1988年 3月。
「気に入らないねぇ …… そのホクロは《呪いホクロ》さ。今にきっとよくない事がおきるよ」
昭和7年(1932年)、若狭の漁村から、横浜の遊郭『福寿』に売られてきた二人の少女。
『美津』と『ふみ』(斉藤由貴)。
二人は緊張の面持ちで、女主人『多恵』(岡田茉莉子)と、女郎たちを束ねる遣り手(やりて)の『お民』(初井言榮)の前で面通しされている。
そんな二人に、無遠慮なお民はふみを見据えながら、こんな風に言い放ったのだ。
(しょうがないじゃないのよ …… 生まれつきのホクロなんだもの …… )
そこへ、とりなすように多恵が、
「まぁ、まぁ、民さん、二人とも可愛いじゃないのさ」と割って入った。
「フン!」とふてくされるお民の横で、多恵の言葉は続く。
「とにかく美津は18歳で、明日からでも《顔見せ》に出れるね。ふみは、まだ17歳か …… しばらくは下働きしてもらうよ。二人とも下がっておいで」
多恵の言葉に座敷から、そそくさ去る二人。
その奥では、まだお民の愚痴がブツブツ聞こえている。
「全く!昔なら14、5で客をとれたものを …… お役人の決めた法律で18からじゃなきゃダメだなんて。やりにくい世の中になったもんだ」
二人は自分たちの狭い部屋に戻ると、ひとまず「ホッ!」と息をはいた。
いくら覚悟して売られてきたとはいえ、まだ年端もいかない娘たち。
そんな不安をふみが言葉にすると、美津からは意外な言葉が返ってきた。
「あんな寂れた村に帰ってどうするの?私はここで立派に稼いでみせるわ!」
(お美津ちゃんは大人だ。あたしよりもしっかりしている ………なら、あたしもここで頑張って生きていかなきゃ ……… )
こんな美津の叱咤に、決意を新たにする『ふみ』。
次の日から、台所仕事、掃除、遊女の使い走りと懸命に働きはじめる。
だが、ふみは、この時まだ知らない。
この『福寿』で、この後に起こる凄惨な《殺人事件》のことを ………
原作は1985年に発表されて、翌年、江戸川乱歩賞を受賞した山崎洋子の『花園の迷宮』。
その昔、江戸川乱歩賞を受賞した作品に凝っていた時期があって(またもや)、この小説も御多分にもれず読んでみて、面白かった記憶がある。
江戸川乱歩賞を受賞すれば、作家として大々的に売り出されるし、映画化やドラマ化もされるという、なんとも優遇された時代である。(まぁ、昔は本もバカ売れしていたしね)
この小説も即、映画化がされるのだが、江戸川乱歩賞を受賞したとはいえ、まだまだ新進作家。
映像と小説は別物とはいえ、トンデモない改変 をされてしまう。(ゲゲッ)
小説の舞台、昭和7年は→昭和17年に。
主人公は遊郭に売られてきた少女『ふみ』なのに、『ふみ』から→女主人の『多恵』に変更。
その多恵を島田陽子が演じて、内田裕也とのデレデレ・シーンがながれるものだから、もはやタイトルだけは同じでも、完全な《別もの》に映画は仕上がっている。(『ふみ』役の工藤夕貴は、居ても居なくてもいいような脇役扱いである)
それに誰も彼もがドレス姿で、《遊郭》って雰囲気は全くゼロ。(やっぱり《遊郭》といえば着物でしょうよ)
昭和17年の設定すらおかしく思えて、「コレ、いったい何時代の話なの?」と、違和感だらけに思ったほどである。
オマケに、映画はコケて(当たり前だ)、島田陽子と内田裕也が現実でも公然の不倫関係。
特に内田裕也の方がメロメロ♥️♥️で、樹木希林を無視して、勝手に離婚届まで出してしまう始末。
それに、これまた、妻の樹木希林もカンカンに怒って、離婚届を無効にするよう裁判沙汰。
もうドロドロの愛憎劇で連日マスコミは大騒ぎ。(結局、二人の不倫は後に解消されるのだが💔)
当時は、こんな話題ばかりが先行されて、『花園の迷宮』のお話は、完全に置いてけぼりにされた感があったのでした。(ダメだ、こりゃ)
こんなトンデモ映画の公開が1988年1月。
それから2ヶ月遅れて、やっと原作どおりのドラマ化(日本テレビ『火曜サスペンス劇場』枠)が放送される運びとなる。
私なんか、完全に原作フアンだったので「やっとか ……」という想いと、主演が斉藤由貴という事で、放送当日は鎮座して待ち構えておりました。(今思うと、本当に後悔。なぜ?録画しとかなかったんだろう?)
一回きりの視聴ゆえ、冒頭に書いた序章は「多分、こんな風だったはず ……」と、あまり自信のだが、原作を読んでいるので大体合ってるはずである。
『ふみ』(斉藤由貴)は下働きをしながら、やがて女主人『多恵』の一人息子『陽太郎』(田中隆三)と親しくなっていく。
いつでも、ぶらりと外へ飛び出して、年中遊び歩いている陽太郎は、根っからの風来坊。
(全く働きもしないで …… いったい何考えてるのかしら)
そんな『ふみ』の視線に気づいたのか …… 陽太郎の方も、ふみの姿を見れば話しかけはじめて、自然と茶々を入れてくるようになる。
「変わった奴だ」と。
そんな生活を送る日々で、ある日、美津が客の男と一緒に亡くなってしまう。
《痴情のもつれの無理心中》 …… 誰もがそう思った事件だった。
そんな中で、
「違う!お美津ちゃんが死ぬはずがない!お美津ちゃんは誰かに殺されたんだ!」と、一人『ふみ』だけが声を荒らげて納得しない。
「うるさいね!ガタガタ言うんじゃないよ!!遊女の一人や二人が亡くなったからって遊郭じゃ、よくある話さ。お前の幼なじみが死んで損してるのはウチなんだよ!黙りな!!」
遣り手の『お民』(初井言榮)は、にべもなく、ふみを怒鳴り付ける。(あぁ、合う画像が見つからない。ゴメンなさい )
だが、誰に言われても引き下がらない『ふみ』は、素人探偵よろしく、ドロドロとした情念が渦巻く遊郭『福寿』の中で、事件にドンドン深入りしていく。
時には、陽太郎に憧れる遊女たちの嫌がらせに合ったりしながらも。(女の敵は女)
やがて起る、第2、第3の事件。
果たして《真犯人》は誰なのか?!………
こんなのが本来の『花園の迷宮』のあらましである。(本当に、あの素っ頓狂な映画は何だったんでしょう ( 笑 ) )
このドラマ、『火曜サスペンス劇場』枠の放送なれど、日本テレビ開局35周年作品と銘打たれていたので、とにかくセットが豪華。
忠実に、原作に出てくるような昭和初期の町並みを、大々的にセットを組んで、完全再現していた。(今思うと、相当お金がかかってるし、贅沢なドラマ化である)
主演の斉藤由貴にしても、この時期で久しぶりに活き活きしてるように見えた。
『スケバン刑事』、『はね駒』と立て続けに大ヒットをとばして、古巣のフジテレビに戻ってきても、ろくなドラマの主演ばかり。(『あまえないでよ!』、『遊びにおいでよ!』駄作のホーム・コメディーばかりでした)
ごく普通のホーム・ドラマ、恋愛ドラマじゃ、この人にはダメなのだ。
非現実的なキャラ設定(『スケバン刑事』、『吾輩は主婦である』)、時代モノ(『はね駒』)こそ、彼女の本領を充分に発揮できると、今じゃ確信している。(本人も浮き世離れした性格だしね)
物語のラスト、全ての事件が解決して遊郭『福寿』は店をたたむことになり、皆が散り散りに去っていく。
「お前は自由だ。これから好きな所に言って生きていくんだ」
陽太郎に言われて、町中の雑踏を歩き出す『ふみ』。
原作では、そこで足を止めて、人混みの中、陽太郎の姿を探して、後を追いかけてゆく『ふみ』の描写で終わったはずなのだが、ドラマではどうだっただろうか。(このあたり、記憶があやふやで ……… 変わり身の早い斉藤由貴ゆえ、振り返りもせず、スタコラ去っていったか?( 笑 ) )
なんにせよ、もう一度、記憶補完に見直してみたいドラマである。
DVD化希望。
星☆☆☆☆。