にも、若くして亡くなってしまったブルース・リー


それでも、このロー・ウェイ監督、ひるむ事なく、こんな風に豪語しております。



ブルース・リーは、ワシが育ててスターにしてやったんだ! こうなったら第ニのブルース・リーを見つけて、また大スターにしてやる!!と …… (どっからそんな自信が …… )



そんなこんなで、遠いオーストラリアから連れて来られた若いジャッキー・チェン


「コイツを《第ニのブルース・リー》にするんだ!」


ロー・ウェイのプロダクションで、ロー・ウェイによって作られた映画は、まんま、ブルース・リー映画の続編となるような感じの『レッド・ドラゴン 新・怒りの鉄拳』なのでした。(イヤ〜な予感 … )




………… ハイ!案の定、コケてしまいました。(笑)


その後も、ロー・ウェイ監督によって作られたジャッキー映画は、いくつもいくつも、コケて、コケて、コケまくり


しまいには、赤字続きで、プロダクションは経営状態も相当苦しくなってくる。(あらら)


こんなロー・ウェイ監督、反省するどころか、

アイツは、全く使いものにならないダメな奴だ!

と、まるで映画がヒットしないのは、ジャッキーのせいかのように、言いまくっていたそうな。(なんかブルース・リーが毛嫌いするのも段々と分かってきた(笑))



そんなロー・ウェイ監督の下で我慢してきたジャッキーに、ある日、救いの手が差し伸べられる。


「おたくの《ジャッキー・チェン》という俳優を貸してもらえないだろうか? 是非ともジャッキー主演で撮りたい映画があるんだ!」


ジャッキーにこんな誘いが、別のプロダクションから舞い込んできたのだ。



つまり、俳優を別のプロダクションに《貸し出す》→《レンタルする》のである。


条件としては、《映画を年内(1978年)に二本撮らせてくれないか?》と《貸し出し料は六万ドルで》だったが、ロー・ウェイ監督としては(ラッキー!)ってなもんで、渡りに舟。


もうこの頃には、すっかりジャッキーへの期待も、興味も薄れてきていた時だったのだ。


(あんな奴を使っても、ろくな映画にならないだろうさ …… むしろ、こっちは厄介払いも出来るし、金まで入ってくるんだから一挙両得じゃないか …… これで清々する!)てな感じで即、OK!


こうして(ダチョウ倶楽部のギャグじゃないけど「どうぞ!、どうぞ!」てな具合で)、若きユエン・ウーピン監督の元に預けられたジャッキー・チェン



写真はユエン・ウーピン監督に指導をうけるジャッキー・チェンと、ユエンの父親であるユエン・シャオティエンの撮影風景である》



ユエン・ウーピン監督は、武術の達人ユエン・シャオティエンが父親なので、もちろん、自身も幼い頃から武術の心得があった人。


「こうした方がいい!」なんてやり方を、決してゴリ押しばかりにならず、ジャッキーと上手く話し合いながら、現場の撮影を進めていく。


こうして撮影された『スネーキーモンキー 蛇拳』は、ジャッキーの魅力を存分に引き出して、瞬く間に 大ヒットした!





これに焦ったのが、ロー・ウェイ監督。

「そんな馬鹿な …… 」



本来なら、この後すぐにでもユエン・ウーピンが監督する『ドランクモンキー 酔拳』の撮影に取り掛かったはずだが、それに「待った!」をかけたのが、あろうことが、このロー・ウェイ監督だったのだ。




ジャッキーはうちの専属俳優なんだ!うちとの契約があるし、うちの映画を先に撮らせてもらうよ!(「どの口が言ってるんだか!」って話)




スネーキーモンキー 蛇拳』のヒットで、ジャッキーが、いきなり惜しくなってきたロー・ウェイは、「わしも《ジャッキー主演で大ヒット映画》を作ってやるわい!」と急に息巻いてきたのだ。(それも二本も)




こうして1978年には『スネーキーモンキー 蛇拳』の後に、ロー・ウェイが監督する『拳精』、『龍拳』だのが作られるのだが、ジャッキーの精神と肉体はこの時、もう限界でボロボロ状態。(年に4本のアクション映画なんて …… 殺人的過ぎる!)




こんな状況下で、やっとこさ、あの傑作『ドランクモンキー 酔拳』は作られたそうな。(しかも公開前、ギリギリに完成したという)




そこまでして、ユエン・ウーピンの映画に、なんとしても出たかったジャッキー・チェン


「あの時、本当に苦しかった …… でも、あれを頑張れたからこそ、大抵の事は何でも乗り越えられるような、今の自分がいるんだよ」


やっと、過去をこんな風に回想できるようになったジャッキー。(あんた、よ〜やったよ!偉いよ!褒めてあげたいよ)



こんなジャッキーの頑張りに応えて、またもや『ドランクモンキー 酔拳』は『蛇拳』以上に世界中で 大、大、大ヒットした!



あ、そうそう …… 一方で、 ロー・ウェイが、ゴリ押しで監督した『拳精』と『龍拳』は興行的にも大惨敗している。(ダメだ、コイツ(笑))



時代を先読みして映画を撮りあげるセンスが全く無いのか、はたまた人を見ぬく目が無いのか ……



その後、ジャッキーは契約がきれると、ロー・ウェイの元から離れていった。(それも簡単ではなかったようだが …… ようするにジャッキーからも嫌われていたのだ)




ロー・ウェイのその後なんてのは、もう語りたくもない話だが ……



スターを育てられないまま、鳴かず飛ばずの映画を作り続けて、1996年にその生涯の幕をとじる。(あぁ合掌)




今さらだが、こんな裏話を知ってしまうと、『スネーキーモンキー 蛇拳』と『ドランクモンキー 酔拳』の2作には、特別な愛情が芽生えてくるようだ。




ブルース・リージャッキー・チェンの2大スターに偶然関わり、そして両者ともに嫌われた男・ロー・ウェイ


運命とは、なんと皮肉なものよのぉ~。