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2020年4月26日日曜日

映画 「ゲット・バッカーズ」

2014年 アメリカ。






何でこんな邦題になってるのかな?


原題は、『Reach Me』(私に届きます)なんだけど。







「自分を変えるんだ!自分自身を変えなきゃ望みは叶えられない!」



自己啓発本、《救いの手》で、人生が180度変わったラップ・スターは、熱心にテレビで語りかけている。




本の著者は、誰も姿を見た事がない、《匿名の著者》である。




それを食い入るように観ている囚人、『コレット』(キーラ・セジウィック)。(明日、出所)


(こんな私でも出所したら、生まれ変われるかも………)なんて思いながらドキドキ。





ゴシップ記者『ロジャー』(ケヴィン・コナリー)も、たまたま、テレビを観ていた。(禁煙パッチをつけても禁煙出来ずにイライラ)



そんな、ロジャーに、上司の『ジェラルド』(シルベスター・スタローン)から、呼び出しの電話が鳴る。



すぐさま、とんで駆けつけると、ロジャーの胸ポケットから覗いている煙草を見て、チクリ。


「いつまで煙草を吸い続けるんだ!そんな息の臭い奴と、キスをしたいって女がどこにいる?だからお前は、ダメダメなんだ!」



ケチョン!ケチョン!に、こき下ろすジェラルドに、ロジャーは何も言い返す事ができない。
そして、ジェラルドは命令した。



「この、話題の啓発本の著者を、何としても探し出すんだ!わかったな!?これは、きっと良いネタになるぞ!」



(こんなゴシップ記事なんて、本当は書きたくないのに………)


頭では、そう思っていても、ジェラルドの迫力に気圧されて、従うしかないロジャーなのだった。




マフィアの間でも、この《救いの手》は、話題になってる。


(俺もこんな下っぱの汚れ仕事なんてしたくないんだ!俺も生まれ変わりたい!)と。



人を捜査で、すぐに撃ち殺してしまう刑事は、神父に懺悔を乞うものの、偶然が偶然をよんで、やっぱり《救いの手》に引き寄せられるように…………




仕事も環境も違う人々が、ぞくぞく集まりはじめる。



たった一冊の本、《救いの手》の為に。



そんな時、秘密の著者、『テディ』(トム・べレンジャー)は、自身も、ひとり悩みを抱えて、町をさ迷っていたのだった………





シルベスター・スタローンが出演していると思って、偶然手にとった1本であるが………あんまり期待しないで。




スタローンは、あくまでもその他大勢でした。(これ観たかんじ、主役はトム・べレンジャーじゃないか?それにしても久しぶりに観たべレンジャーは、だいぶ太って、だらしないオッサンになったなぁ~)





《自己啓発》なんてものを、はなから信じていない私は、それに感化される人の気持ちが、最後まで、全然分からなかった。




それでも、映画は、多少のコメディー色があって、それぞれが丸くおさまっていき、幸せな結末をむかえるんだけど………。





でも、これって、ある種の《 洗脳 》なんじゃないのかな?



宗教などに、のめりこんでいる人にも似ている感じがして、あんまり良い気持ちがしなかったです。




うちにも、たま~にやって来ます。



ピンポーン♪


ドアの覗き穴から見ると、パンフレットや、それらしき本を抱えている人が笑顔で、

「私、●●という活動をしています。是非、お困りの方々の力になりたいのです。」と。



私、ドアも開けずに、

「あ、けっこうです」の一言で済ますけど。




帰った後、いつも考える事だけど……こういう活動にハマる人たちって、(どういう気持ちでやってるんだ?)って思う。




ヤッパリ同じような思想の人を増やしたい為?


だとしたら、恐ろしい考えだ。





これは自分なりの考えだが、「同じ思想の人が大勢集まると、ろくな事にならない」と思っているからだ。




《多少気が合う》とか、《趣味が合う》くらいの人が、、少人数(3~4人)で集まるくらいが、丁度よい。




同じ考え(思想)の人が、数十人、集団、国家になるほどの人数に、どんどん膨れあがると、それは今度は、逆に、少数派や違う考えの人間たちを除外したり、迫害したり、そして弾圧したりへと変わっていくからだ。




やがて戦争に変わっていく事を、私たちは、充分知っているはずである。





そんな集団思想ほど、この世で恐ろしいモノはないのだ。




《イジメ》も同じ考え(思想)の集まりの結果だと思う。




こんなのも、個々に分けてしまえば、パワーダウンして、みるみる減退していくはずだ。




別に、《人それぞれで、かまわない》し、《人の考えや人生を無理に変えようとは思わない》。




自然の流れにまかせて、決して押しつけず、変わっていくなら、それはそれでよし!である。







映画のクライマックス、同じような考えに取りつかれた人々が、大勢で集会に集まっていく場面を観て、ゾッ!とする。



見知らぬ著者の何に期待していて、ここまでするんだろうか。




私には、分からない。




唯一、この著者に同調しないで、ゴシップ記事の為だけと割りきっている、孤高の人『ジェラルド』(シルベスター・スタローン)がいた事が、この映画の、ただ1つの救いなのである。

星☆☆。

2020年4月25日土曜日

映画 「ゆりかごを揺らす手」

1992年 アメリカ。





『クレア・バーテル』(アナベラ・シオラ)と『マイケル』、幼い娘『エマ』は郊外に、一軒家を持っていて、それなりに幸せな生活。



庭の柵を直しにきた『ソロモン』(体の大きな精神未発達な黒人。でも人は良い)は、障害者の社会復帰のために、バーテル家に雇われた。



「ぼ、ぼ、ぼ、………ぼく、一生懸命に、が、が、が、頑張ります!」(山下清かよ)



クレアは、二人目の子を妊娠していて、その安全の為の柵つくりだった。






そして、そんなクレアの診察日がやって来る。



「さあ、気を楽にしてくださいね」


前の診察医ではなく、初めて診察した『モット医師』は、クレアの身体を触りまくって、その反応を楽しんだ。(あきらかにセクハラ目的)



喘息の発作を抑えながら、やっと帰宅したクレアは、夫マイケルの前で泣きじゃくる。



「あの医者、変態よ!!」


「その医者を勇気をだして訴えるんだ!!」


マイケルの説得に、クレアは裁判をおこした。(この辺り、本当にアメリカらしい。何でもかんでも裁判沙汰である)





案の定、モット医師の被害者はクレアだけではなかった。


名乗りをあげた被害者は、次々と現れて、モットを訴えはじめた。




医師免許は剥奪されて、モットはピストル自殺。(自業自得)




だが、そんな変態モットには、同じように妊娠中の妻、『ペイトン・モット夫人』(レベッカ・デモーネイ)がいたのだ。




夫は自殺、家や財産は裁判の訴訟で全て取り上げられるとペイトンは大ショック。



子供は流産してしまい、子宮まで失う大手術で、もう、踏んだり蹴ったり。


(何で………私だけがこんな目にあうのよぉ~!………)



どこに持っていきようのない恨みに押し潰されそうになりながら、ベッドに横たわっていた。


そんなペイトンの目の前に、夫を訴えたクレアの姿がテレビ画面に映し出される。



(あの女が訴えたせいで、夫は自殺したんだ!………この怨み、はらさずにおくものかぁぁぁ~!)



同じように妊娠しているクレアは、今の自分とは真逆。

まるで幸せの絶頂そうだ。



異常な憎しみの炎を瞳に宿したペイトン。


ペイトンの復讐がはじまる………。





この映画も久しぶりに観た、カーティス・ハンソン監督(『激流』、『L.A.コンフィデンシャル』など)の傑作である。




これも、前回の『氷の微笑』と、同じ1992年公開作品。




セックス満載のポール・バーホーベン監督の『氷の微笑』とは、同じサイコ・サスペンスを扱っていても、まるで違う印象。




大味なコッテリ料理が『氷の微笑』なら、こちらの『ゆりかごを揺らす手』は、次々とゆっくり出されてくる、フランス料理のフルコースを味わうようである。



何もかもが緻密に計算されていて、細部まで気を配るような、見事な脚本と演出には、素直に「アッパレ!」と賞賛したい。






『ペイトン』(レベッカ・デモーネイ)が、ベビー・シッターとして潜り込んでからが、この映画の本領発揮。


優しさの陰に、憎悪を隠しながら、復讐は静かに、静かに、……………真綿で首を締めるように進まれていく。



「この幸せな家庭に、ちょっとの亀裂を作ってやればいい………そうすれば人は人を疑いはじめ、巨大な不信感になっていく…………」



人の心を操る術を、全て心得ているペイトン。



ペイトンの策略で、クレアは疑心暗鬼になりはじめ、まんまと孤立していく。(逆恨みもここまでいくと怖いねぇ~)




「なんでこうなるのよぉぉー!」( by クレア)





ともすれば、こんな不幸のデパートのペイトンに同情してしまいがちになるが、人の良い黒人『ソロモン』の存在が、ここでは活きている。



人の良いソロモンまでも、おとしめるような計画をたてるのだから、同情なんてものは、もはや無理。




「ソロモンの様子が変なんです。エマに接する態度が……」なんて、ペイトンが、コッソリと耳打ちすると、


「何ですって!」とクレアも簡単に逆上。




ソロモンを呼び出しては、「あなたには残念だけど辞めてもらうわ!」とピシャリ。



哀れ、ソロモンは、「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは何もしてません」と、言うばかりで弁解の言葉すら思いつかない。(可哀想に………心は純粋な子供そのモノなんですもんね。ペイトンに太刀打ちできるはずもない)





(フフッ………馬鹿な女。これからゆっくり苦しめてやるわ………)




声には出さなくても、こんな悪女ペイトンの心の声が聴こえてきそうである。




こんな復讐のためなら、どんな非情さも躊躇わないペイトン。




観客には、ペイトンへの多少の同情なんてものを、一切、許さない。




無名の俳優、女優たちを集めても、脚本と演出が優れていれば、映画は莫大な予算をかけなくても、こんなに素晴らしい映画になるというような、まるでお手本のような映画である。




観ていない人は、是非!観るべき。



オススメ!


星☆☆☆☆☆。

※あ、最近にしては真面目な批評を書いたみたい。(笑)

映画 「氷の微笑」

1992年 アメリカ。






あるロック・スター『ジョニー・ボス』が性交中、ベッドに両手を縛られてまま、何者かに惨殺された。



31ヵ所もの刺し傷には、見ているだけで、身の毛がよだつ。




サンフランシスコ市警は、犯人をジョニーと性交中だった《女》と決定。




そうして、一番に浮かび上がってきたのが、ボスと付き合っていた、有名ミステリー作家の『キャサリン・トラメル』だった。





「俺が本人に会ってくる!」

自ら志願した『ニック・カラン刑事』(マイケル・ダグラス)は、過去の失態で、警察内部でも問題児扱い。


精神科医で恋人の『ベス』(ジーン・トリプルホーン)の後押しで、何とか首の皮一枚がつながっていたが、もはや後がない状態。



(ここで汚名を返上しなければ………)


名誉快復にと、意気揚々飛び出していった。



それを相棒の『ガス』も、「待ってくれよー!」と後を追いかけていく。




キャサリンの屋敷に二人が行くと、一人の女が出迎えてくれた。


「あなたがキャサリン?」


「違うわ。私は『ロキシー』。彼女の友達よ。彼女なら海岸の別荘。でも無駄足よ、彼女は殺してないわよ」

ロキシーの言葉など聞く耳もたず。




ニックもガスも、直ぐ様、海岸の別荘を目指した。




別荘の海辺を見渡すコテージには、リラックスして腰かけている女がひとり、煙草を優雅にふかしている。




「彼……死んだんですってね………」



そう言うと、『キャサリン』(シャロン・ストーン)は煙草を海に投げ捨てた。(今はこんな事しちゃいけませんよ)



「あなたが彼を殺したんですか?」ニックの質問はド直球のストレートだが、そんなものにもキャサリンは動じる風でもない。



「いいえ、…………彼とただ寝ていただけよ。彼、上手かったから………」



自分のセックス・ライフを、恥ずかしげもなく話すキャサリン。



(何なんだ?この女は?!何でこんなに落ちついているんだ?!………)



ニックもガスも唖然としている。




そんな二人が事件の事を、さらに追求して質問しても、キャサリンはのらりくらり。



しまいにはグウの音もでず、二人は、とっとと追い返されてしまった。




だが、ニックの中で何かが変わっていく。


キャサリンの全身から発する色香、フェロモン、セックスアピール……そんなものに迷わされて、次第にイライラを募らせるニックなのだが………。




久しぶりに観た『氷の微笑』。



シャロン姉さんの出世作であり、体当たりのセクシー・シーンの連続に目頭がクラクラ。



ヤッパリ今、観ても衝撃的でした。



警察の連中が取り囲む中、落ちついた表情の『キャサリン』(シャロン・ストーン)が、ノーパンで、脚を組みかえるシーンは、当時、どれだけの男供を悩殺しただろうか。(今でも鼻血ブー!)





でも、こんなのは本編では、まだまだ序ノ口の方。




次々繰り出す、マイケル・ダグラスとの官能シーンは、もはやサスペンスを通り越して、まるでセクシー・ビデオでも観ているようである。



この時期のマイケル・ダグラスも、なんせギラギラ無双状態。(中毒だった時期ですもん)



もう、まるで動物の交尾みたい。(『やりたくなったら、どこでもやっちゃう』状態)





でも、最初、シャロン・ストーンの起用には反対だったマイケル・ダグラス。



「そんな無名の女優と共演できるか!」だったのだ。



ポール・バーホーベン監督の『トータル・リコール』で、やっとチャンスを掴んだシャロンだったが、まだまだ2番手3番手。




既にスターだったマイケル・ダグラスを説得できなければ、このチャンスを逃してしまう事になる。



どうすればいい?




そんなシャロンに、バーホーベンは隠れて、ちょっぴりアドバイスした。


「彼(マイケル・ダグラス)は、グレース・ケリーのような女性がタイプなんだ。そんな格好で会いに行ってみてはどうかな?」




バーホーベンのアドバイスどおり、グレース・ケリーを意識した化粧、髪型、衣装でバッチリきめたシャロンは、マイケルの元へ。



その夜、シャロンとマイケルがどうなったかは知る人ぞ知る。




とうとう、マイケルは陥落して、シャロンの共演が実現したのだった。(笑)




そうして、映画は大ヒット。




シャロン・ストーンは一躍にして、スターの栄光を掴んだのである。




やっぱり、この二人の間って何かあったのかなぁ~


マイケル・ダグラスとシャロン・ストーンの共演は、そんなハリウッドの裏事情を想像させて、余計に、変なムラムラをかきたてるのである。



星☆☆☆☆。



※尚、お二人の近影。



すっかり萎れちゃったマイケルと、まだまだ溌剌なシャロンのお姿。


げに、女は恐ろしい生き物よ。(笑)

2020年4月21日火曜日

映画 「猿の惑星」

1968年 アメリカ。







表向きはSF映画の金字塔。でも、中身は ……





宇宙空間を漂う、四人の乗組員を乗せた宇宙船。


1972年に出発した宇宙船は、約6ヶ月の宇宙の旅を終えて、無事、地球への帰還を目指していた。


船長『テイラー』(チャールトン・ヘストン)だけが起きていて、宇宙船から見える光の粒子の先を見つめている。



他の3人は、コールド・スリープのカプセルで、スヤスヤ冬眠中。



自分たちにとっては、たった半年の旅だったが、地球上では既に、とてつもない、長い年月が経っていた。


「もう、2673年か………」

もはや、自分たちを送り出してくれた人々も、とっくに亡くなっている。



地球は相変わらず戦争を繰り返しているのか………それとも………。



未来の地球に想像をめぐらせながら、テイラーも睡眠の為に注射すると、カプセルの中に潜り込んだ。


(次に目覚める時は地球………)




だが、宇宙船は何かの計器トラブルをおこし、見知らぬ惑星の湖上へ墜落。



唯一の女性隊員は、カプセルの中でミイラ化していた。



「みんな、脱出するんだ!!」


水に浸かった宇宙船の中で、パニックになりながらも、残りの二人の隊員たちと共に、テイラーは脱出した。



未開の惑星の大地に降り立った3人。


「何とか空気はあるが………ここはいったいどこなんだ?!………」


テイラーたちの冒険がはじまる ………



こんな感じで、至極、真面目な様子ではじまる『猿の惑星』なのだが………真面目なのは、ここまで。



ここから先はトンでもない展開の連続である。






島に着いた3人は水場を見つけると大ハシャギ。



着ている宇宙服を脱ぎ捨てて、恥ずかしさも忘れて、素っ裸になると、「キャッ!キャッ!」と大騒ぎ。(いきなりヌーディストクラブ状態)



で、戻ってみると、誰かの手によって衣服は盗まれてる。(素っ裸でど~すんの?この先)



「急いで探すんだ!」『テイラー』(チャールトン・ヘストン)も焦る焦る。(もう、隠す布切れすらないと人間は、こんなにも無力な生き物)



そのうち、3人は猿の騎兵隊たちに捕らえられて檻の中。


ここは高度な知能が発達した猿たちが支配する『猿の惑星』だったのだった………。



もう、こっからは、猿が、素っ裸のチャールトン・ヘストンをいたぶる場面の連続である。




首輪をつけられて、猿ぐつわをかませて、檻に閉じ込めたり、引っ張り回したり、猿たちが集まる中で、またまた全裸にひんむかれたり……




チャールトン・ヘストンも、真っ赤になってます。(これ、もう演技じゃないでしょ?恥ずかしさで、堪えられないような顔でございます)



人間としての尊厳は痛めつけられて、羞恥心までも傷つけられて……



まだ、女優とのラブシーンを演じたりしてる方が、はるかにマシに思えてくる。




でも、こんな映画をよくやったよ、ヘストンも。



ラストのどんでん返しに救われて、この『猿の惑星』は、何とか面目躍如で、SFの傑作という看板になっているが………中身は、チャールトン・ヘストンをいたぶるだけ、いたぶるようなお話である。




俳優の仕事も大変だ。


なみの神経じゃ演れるはずもない。



恥も何もかなぐり捨てて、何にでも成りきらなきゃならないのだから。



そう考えると、ヘストン様の残した偉業(?)は、とても大きいかも。


星☆☆☆☆であ~る。



※あまりの大ヒットに、この後、延々シリーズ化して続いていく『猿の惑星』。(やめときゃいいのに)


続編は、この1作目の名残惜しさというか、ただ余韻にひたるようなモノでした。


私は2作目でガッカリして、見切りをつけました。(それ以降の続編は観ておりません)

興味がある方は観るといいです。




それにしても、ロディ・マクドウォールは、ちと可哀想。

せっかくの出演でも、ずっと《お猿》のメーキャップじゃねぇ〜(この人が、ある意味、一番の被害者なのかもね ( 笑 ) )


2020年4月18日土曜日

ドラマ 「仮面ライダー W」

2009年9月~2010年10月。







一年中、風がそよいでいる町、『風都』。


そんな町の、あちこちに立てられた『風都』のシンボルである風車は、風に煽られて、常に回り続けている。





その町の一角に『鳴海荘吉』(吉川晃司)の経営する『鳴海探偵事務所』がある。



ダンディーで、格好いい、「これぞ!男の中の男!」ともいうべき宗吉は、一番弟子の『左翔太郎』(桐山漣)にとっては、まさに憧れの存在だ。



「俺も、『オヤッサン』みたいな、格好いい、ハード・ボイルド探偵になる!」



そんな想いの翔太郎だったが………1年前(2008年)、鳴海宗吉とふたりして、高層ビルから、ひとりの少年を救い出す任務の途中、鳴海宗吉は、謎の敵が放った凶弾に倒れた。




「オヤッサーン!!」




からくも救い出した少年と脱出を試みる翔太郎に、少年(菅田将暉)が、ある、特殊なメモリを取り出して囁いた。



「どうだい?悪魔と取り引きするつもりはないかい?」と………。





そして、1年後…………。


宗吉が亡くなり、名前も記憶もない少年に『フィリップ』と名付けた翔太郎は、鳴海探偵事務所を引き継いで、守っていた。(ハードボイド好きの翔太郎ゆえ、レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる名探偵、『フィリップ・マーロウ』にあやかって、呼び名にしたと思われる)



(この『風都』の町は、オヤッサンの意志を継いで、俺が守る……)

そんな決意の翔太郎なのである。




だが、そこへ突然、現れた一人の少女。


大阪からやって来た、鳴海宗吉の一人娘、『鳴海亜樹子』(山本ひかる)が、土地の権利書片手に、ズカズカ乗り込んできたのだ。


「お父さんはどこよ?あんたたち誰?!ここは私の土地よ、今月中に引き渡してもらうからね!」


コッテコテの関西特有のノリツッコミを振りかざす亜樹子に、ニヒルを気取る、翔太郎の調子も狂いがち。



それに………(オヤッサンが死んだ事を、どう説明してよいのやら……)と、ひとり悩む翔太郎。



そんな想いの翔太郎に、

「なにカッコつけとんじゃい!」と、亜樹子は、全くお構い無し。


どこから持ってきたのか………便所スリッパを取り出しては、翔太郎をハタくという、古典的なツッコミを繰り出す。(今どき、こんなモノを持ち歩くなんて………これが仮面ライダーのヒロイン??(笑))




そんな時、事務所に、ひとりの依頼者が。


「翔ちゃん、助けて!」

切羽つまった表情の依頼者に翔太郎の顔つきも変わる。



「安心しな!町の平和は俺が守ってみせる!」
(ふっ、キマッタぜ!……)なんて、いちいち自分に酔いしれるポーズの翔太郎。



翔太郎が、聞き込みの為に出ていくと、それを亜樹子も追いかけてゆく。(やっぱりスリッパ持参で)


「待ってよ!私も着いていくわよ!」






『風都』の町には、人を怪人に変えてしまう『ガイヤ・メモリ』なるモノが出回っていて、そのたぐいの事件が、頻繁に起きていた。



(多分、これも『ガイヤ・メモリ』が関わっているのかも………)



早速、情報を得るため、動き出す翔太郎なのだったが…………。




子供の頃に観ていた『仮面ライダー・シリーズ』。



『ストロンガー』くらいまでは、たまに観ていた記憶が、かすかにあるが、内容は全く覚えていない。(もう、この頃は『Gメン』やら、『横溝正史シリーズ』やらの、刑事ドラマや、ドロドロ愛憎劇に夢中だった為)




自分が『仮面ライダー』を、とっくに卒業してからも、昭和から平成にまたぎ、シリーズは、ポツポツ続いていた。



たまに、見かける事もあったが、「まだ、やってるのか………」くらいの感想。




でも、たまたま観た、この『仮面ライダーW』には、ドハマリした!



見事に!



いい歳になって、今更、『仮面ライダー』にハマるなんて、恥ずかしい気もするが、この『W』に限っては、充分、大人の観賞にも耐えうる作品だと思うので、ここに取り上げた次第である。




『W』は、「二人で一人の《仮面ライダー》」をコンセプトに、原点回帰をめざした、シンプルなデザイン。




半身、色が違うだけの仮面ライダーとなっている。(『キカイダー』にも似てるし、二人で一人の『バロムワン』も思い出させる)



スッキリしている。(これで充分、格好いいのだ。最近のゴテゴテ飾り立てて、キィー!キィー!うるさいベルトや、意味のない変身を繰り返すライダーが映ると、それだけで嫌悪感。すぐさまチャンネルを変えてしまう)



『左翔太郎』と『フィリップ』が、それぞれベルトを装着し、メモリをはさむと、フィリップの意識はなくなり、翔太郎の体へと移行。



そして、両手を広げた翔太郎の体を、いくつもの微粒子が集まっていき、半身色違いの『W』へと変貌させる。



「キャアアーッ! 二人が半分こ怪人にぃー!! わたし聞いてないぃぃー!」(by 亜樹子)







『W』の見た目がとにかくいい。



いくつかの変身バリエーションもあるのだが、デザインがシンプルなので、どれもこれも見た目、格好いい。

戦い方も、その特性をいかして戦うので、それを観ているだけで超楽しい。



これはアイデアの勝利だろう。



敵の『ドーパント』といわれる怪人にも、個性やそれぞれの特性があり、毎回、「次はどんなドーパントなんだろう?」とワクワクさせてくれた。






それに、この『W』はドラマ部分が優れている。



全49話なのだが、2話を使って、一つの話が完結する構成。(最終回49話だけがエピローグ的な位置つけ)



だから、ドラマ部分が充実しているのは当たり前で、単純に一時間ドラマ24話と30分エピローグなんて風に思っておけばよい。(劇場版も傑作!)



カッコつけの翔太郎、変わり者のフィリップ、コッテコテの関西人亜樹子の3人のキャラクターも分かりやすいし、親しみやすい。(このスリッパツッコミには、最初ドン引きしたが、観続けると、それも慣れてくるものである)



それにしても、このフィリップ役の菅田将暉が、こんなにブレイクするとはねぇ~。



この時、誰が予想しただろう………。


山本ひかるちゃんも『科捜研の女』で頑張ってるし。


桐山漣くんも……うん、それなりに頑張ってるよね(笑)。(この人の仮面ライダーに対する情熱を知ってから、実は陰ながら応援してるのですよ。何とかブレイクしてほしい~)





大人の観賞にもたえうる、『仮面ライダー W』。



この機会に、一気観をオススメしておきます。




「さあ、お前の罪を数えろ!!」( by 翔太郎&フィリップ )




今までの人生、罪だらけの自分は「ドキッ!」(笑)


星☆☆☆☆☆。

2020年4月14日火曜日

ドラマ 「警視庁・捜査一課長」

2012年 土曜ワイド劇場よりスタート(5作)。

2016年 連続ドラマ化。スペシャルをはさみつつ、現在に至る。






副題には、「ヒラから成り上がった最強の刑事!」なんてものまでつく。




なんの気なしに、観始めた、このドラマだったが、この現代においては、「相当、《 ヘンテコ 》な刑事ドラマ」である。




この《 ヘンテコ 》さゆえに、数多いドラマの中でも、自分はドハマリしたのだが………。






警視庁・捜査一課長『大岩純一』(内藤剛志)のデスクに鳴り響く1本の電話。


「何ぃ?●●で●●のような御遺体が?!すぐ行く!」


運転手が乗せる車で、さっそく現場へと向かった一課長。




「一課長、こちらです」現場では『見つけの山さん』こと、『小山田管理官』(金田明夫)が出迎えてくれた。



山さんの案内で御遺体がある場所までくると、手を合わせる一課長。



「ガイ者は●●。今朝、●●によって発見されたそうです」



山さんの説明を、フン、フン言いながら頷く一課長。


そんな山さんの後ろから、ヒョッコリ現れる人影。


「でも、この御遺体オカシイですよ」


警部補、『平井真琴』(斉藤由貴)が声をかけると、山さん「わっ!!」と、ビックリ!



「何だ、また、お前か。いきなり後ろから現れて………何がオカシイんだ?」



平井は、そんな言葉にもお構い無しで続ける。


「だって、こんな変なポーズで死にますかね?普通……」


「何だ?またお前の《勘》ってヤツか?」話の腰を折られて、少しイライラ気味の山さん。




でも、一課長が言うと、途端に手のひら返し。


「山さん、大福の勘はあなどれないぞ!」(『平井』の好物が大福なので『大福』とは………なんちゅ~ネーミング・センスじゃ(笑))


「分かりました!ちゃんと頭の隅に入れておきます!」



もう、山さんも、あっちを立てて、こっちを立てて大変だ。




でも、これで済んだかと思ったら、今度は鑑識係が、勝手に喋りだしてウンチクを語り出す。(ヤレヤレ)


それを、一課長は「うん、……そうか………うん」なんて、いちいち聞くもんだから収拾がつかない有り様。




現場では、いつも誰彼が勝手に喋り出している。


それが終わるまで、じっと我慢の山さんである。



「よし!●●署に捜査会議場をもうける。至急手配してくれ、山さん!」



捜査一課長の声でとんでいく山さん。(ヤレヤレ、やっと終わったよ……)






捜査会議場に、ズラリと集められた精鋭の警察官たちを前にすると、大岩一課長は仁王立ち。


そして、皆の士気があがるよう、激がとぶ。


「必ず、犯人(ホシ)をあげる!!いいな?!」


「ハイ!!」


大勢の警察官たちは、一課長の激に応えるよう立ち上がり、一斉に飛び出していく。




だが、そんな中に、『平井真琴』の姿はなく、あくまでもマイペースな単独捜査。


「私は、こっちを当たってみますんで………」

どこまでも困ったちゃん、『平井警部補』(不思議ちゃん、斉藤由貴だからこそ許される)なのだが、そんな平井をとがめる事も、一切しない一課長。



「平井は平井の捜査方法があるんだろう……」

なんて言いながら、大岩一課長は、デ~ンと構えていて、どこまでも寛大なお人柄なのだった………。




こんなのが、延々続く『警視庁・捜査一課長』のパターン。



毎回、毎回、この繰り返しである。



変わるのは、被害者と殺害方法だけ。




女刑事の役割も、シーズン2で降板した斉藤由貴(例の騒動)の代わりに入った安達祐実にしても、その後の宮崎美子にしても………みんな基本、一緒。(まぁ、斉藤由貴がヤッパリ一番良かったけど…………と、思っていたら、まさかの、S4で復活してました!)



運転手も、田中圭から、どんどん出しゃばってきて、ナイツのになった今では、当たり前のように、捜査に口出ししてくる始末だ。




殺害現場は、まるで、そんな連中の井戸端会議と化している。



そんな連中の、収拾がつかないような言いたい放題に、もはや山さんも諦めムード。



でも、われらが大岩一課長は、それを、いつでも、ドーン!と、広い心で受けとめてくれるのだ。




頼りになる上司、理想の上司………


こんな上司の下では、「喜んで働かせてもらいたい!」と思わせてくれるところに、このドラマの成功がある。





そして、たま~に、突然、現れては去っていく『笹川本部長』(本田博太郎)には、「ププッ!」。(この人の芝居だけ、一気にコント臭くなる)



「今回もベリーグッドです!大岩一課長!!」(コントのつもりだろ?これ?(笑))




事件が終わって帰宅すれば、優しい妻、小春(床嶋佳子)と愛猫ビビが出迎えてくれる。


「おかえりなさい、あなた。すぐ食事の支度するわね」(こんな出来た奥さん、最近存在するのかね?)





ワン・パターンのドラマは数々あれど、ここまで徹底してパターンに固執するドラマも、珍しい。



たまに、やってれば、ついつい観てしまう。


こんな《 ヘンテコ 》な面々観たさに。

そして、理想の上司、大岩一課長会いたさに。




星☆☆☆☆であ~る。

※あっ、出来たらDVD化希望ね!

2020年4月12日日曜日

映画 「ジュマンジ / ネクスト・レベル」

2019年 アメリカ。





ゲームの中なら、ムキムキ、マッチョの『ブレイブストーン博士』(ドウェイン・ジョンソン)になれる!!(ハゲてるけど………)



ゲームの中なら自信が持てる!!



青年『スペンサー』(アレックス・ウルフ)は、またもや、いけないとは分かっていても、《 ジュマンジ 》ゲームに、こっそり手を出してしまった。




あの、1度味わった快感が忘れられないのだ。(麻薬の禁断症状と一緒だ)



そして、いざ、GO!《 ジュマンジ 》の世界へ。



そんなスペンサーを、前回の仲間たち、べサニー、フリッジ、マーサも後を追いかけようとする。(ヤレヤレ)



でも、前回とはどこか様子がオカシイぞ。



マーサとフリッジは、《 ジュマンジ 》に引っ張られていったが、美人のベサニーはおいてけぼり。



代わりに引っ張られたのは、スペンサーの祖父、『エディ』(ダニー・デヴィート)と、エディの知り合い、『マイロ』(ダニー・グローヴァー)。


「大変!どうにかしなくちゃ!」

残されたベサニーは、もう一人の《 ジュマンジ 》体験者『アレックス』に、すぐさま助けを求めるのだが………



『ジュマンジ / ウェルカム・トゥ・ジャングル』の続編。




ヤッパリ、続編を作ってしまいましたか………。



そりゃそうだろうなぁ~、興行的にも成功したしね。



「こりゃ、当分、これで、ガッポリ稼がせてもらいまっせ!」なんて、最近のハリウッドは、まるで、儲け主義の浪速商人(なにわあきんど)。


しばらくは、このシリーズ続けるつもりらしい。(コケるまでね。でもその前で止めとけばいいのにね)




前回、書いた『ターミネーター』にしても、『スター・ウォーズ』にしても、これだけシリーズが、続いていくなら見限る判断は、観客(視聴者)次第。



どこで線引きをするのか……。


ダラダラと続けるつもりのシリーズものは、完全に観客が飽きるまで続くだろうから。







まぁ、今回は何とか観たけど………でも、一言、二言、文句もいいたい。



《 ジュマンジ 》のゲーム自体の内容が、はっきり言って、「チョー!つまらない!!」のだ。



現実世界とは、別のキャラクターになれる設定以外は、このゲーム自体、全く面白いとは思えない。



キャラクターが、難関をクリアする度に、アイテムを得るなり、レベルアップなりをしていくなら、まだしも、そんなものもないゲームの、何が面白いだろうか?



ただ、ザコキャラが大勢で襲いかかってくるだけ。(それもダチョウやら、マントヒヒやら……)




たいしたラスボスも出ないし、それにたどり着く為の謎解きも何もあったもんじゃない。




この問題を、どうにかしないと、次で、このシリーズに(バイバイ!さよなら~!)と、見切りをつける人も出てきそう。







後、主人公、スペンサー役の、この人………アレックス・ウルフっていうんだっけ?



頼むから、そのホクロ、除去してくれません?(笑)



顔のホクロが、額やアゴにあっても気にならないんだけど、場所が鼻の下にあるだけで、超気になるのはなぜなんだろう?


いっきにマヌケ顔というのか………(スイマセンけど、私にはそう見えてしまうのです)




真面目な台詞も、鼻の下にホクロがあると、目が、その1点にだけにいってしまうので、まるっきり集中できない。



これは、役者としては致命的なんじゃないのかな?


本当に除去をオススメする。


鼻の下のホクロだけを、じっと凝視しています。



私は、そうですけど。(お話が頭に入ってきません)



星☆☆。

※ホクロの事ばかりで、全く、ドウェイン・ジョンソンにふれてないけど、今回も通常運転。

いつもの、ゴリゴリのドウェイン・ジョンソンでした。(ドウェインも、これ以上タトゥーを増やさないようにね(笑))

2020年4月11日土曜日

映画 「ターミネーター:ニュー・フェイト」

2019年 アメリカ。






冒頭、のっけから『ジョン・コナー』(エドワード・ファーロング)が、ターミネーターに殺されちゃった。




あの『 2 』を全否定するように、始まる、この『ニュー・フェイト』。



ファーロングには役者として、再起のチャンスすら与えない。



ファーロングの顔の造形だけをコンピューターに取り込み、若返らせて、子供の顔にはめ込んだだけ。


まるで、「太った豚は死ね!」とばかりの非情なジェームズ・キャメロンである。




この冒頭だけで、長年の『 1 』、『 2 』の大フアンだった人は、この作品を見限ったのじゃないかな。



「こんなの長年、待ち望んでいた『ターミネーター』じゃない!!観る価値なし!」と。




この『ターミネーター:ニュー・フェイト』が興行的にも大コケしたのは、それが最大の理由だろう。




代わりに始まるのは、今までと、何の想い入れもない人物の物語。


メキシコの少女『ダニー・ラモス』(誰?)の命を奪う為、未来から送られてきた新型ターミネーター、『レヴ・ナイン』。


そして、そんなダニーを守る為に、これまた未来から送られてきた強化人間『グレース』(これまた誰?)。




それに絡むのが、ジョンを殺されて、半端ヤケクソ気味になりながら、20年以上、ターミネーター狩りをしている『サラ・コナー』(リンダ・ハミルトン)。



そして、ジョンを殺した後、すっかり人間生活にとけこんで、カールと名乗りながら、ちゃっかり家庭まで築いている別の『Tー800 』(アーノルド・シュワルツェネッガー)。




こんな四人がメインになって物語が進んでいくんだけど………。





この『ニュー・フェイト』、良い評価もあるには、あるのだけど、それでも私なりの感想を、まず、言っておく。




完全な失敗作である。




高い予算をかけて、せっかく作ったのに、残念ながら、ストーリーは完全に破綻している。


ジェームズ・キャメロンも、この数年で、だいぶ、お歳をとったようだ。





まず、冒頭、『ジョン・コナー』が殺された事で、この物語は、全く整合性を失ってしまった。





少年のジョンが殺されれば、『 1 』の未来(2029年)での、大人のジョンも存在しないわけで、



そうすると、未来から、1984年の世界に、『ジョン・コナー』によって『カイル・リース』(マイケル・ビーン)が送られてくる事もなくなるのだ。




カイルが送り込まれなければ、サラを襲う為のターミネーターも1984年には存在しない。




もちろん、サラとカイルが結ばれる事もない。




ゆえに、ジョンも産まれない。




その後の、サラがターミネーターと闘ってきた死闘の数々も、ジョンが産まれてこなければ、全てが《抹消》されるのだ。(『1』も『2』も、全く意味をなさなくなる)






この物語の2019年の時点で、サラが生きていたとしても、歳をとった、何も知らない、普通の老婦人に変貌していなくてはならない。



ジョンが殺された時点で、『1』や『2』のサラの過去や記憶は、全てが自動的に書き変えられている事になるはずなのだから。





ターミネーター、「何?それ?」ってな感じで、別人格になってなくては、おかしいのである。(こんな素人でも考える事、誰か映画を作る前に、キャメロンに教えてやれよ~(笑))







もう、この大きな矛盾に、冒頭から気づいてしまった人は、この後のダニーやら、グレースやら、相変わらずの女闘士サラの姿を観ても、違和感しか覚えず、頭の隅にある矛盾を、完全に追い払う事は出来ない。



いくら迫力あるアクションやら、見せ場、見せ場があっても、まるで「意味のない」物語を、延々、見せられているだけなのだ。



「これを皮切りに、新しい『ターミネーター』として、この続編と次の続編までの構想がある。期待していてくれ!」


ジェームズ・キャメロンが、鼻息荒く、インタビューに答えているが、


「やめておいた方がいいんじゃない?」と言ってあげたい。




『1』と『2』を愛するターミネーターのフアンは、この『ニュー・フェイト』の存在こそを、頭の隅から、逆に抹消するだろうから。




期待を裏切られたフアンは、ターミネーターは『1』と『2』で完結!

そんな風に線引きをするはずだろうから。


星☆。


それと、機械のターミネーターが、人間と同じように年老いたりして姿を変えていきますかね?(経験値は学んでいっても)



ドラえもんで、SFを学んで育ってきた我々世代には、こんな整合性のない、矛盾だらけの物語には、とても、ついていけそうもございませんです。

2020年4月8日水曜日

映画 「めまい」

1958年 アメリカ。






『スコティ』こと、『ジョン・ファーガソン刑事』(ジェームズ・スチュワート)は、同僚の刑事と一緒に犯人を追跡していた。


いつしか、二人の追跡はビルの上から上へと変わっていき、それでも夢中に追いかけるが……同僚は、あえなく転落。



真っ逆さまに、地面へと落ちていった。



辛うじて縁に捕まり、助かったスコティだったが、真下を見ると、その高さが、勢いよくスコティの目に襲いかかってくる。


《高所恐怖症》………。



こうして、スコティは刑事を辞めたのだった。






しばらくして、女友達『ミッジ』の働くオフィスを訪ねたスコティ。


「スコティ、大丈夫?」


ミッジの問いかけに、おどけて答えるスコティは、


「全然、大丈夫さ。高所恐怖症だって少しずつ慣らしていけばいいんだ」


高い本棚の本を取る為の、踏み台を見付けたスコティは、その踏み台(30cmくらい)に乗ると、

「こうやって慣らしていくんだ。上を見る!下を見る!上を見る!ってね」とやりだした。




だが、次の瞬間、下を見た時、踏み台の高さがズームされ、もの凄い勢いで、スコティの眼前に迫ってくる。



(こんな………わずか30cmの高さなのに………)


ガタガタ震えて、大汗をかき、そのまま失神。


崩れ落ちるスコティを、ミッジは、なんとか支えた。


「あぁ~スコティ、可哀想なスコティ……」



(俺はもうダメなのか………)


意気消沈してガックリ落ち込むスコティ。





そんなスコティの元へ、学生時代の友人『エルスター』が訪ねてくる。


「警察を辞めたんだって?実は君に相談があるんだ。妻のことで………」


どうも妻の『マデリン』の様子が、このところ、おかしくて調査してほしい、という依頼。
(何で俺が?……)と、思うスコティだったが、友人の頼みを無気に断る事もできず………。



渋々、『マデリン』(キム・ノヴァク)の尾行を開始したスコティ。


だが、美しいマデリンの様子は、どこか奇妙で………。



久しぶりに取り上げるヒッチコック作品である。




この作品は、以前、ここで紹介した『裏窓』の流れで、「同じジェームズ・スチュワート主演」というので観たのだけど…………ずいぶん怖い印象だった記憶がある。



怖いのは、冒頭で取り上げているような『高所恐怖症』の高さへの恐怖じゃない。




主演のジェームズ・スチュワートの、段々と変わっていく変貌ぶりに、ちょっとドン引きするくらい怖かったのだ。





この後、人妻『マデリン』(キム・ノヴァク)に恋してしまうスコティなのだが、友人の妻でもあるし、マデリン自体にも色々と問題ある。



先祖の亡霊?に憑依されているというのだ。(急にオカルト話)


そんなマデリンが自殺しないように見張りを続けるスコティ。

でも、突然、海に身を投げしたりするマデリンにハラハラする。



始終襲ってくる衝動的な自殺願望は、本当に先祖の霊の仕業なのか?



そして、とうとう、ある日、教会の高い塔の階段を一目散に駆け上がってしまうマデリン。



スコティは高所恐怖症ゆえ、追いかける事ができずに、階段の途中でガタガタ震えて(もう、無理!)案の定へたばってしまう。




その時、頂上までかけあがり、塔の上から身投げして落ちていくマデリンの姿が………。(ヒェーッ!!)



(自分が高所恐怖症ゆえ、マデリンは死んでしまった…………)




高所恐怖症とマデリンの死でダブル・ショックのスコティ。

それからは、自分を責めて、街をさまよい続ける日々……。



そんなスコティの前に、死んだマデリンによく似た女性『ジュディ』(キム・ノヴァク……ひとり2役)が現れた。



髪の色も、髪型も、化粧やファッションさえ違うジュディの姿。



(でも、よく似ている………まるでマデリンが蘇ったんじゃないのか?)



そんなジュディの姿に、吸い寄せられるようにフラフラと近づいていくスコティ。(もう、この辺りから相当アブナイ奴!)



「何よ!あんた?!」


つっけんどんにされても、冷たくされても、ジュディを追い回すスコティなのだった………。



こんな感じで、マデリンに似たジュディをストーカーの如く付け回すスコティ。


やがて、自分から声をかけてジュディと付き合うまでこぎ着けると、スコティの、ジュディに対する要求は、どんどんエスカレートしていく。




死んだマデリンの事をジュディに告白すると、


「一生のお願いだ!マデリンの格好をしてみてくれないか?」

なんて変質的なお願いを堂々としちゃうのだ。(ゲゲッ!)




こんな風に変わっていく『スコティ』(ジェームズ・スチュワート)に寒気がしてしまう。



『裏窓』でも、覗き見をする役だったが、でも、それは(殺人犯かもしれない……)という大義名分があればこそ、なんとかギリギリ許されたのだけど。


どうも、これは、変態的というか、いささか度を越しているというか………



ジュディを付け回したり、死んだマデリンと同じ格好を無理矢理強要するなんて。(そりゃ、気持ちは分かるんだけど……普通は理性が勝って押し留めるだろうに)





もちろん、ジュディがマデリンにそっくりなのは、ある《 カラクリ 》があるのだけど。(それは、ここでは語るまい)



今から観ようという人の為に、伏せておこうと思う。




これを観た時、ある意味、同じヒッチコック作品の『サイコ』よりも怖いかもと思ってしまった。



私は怖かったです。(ジェームズ・スチュワートが。何度も言うがドン引きするほどに)



この怖さと、珍しい殺人トリックで、これをヒッチコックのベスト1に押す人もいるとか。(確かに、トンデモないトリックは面白いんだけど)





でも、執着し過ぎて、しつこすぎるのは、あんまり私の好みじゃないんで、とりあえず星☆☆☆にしておこうと思います。

2020年4月6日月曜日

映画 「フリーウェイ・クラッシュ!」または、「ハイウェイ・パニック´82」または、「恐怖の100重衝突 史上最大の渋滞」

1980年 アメリカ。






何て長~いタイトルかと思ってる方もいるだろうが、この作品に限っては、日本ではそうなのだから、しゃ~ない。



原題は『THE GREAT AMERICAN TRAFFIC JAM』。



翻訳すれば、『素晴らしいアメリカの交通渋滞』。




このタイトルでも充分良いと思うのだけど、なぜか?日本では、放送やメディアが変わる度に、タイトルをコロコロ変えている、ちょっと不遇な扱いのテレビ映画である。




私が観た時は、確か、日曜洋画劇場の放送で、『パニック・ハイウェイ´82』のタイトルだったはずだ。






砂漠?のハイウェイで事故が起きて、未曾有の大渋滞が発生する。


後から、後から、何百台も並ぶ車の列。




人々はイライラしだして、あちこちでクラクションを鳴らしては、

「さっさと進めよ!」の大声や罵声。



でも、渋滞はいっこうに解消せず、1時間、2時間、3時間………と、どんどん時間だけが過ぎていく。





最初は罵声やクラクションの音も鳴っていたが、それも段々と静まりはじめ、もはや、そんなものさえも諦めた感じの人々。




こんな状況になると人は、どうなっていくのか?



「もう、こうなったらなるようになるさ! この『渋滞』を楽しもうじゃないか!!」(「こんな発想、当時のアメリカ人ならではだわ!」と、テレビを観ていて感心しきりだった)




道路の道端に、大きなビーチ・パラソルを立てて、屋台をはじめたり、日光浴をしたりする。



その内、ツアー中で機材を運んでいたロック・バンドは、その場で路上コンサートなんてものまで始めてしまう始末。




「いいぞぉ~!ヤレヤレ!ピーピーッ!(口笛)」



ヘリで仮設トイレを運んだり、この渋滞は全国ニュースにまでなってしまい、政府もてんやわんや。







でも、皆が、この渋滞の時間を楽しみだしたのだ。



そんな中、タクシーの中で、産気付いた一人の妊婦。


「産まれる~!産まれるわ~!!」



そんな妊婦を、渋滞で居合わせた大勢の人々が励ます。



「頑張れ~!頑張れ~!」と、皆で大合唱の応援。


そして、無事に産まれた赤ん坊が、

「オギャアー!オギャアー!」の声をあげると、周り中で大喝采になる。




それから、しばらくして、やっとこさ渋滞は解消されて、動き出す車の列。



車はゆっくりと走りだし、ハイウェイの道を右へ、左へと別れていく。



渋滞で出会った見知らぬ人達も、それぞれ帰路へと続く道を走っていく。




もう、2度と会うこともない、ほんの偶然が招いた出会い………そんな余韻を残して映画は終わるのである。







もはや、俳優の名前も、役名さえも忘れてしまった映画だが、こんなあらすじじゃなかったかな?





こうして、何十年経った今も、時折、思い出されるような映画で、なぜか印象に残っている。



この放送を、たまたま観ていた自分は、「あ~録画しとけば良かった~」と、見終わった時に後悔した。




でも、「いつか、また放送されるでしょ」とも安易に思っていた。




でも、そんな日は2度と来なかった………。




それから何年かして、ビデオテープが普及しだすと、「この映画もビデオ化されているやもしれぬ」と思い、探し求めるも見つからなかった。





それから、さらに数十年が経ち、ネット社会になった今、再び検索してみたのだ。





そして、やっと見付けた!



あった!!



しかも、ビデオ・テープが発売されていたのだ!それもタイトルを変えて。



それが、『フリーウェイ・クラッシュ』。(こんなの当時、探し出せるかよ~!)




やれやれ、もはやビデオデッキすら廃れた時代に、これをやっと探し当てるとは………。




監督はジェームズ・フローリーなる人で、さらに調べてみると、あの有名なテレビ・シリーズ『コロンボ』に関わっていたとか。



同じようなコメディーで、監督した、『弾丸特急ジェット・バス』も面白そう。(こちらはDVD化されてる)




でも、私が観たいのは、『フリーウェイ・クラッシュ、または、ハイウェイ・パニック´82 または、恐怖の100重衝突 史上最大の渋滞』なのだ。(長い~)




どんなタイトルでも、この際いい。




今まで変更されてきたタイトルは、ご覧のように覚えたし。




この中のどれかのタイトルで、DVD化してほしい。



私以外にも、待っている人が、きっといるはずである。

星☆☆☆☆。