ホーム

2019年12月30日月曜日

映画 「特攻大作戦」②

《①の続き》

そして、いよいよ囚人たちの紹介である。(これも豪華な面々が揃う)




チャールズ・ブロンソン………ジョゼフ・ワラディスロー。

囚人の中でも、かなり教養があり、そして人一倍冷静な判断力を持つ男である。


やがてライズマンの右腕になるような才覚をみせていく。(さすがブロンソン!)



髭のないブロンソンの出演は貴重だが、やはり、この人には髭があった方がお似合い。

この後に、映画『デス・ハント』で再び、リー・マーヴィンとタッグを組んでいる。(まるでリー・マーヴィンを中心に広がる友達の《輪》)





ドナルド・サザーランド………ピンクリー。

終始おどけているようなアホな囚人役。


まだデビューして3年目の初々しいサザーランドに、最初気がつきませんでした。(こんな時代もあったのね)


ドナルド・サザーランドは、ニコラス・ローグ監督の『赤い影』が有名である。(不気味なサスペンス)






ジョン・カサベテス…………フランコ。

威勢だけは、一丁前の囚人。(喧嘩になれば、簡単にのされてしまう、このヘタレっぷりよ。)


ジョン・カサベテスが、俳優をやっているのを初めて観た。


だってカサベテスといえば、監督として有名ですもん。


奥さまのジーナ・ローランズを主演にした『こわれゆく女』や『グロリア』などは、超有名。

でも、調べてみると、このお方、コンスタントに俳優もやってらっしゃるのですね。



リー・マーヴィンの『殺人者たち』にも出ているという。(ここでも広がるリー・マーヴィンの友達の《輪》である。)







テリー・サバラス…………マゴット。

そして、そして、サバラスである。


とんでもなくイカれている囚人。


人種差別は当たり前。強姦殺人の死刑囚役。


この見た目のビジュアルが、この映画では、特に不気味で、恐ろしく思えるほど。(こう見えても実際のサバラスは、コロンビア大学で心理学を専攻したほどの知性派なのですよ)


この方の代表作といえば、海外ドラマ『刑事コジャック』。

ピーター・フォンダの映画『ダイヤモンドの犬たち』でも大活躍している。


スキンヘッドは、その見た目だけで、相当に破壊力のあるビジュアル。





と、まぁ囚人役で気になったのは、こんなところかな。(後、8人いる。他ははあまり知らないけど)


それでも、これだけの豪華な面子が揃えば、集団劇でも見分けるのは、とても楽だ。(大人数になるほど、脚本や監督の力量が試される気がする)



それにしても、リー・マーヴィン、アーネスト・ボーグナイン、ジョージ・ケネディ、チャールズ・ブロンソン、ドナルド・サザーランド、テリー・サバラスなんて名前がズラズラ並ぶと、まるで自分が、この1年で書いてきたblogの総決算のような気がしてくる。



もちろん星☆☆☆☆☆である。


「悪を知った者しか、悪に立ち向かえない」と言ったのは誰の言葉だったか……。



男たちの熱い闘いを、どうぞご覧あれ。


そして、みなさま良いお年を。(お粗末さま)

2019年12月29日日曜日

映画 「特攻大作戦」①

1967年 アメリカ。






1944年、アメリカ陸軍の『ライズマン少佐』(リー・マーヴィン)は、突然、お偉方が集まる本部へと呼ばれた。


破壊工作のプロとして、その実力は認められていたものの、型破りな方法をとるライズマンは、軍でも異質な存在。



「ったく!何の用なんだ!」とふてくされているライズマンを、「まぁ、まぁ……」と、なだめる昔馴染みの『アンブラスター少佐』(ジョージ・ケネディ)。


ライズマンが本部の応接室に入ると、待ち構えていたように、ギロリと睨む幹部たち。




その中でトップの『ウォーデン少将』(アーネスト・ボーグナイン)が立ち上がると、ライズマンに対して新しい任務を告げた。(このボーグナインの顔を見るだけで、「ププッ!」と笑いをこらえるのが大変)



「君にやってもらう事は、ノルマンディー上陸作戦の前に、ドイツ国防軍の高級将校たちが集う保養所を襲撃することだ!」



ライズマンが黙っていると、ウォーデンは、次に、とんでもない条件を突きつけてきた。



「ただし、この作戦に従事する者は、アメリカ《陸軍刑務所の囚人たち》から選ぶように!」



な、何だって?!



囚人たちに戦争をさせようっていうのか?!

無茶苦茶な!!



「そんな馬鹿な提案に、アイツらが素直に首を縦に振るとは思いません!なにか見返りがなければ……」


そこは、ウォーデンも多少、譲歩して、作戦成功の暁には、囚人たちの恩赦を約束してくれた。




ライズマンとウマが合わない『ブリード大佐』(ロバート・ライアン)は、ウォーデンの提案に、あきらかに面白くなさそうである。



(それにしても、こんな突飛な作戦が上手くいくのか………。)





ライズマンは翌日、刑務所を訪ねた。


この中から12人の囚人を選抜するのだ。



戦争で死ぬか、刑務所で死刑を待つか、それとも戦争で勝ち抜いて無事に生き残るか……選択肢は3つ。


はてさて、ライズマンのお眼鏡にかなって、選ばれた囚人たちは……





やっと観れた、『特攻大作戦』。




面白かった!


監督は、ロバート・アルドリッチ



それにしても、スゴイ顔ぶれを揃えたものだ、この映画。



これは、ぜひぜひ、順をおって紹介しなくては!






まずは、



リー・マーヴィン………ライズマン少佐。

さすがの貫禄である。やはり一癖も二癖もあるような囚人たちを束ねるのは、この人以外に適任者はいない。


囚人たちにも気迫負けなんてしてしない。


「なんだ!文句があるならかかってこい!」なんて言いながら、一対一で正々堂々と対決する。(かるく背負い投げ!)



でも、自分の部下として認めはじめると、囚人だろうが、命がけで守ろうとする。(カッコイイねぇ~、男だねぇ~、憎いねぇ~)


いちいち横槍をいれてくる嫌~な『ブリード大佐』たちには、容赦なく機関銃乱射をおみまいしたりする。


まぁ、何をしても痺れるくらいカッコイイのがリー・マーヴィン様なのだ!







アーネスト・ボーグナイン………ウォーデン少将。

ここでは、リー・マーヴィンの上官役だが、映画『北国の帝王』でも共演しているボーグナイン。


『北国の帝王』を先に観ているためか、ボーグナインが画面に出てくるだけで、不謹慎だが、笑いそうになる。


1度見たら忘れられない、この顔面の破壊力。

「ニカッ」、と笑うと見える、デカイ口に並んだ沢山の歯。



そしてギョロリとした飛び出しそうな目よ。(『北国の帝王』でも同じような事を書いた気もするが、毎回違う役でも顔面のインパクトがスゴくて、ボーグナインといえば、それなのだからしょうがない)







ジョージ・ケネディ………アンブラスター少佐。

ライズマンとウォーデンの間で、右往左往するような中間管理職。(だいぶライズマンの味方になってくれてるけど)


この映画でも、人の良さが、にじみ出ているようなジョージ・ケネディである。




けっこうジョージ・ケネディが出ている作品を観ている自分。


以前、このblogでもあげた、オードリー・ヘプバーンの『シャレード』や『超高層プロフェッショナル』、『エアポート´75』、イーストウッドの『サンダー・ボルト』や『アイガー・サンクション』なんてのもあったっけ。


ハリウッドで、誰にでも好かれていたケネディは、もちろん名バイブレイヤーである。






★ロバート・ライアン……ブリード大佐。

ライズマンに対するライバル兼、悪役。

ネチネチと嫌味ったらしく、イケすかない野郎を演じております。


ロバート・ライアンは、あちこちの映画で有名らしいが、初めてこの映画で見かけた人。


今後、有名な作品、『罠』や『ロリ・マドンナ戦争』などにも出演しているらしいので、いずれ観てみたいと思う。






なんだか、こうやって、ダラダラと紹介していくと長~くなりそうなので、本日はここまで。



②へ続くとする。
(名優たちが続々出ているので、とてもこの紹介を中途半端でやめられそうもない。この気持ち、どうぞお察しくださいませ)

2019年12月26日木曜日

ドラマ 「ガラスの仮面」

《1期》1997年 7月~9月、《2期》1998年 4月~6月、《スペシャル》1999年 9月。





その昔、アニメ『キャッツ・アイ』が終わった後に、『ガラスの仮面』のアニメが突如、始まった。


漫画は完結していなかったが、単行本が出れば読んでいたし知ってもいた。


読みながらも感心しきり。


『演劇』なんて知らない素人にも分かりやすく描いてあるし、『演じる』って事が、こんなにも苛酷なのかぁ~とも思った。



で、始まった『ガラスの仮面』。

オープニング、レオタード姿で踊る主人公のマヤ。


何でやねん?(まぁ、単にキャッツ・アイの流れだったんだろうとは思うのだが)、でも作画は丁寧に描けているし。



これは期待できるかも……。


でも、本編が始まると作画はガタガタ、総崩れ。(オープニングと全然違うやんけ)

話も駆け足で、削られて削られて、たったの22話で終わってしまった。(コミックス12巻分で)



中途半端のアニメ化にはガックリさせられたが、こうも思った。

「この漫画の映像化は無理かも……」と。




それから10数年が経ち、時代も昭和から平成へと変わった頃、今度はドラマ化の話が持ちあがる。


(またか……どうせ、似ても似つかないんだろう)と、思っていたら、野際陽子さんのビジュアルを見てビックリ!


ゲゲッ!


まんま、マヤの恩師、《月影千草》そのものじゃないか!!


まるで漫画の世界から飛び出してきたように、瓜二つ。


全身黒ずくめのロングスカートに、顔を半分隠した長くカールした髪。(でも、真夏の土手でこんな姿の人物が、急に現れたら、自分なら警察呼ぶけどね(笑))



主人公の《北島マヤ》役には、既に子役から活躍していた『安達祐実』(当時15歳くらい)。


こちらも中々ハマっていて、けっこう良い感じ。


後年、本人も『家なき子』でブレイクした後に悩んでいた時期があったらしく、原作者自らの指名で『ガラスの仮面』のオファーを頂いた時には嬉しかったと語っていた。



「忘れかけていた『演じる』という事の楽しさを再確認し、また役者として向き合えるようになれた」、そんな風に語っているのを以前テレビで見たことがある。





中華料理屋で、母ひとり子ひとりの北島マヤ。



母親からは「何の取り柄もない子だねぇ~」と言われ放題。


でも、ドラマや芝居には目の色が変わるマヤ。


たった1度でも観た芝居は一言一句、完璧に暗記してしまう。

それを公園で近所の子供たち相手に実演するマヤ。



たまたま通りがかった往年の大女優・月影千草は驚愕する。


「とうとう見つけたわ!私の宝を!」(恐いよ~野際陽子さん(笑))



やがて、学校の演劇発表会に選ばれたマヤ。


でも担任の先生が割りふった役は、村一番の馬鹿で間抜けで皆に笑われる娘・ビビの役。(これってあからさまな差別なんじゃねぇの?)


「あ~、この役は北島にやってもらおう。衣装も特に凝らなくていいからな。ボロキレでも何でもいいから……」(この担任も酷すぎる)


(先生が私にこんな役を振ったのは、うちが貧乏なせい?……… )



落ち込むマヤに、あの月影千草がたまたま現れた。


「見せてごらんなさい、その台本を」


パラパラと台本をめくって読んだ月影千草は、またもや「ハッ!」とした驚愕した顔。


そして、このビビ役を「この芝居の中で、とても、とても難しい役だわ………」とつぶやく。


そして、マヤを激励するように、

「いいこと?、北島マヤの素顔を隠して、『ビビ』という役の仮面を被るのよ!!」とアドバイスして去っていくのだった …………





これは原作の一番最初の、マヤと月影千草のやり取り。


それをドラマの安達祐実と野際陽子で観た時、「あ~、これは、まぁ成功した部類かも……」と思った。



『ガラスの仮面』の世界観をよく分かってらっしゃる。(でも、少しだけドラマ演出の粗が見え隠れしてる。当時はコレが精一杯の出来だったんだろうけども)




他にも、マヤを陰で支える『紫のバラの人』なる足長おじさん(ロリコン?)、速水真澄に田辺誠一。(今じゃ、すっかりヘタウマの絵で有名な田辺画伯)



マヤのライバルで、有名監督と有名女優を両親にもつサラブレッド、お嬢様の姫川亜弓に松本莉緒(当時、松本恵)。


新人のこの子、ちょっと演技の方は ……(ムム…)、マヤのライバルにしてはちょっとヘタだったかな。(まぁ、後に演った『エースをねらえ!』のお蝶夫人役は、なかなかハマっていて良かったけどね)




第1期が、マヤがスターに登り詰めて、身近な人に裏切られたり、母親の死で自暴自棄になったりするが、最後に演劇に対する本能が目覚めて、再起を誓うまでを描いている。(原作17巻くらいまで)



第2期が、再起のチャンスをつかんで演劇賞をつかむまで(33巻くらい?)


スペシャルが、マヤと亜弓が、いよいよ月影千草の当たり役だった伝説の演目・『紅天女』に挑戦するところで《幕》となる。



原作自体が中途半端でダラダラと終わっていないのに対して、ドラマの方はそれなりに決着をつけてくれてるので、この点は好感がもてるかな。


星☆☆☆である。



※それにしても安達祐実って人は変わらないなぁ~。


近年、内藤剛志の警視庁捜査一課長で、過去の10代を演じるために見せたセーラー服姿。

何の違和感もない。驚愕!


知らない人には、本当に10代でとおるほど。


今でもリメイクで北島マヤ役をサラリと出来そうな気もするのだが ………

2019年12月22日日曜日

映画 「移動都市 / モータル・エンジン」

2018年 ニュージーランド、アメリカ合作。







たった数分、『60分戦争』で世界が滅び、それから数千年後………。


生き残った人々は、巨大な車輪の上に、これまた巨大な都市を構えながら生活している。


常に移動しながら進み続ける巨大移動都市『ロンドン』は、小さな移動都市を、見つけては補食し、エネルギーを奪う。


まさに弱肉強食の世界。



そんな世界に、赤いマフラーで顔を隠した少女がひとり。

憎悪の目をたぎらせながら現れた。


少女の名前は、『ヘスター・ショウ』(ヘラ・ヒルマー)。





この映画を観たのは、数ヵ月前。




パッケージを最初に見たときは、何だか、荒廃した世界に、クリスティーナ・リッチの『ペネロピ』が現れたような変な感じを受けた。(ビジュアルが、なんせソックリなんですもん)



まぁ、赤いマフラーをとれば、豚の鼻が現れるはずもなく、そこには無惨に切りつけられた深い傷痕があるのだが………。



この傷痕が問題で、主人公『ヘスター』の過去が、とにかく、ズ~ンとするほど重くて暗くて、チョー悲惨。(ビジュアルだけでも痛々しくてインパクトがありすぎるのに)





考古学者の母親『パンドラ』が見つけた過去の遺物。


それをめぐって、同じように考古学を研究していた男『サディアス・ヴァレンタイン』(ヒューゴ・ウィーヴィング)に母を殺されてしまう。


自身も顔を斬られる8歳のヘスター。


命からがら、逃げ延びたものの、行く当てもなく、さ迷い続けて行き倒れ。


そこへ通りかかった、これまた過去の遺物であり、人間と機械を融合したアンドロイドなるもの(?)『シュライク』に拾われる。(まるで皮膚部分のないターミネーターって感じ)


『シュライク』に育てられるヘスター。


だが、成長しながらも、もっていきようのない悲しみと怒りは増すばかり。


そんな時に、このシュライクが、

「俺と同じように機械の体になれば、こんな苦しみからは解放されるぞ!」と、ヘスターの前に等身大のアンドロイドの骨組みを置く。(このシーンも、またゾゾッ!と寒気がする)



だが、移動都市『ロンドン』が近くまで来ていた情報を知ったヘスターは、シュライクの元を去る。

そこにいる、母のかたき、『ヴァレンタイン』を葬り去るために。




「俺を裏切ったのかぁ~?!『ヘスター・ショウ』!殺してやるぅ~!」



シュライクは怒り、執拗にヘスターを追い回すのだ。(やっぱりターミネーターやんけ)






そんなヘスターに絡むのが、こちらの面々。




●『トム・ナッツワッシー』(ロバート・シーアン)……全てはコイツが元凶。


移動都市『ロンドン』で育ち、戦争以前の考古学やメカに興味を持っている。


それはいいが、間の抜けたコイツ、ヘスターの敵討ちを邪魔したりする。(自身もヴァレンタインに突き落とされて殺されようとするのに)

コイツが、いちいち、でしゃばってこなければ、事はさっさと済んだことなのに………。


人間狩りをする連中には、

「おおーい!助けてくれ!」と手を振って見つかるは、


泥水をすすりながら、賞味期限のパンを貪りながらも、なんとか生きようとするヘスター相手に、

「そんなの飲めないし、食べられないよー!」と言う始末。



こんな男、ヘスターも、とっとと、見捨てればいいのに、何なんでしょ?、いつしか情を持ち始めるのだから、人って分からない。





●『キャサリン・ヴァレンタイン』(レイラ・ジョージ)……極悪な父親サディアスの娘。



完全に温室育ちでノホホ~ンと暮らしてきた彼女。

そんな彼女もやっと父親の裏の顔に気づいて「何とかせねば!」と思うのだが………。




●『アナ・ファン』(ジへ)……韓国人?なのかな?



とにかく頼りになる姐さま。

反移動(静止)都市に所属していて、奴隷にして売られそうになっているヘスターたちを助け出す。

『ジェニー・ハニヴァー号』なる赤い飛行船を操り、大空を自在に駆け巡る。





まぁ、他にも登場人物はいるが、主要なのはこれくらいか。



『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソンは制作だけに関わって、監督は無名の方がやっているらしいが………それにしても、どこかで見たような絵面が多い気がする。


移動都市なんて、『ハウルの動く城』に見えるし、空中都市やジェニー・ハニヴァー号なんて、『ラピュタ』を想像させる。


まるで宮崎駿の世界、そのもの。




その中で、ターミネーターもどきやら、ハードな戦争、愛憎劇がノンストップで描かれるのだから、見終わるとヘトヘト。


本当にクッタクタに疲れる。


あまりにも限られた時間の中に、なんやかんやを詰め込みすぎて、余裕や息をつく場面すらないのだ。(だって最初の方で刺されたヴァレンタインなんて、次の瞬間にはピンピンしてるし、足を怪我して歩けないほどのヘスターも、次の日はなんともないように、全速力で走り回るんですもん。オカシイでしょ?




なんだか、いろんなモノを足しすぎて、かけあわせすぎると、よどんだ色になる、といったところだろうか。


星☆☆☆である。


ただし、主演の『ヘスター』を演じたヘラ・ヒルマーにだけは、特別に何か「ビビッ!」としたものを感じた。


傷痕のない素顔の彼女の映画を、是非、観てみたいものだ。


もしかしたら、この後に、大化けしてブレイクするやもしれない。

そんな予感がする。

2019年12月21日土曜日

映画 「スペシャリスト」

1994年 アメリカ。






CIA特殊工作班として働く『レイ・クイック』(シルベスター・スタローン)と上官『ネッド・トレント』(ジェームズ・ウッズ)。


二人はコロンビアで、ある橋に爆弾をしかけた。


ターゲット抹殺の任務の為に。


そして、そこにターゲットを乗せた車が近づいていく。


だが、車の後部座席には幼い子供の姿が。


「おい!計画は中止だ!子供が乗っている!」


レイが叫ぶが、非情なネッドは、「多少の犠牲は必要さ。それにもう遅い」と、ためらいなくスイッチを押した。


橋は吹き飛ばされ、車も大破。

レイは怒り狂った。


「なぜ?殺した?!子供がいたんだぞ!」

「甘いんだよ、お前は!それに上官の俺に逆らうつもりか!」ネッドは罪の欠片さえない。


「貴様~!」二人は言い争いになり、激しい殴りあいになった。


「貴様をCIAの委員会に訴えてやる!」


レイはネッドを道連れに委員会に提訴し、二人は辞職した。




そして、………それから数年が経ち……




レイは、元CIAの技術で、フリーの爆破請負人となっていた。




『悪い奴らだけを始末する!』


そんな目標を自らに掲げているレイは、依頼があっても、簡単には引き受けない。


依頼人が、『嘘を言っていないか』、その依頼人の過去から現在までを徹底的に身元調査する。



そんなレイに連絡が入った。

「ある男たちを殺してほしいの……」


慎重なレイは、依頼人の『メイ・マンロー』(シャロン・ストーン)の電話をバスを乗り継いで、近くの公衆電話で受けた。(もちろん声の録音もしている)



近くではマイアミの夜の海風がそよいでいる。



「なぜ、その男たちを殺す必要があるんだ?」

「昔、両親を抹殺されたからよ!」


子供の頃、クローゼットに隠れていて難を逃れたメイは、両親が殺される様の一部始終を、見ていた。


残虐非道に、目の前で殺されていく父と母。

それを笑いながら見つめている男たちの顔。


時が経つほど、その苦しみはひどくなっていく。



次の日、両親の墓参りをするメイを遠くから、観察しているレイ。


(この依頼を引き受けてもいいものだろうか………)


そんなレイが躊躇していると、業を煮やしたメイは復讐の為に、自ら行動しはじめた。


マイアミで、派手にのさばるマフィアの首領『ジョー・レオン』(ロッド・スタイガー)のパーティーに潜り込む。



そこで、そのジョーの息子『トマス』(エリック・ロバーツ)に、色仕掛けで接近したのだ。(シャロン・ストーン姐さん、『ここにあり!』と、いったところか……)


トマスはメイに一目惚れで、完全に骨抜き。メロメロ状態だ。


だが、その側にはあの男がいた。


マフィアの首領『ジョー』に雇われて、いまや参謀となっている男。


レイとも因縁のある男。


あの卑劣な『ネッド・トレント』の姿が……。



『クリフハンガー』、『デモリッションマン』と完全に復活したスタローンの、この『スペシャリスト』も90年代に大ヒットした。(実はスタローンの映画でも、この3作は特別に自分のお気に入りである)



とにかく、面白い!



正義の爆破請負人(正義なのかな?)の『レイ』役は、スタローンにしては、珍しく理性的で慎重派。


爆破の専門知識や、それを自在に操る様は、知性すら感じられる。




『ネッド』役のジェームズ・ウッズの憎たらしい悪役ぶりも流石だ。


その顔を見ているだけで、「コイツゥ~!」と思わずにいられない。


眉が薄くてギョロリとした目、広い額には、縦のシワ。

歪んだ口元には、なんともいえない苦々しさがある。



シャロン・ストーンの顔をはたき、警察やマフィアにも、一切、ひるむ事なく、どこまでも威圧的。


完璧なゲス野郎を演じている。(実際のジェームズ・ウッズはIQが高く、頭が良い事で有名)





そして、そして、シャロン・ストーン姐さん。

90年代は、まさにシャロン姐さんの時代。



その豪快な脱ぎっぷりと、色香で次々とヒット作を連発していた。


『トータル・リコール』では、シュワルツェネッガーの股間を蹴り続けていた彼女が、ここでは良い女っぷり全開で、スタローン相手に魅せる、魅せる。



スタローンが有名になってからの、こんな女優相手なんて、この映画が久しぶりだったんじゃないのかな。


スタローンもシャロンも燃える!燃える!(鼻血ブー!モノ)





こんなのは、いくら、あのシュワルツェネッガーでも、絶対に出来なかった事。


シュワルツェネッガーの鍛えられた肉体は、当時、その剛健ぶりには感心しても、どこか笑いが漏れてくるような、アンバランスな印象。



スタローンの均整のとれた鍛え方と、シャロン姐さんのスタイルの良さだからこそ、画面には、美しく映えるのだ。




まぁ、シュワルツェネッガーも完璧ではないって事。


人には出来る事と出来ない事がある。



スタローンの面目躍如ってとこだろうか。

星☆☆☆☆☆であ~る。

※それにしても、時代だなぁ~。この映画で、シャロン姐さんの持つ携帯電話のデカイ事。



これが当時は画期的だったのだ。


こんなもので、時の流れをシミジミ感じてしまう今日この頃なのである。


2019年12月17日火曜日

映画 「吸血鬼ドラキュラ」

1958年 イギリス。






ハマー・フィルム・プロダクション』といえば、戦後、クラシック・ホラー映画を専門にやってきた名門中の名門。


『フランケンシュタイン』シリーズ、

『ミイラ』シリーズ。


そして、この『吸血鬼ドラキュラ』に始まる『ドラキュラ』シリーズ。


実は白状すると、この手の映画は自分にとって大の苦手なジャンルだし、観る前から相当馬鹿にしていた。


それでも、名優クリストファー・リーの出世作となる、この映画を「1度は観ておかなければ」と思った次第なのだが………






1885年、『ジョナサン・ハーカー』は司書としてドラキュラ城にやってきた。(本当の目的はドラキュラ退治。たった一人で?大丈夫なのか?)


誰も人気がないドラキュラ城に、勝手に入って、用意されている食事に手をのばすハーカー。


やがて陽が沈むと、ハーカーの目の前に、見知らぬ美女が現れた。



「助けて!私を助けてちょうだい!」


そこへ、『ドラキュラ伯爵』(クリストファー・リー)が来ると、女は血相をかえて逃げていく。



「ようこそ、ハーカー君。部屋は用意出来ているよ」

伯爵はハーカーを部屋に案内すると「ガチャリ!」、外の廊下から鍵をかけた。



やがて、数時間が経ち、またもや外から鍵を回す音。


(開いてるのか?)


ハーカーが廊下を出て階段を降りると、さっきの女が、また出てきた。


「助けて!私を助けてちょうだい!」


そう言うと、女はハーカーにしがみついてきたのだ。


だが、その口元には 吸血鬼の恐ろしい牙が!



女はハーカーの喉元に噛みついた。


「しまった!この女も、すでに吸血鬼だったのか!私もこのままでは吸血鬼にされてしまう!」(何故?助けを求めながらも吸血鬼にしてしまうんだろうね?)



ハーカーは気を失った。

女の方は伯爵が抱えて、どこかへと連れていったようだ。




そうして数時間が経ち、意識を取り戻したハーカー。


(何としても、私が完全に吸血鬼になってしまう前に、伯爵とあの女を退治しなくては ……… )



朦朧としながらも、地下室にある棺を、やっと探し当てたハーカー。


棺は二つあり、ドラキュラ伯爵と女が、それぞれに眠っている。


ハーカーはまず、女の胸元に杭を押し当てると、それをトンカチで思いっきり叩いた。


ギャアアアーー!

響き渡る断末魔の悲鳴。


女の容貌は無惨なものになり、朽ち果てて灰となり絶命した。



(次は伯爵だ!)

だが、さっきまで棺の中にいた伯爵がいない。

振り向くと、地下の階段に上に立っているドラキュラ伯爵。


伯爵の目がキラリと光ったかと思うと、地下室の灯りは一瞬で消されて、辺りは暗闇に包まれたのだった ………





それから数日が経ち、ハーカーの親友で医者の『ヴァン・ヘルシング』(ピーター・カッシング)は、親友から何の連絡も来ない事を心配して、近くの村までやってきた。



村では、家々にニンニクを吊り下げている。


ヘルシングがハーカーの事を尋ねてみても、皆が知らぬ存ぜぬ。



たった一人、ハーカーの事を知っていた女性が、ヘルシングにドラキュラ城への道のりを教えてくれた。



そうして、しばらく歩いていくと、目の間に見えてきたドラキュラ城。


ヘルシングは臆することなく門をくぐって、ズンズン先に進んでいく。(誰でも出入り自由。セキュリティはガバガバなドラキュラ城(笑))



そうして、あの地下室への階段を見つけたのだ。


地下にたどり着き、例の棺も見つけたヘルシング。そのフタを開けてみると …………


そこには吸血鬼の牙をのぞかせている親友ハーカーが安らかに眠っていたのだった ……






……… と、あらすじはここまで。





この後はお察しのとおり、

ドラキュラ伯爵とヴァン・ヘルシング医師の一騎打ちになっていくのだが、「んん?」、「う〜ん …… 」なんて、首をひねりたくなるような荒唐無稽な展開が、「これでもか!これでもか!」という具合に繰り広げられていく。



でも、全然、怖くないんだけどさ(あっ、言っちゃった!(笑))





この映画から半世紀以上が経って、もはや色々なホラー映画を観てきて、すっかり肥えた目をもつ現代の我々には、全く怖さなんて感じない。


昭和、平成が終わり、令和となった時代に、これに驚いて泣き叫ぶのは3~5歳児くらいのものだろう。



でも、当時は暗い映画館で、これに、「ギャアアアー!」だの「ワァーッ!」だの悲鳴をあげながら観ていたのだから、何て純朴な青年たちや淑女たちだったんだろう。



それだからこそ、この映画は大ヒットしたし、次々と続編が作られたのだ。(なんと9作もあるらしい)



第1作目が、この『吸血鬼ドラキュラ』。

『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960年)、

『凶人ドラキュラ』(1966年)、

『帰ってきたドラキュラ』(1968年)、



( 段々とおかしくなってきたぞ …………… )



『ドラキュラ血の味』(1969年)、

『血のエクソシズム ドラキュラの復活』(1970年)、

『ドラキュラ´72』(1972年)、

『新ドラキュラ 悪魔の儀式』(1973年)、


そして、最後、9作目は、なんと!


ドラゴン VS 7人の吸血鬼』(1974年)でトドメ。


最後の映画なんて、ドラキュラが中国に渡って、カンフー使いと闘うというのだから、もはや、完全にホラーじゃなくなってる(笑)。



主演を務めたクリストファー・リーもここまで、本当に御苦労様でした。



姿かたちの異形で怖がらせようとする恐怖って、所詮、時間の流れには勝てないのだ。


フランケンシュタインでも、ミイラでも、ドラキュラでも、エイリアンでも、フレディーでも、ジェイソンでも 怖いのは最初だけ


最初だけは驚いても、時間が経って繰り返し観ていれば、人は慣れてくる。



ホラー映画は時の流れには勝てない難しいジャンルなのだ。



どんなホラーでも、シリーズを長く続けていけばいくほど、行き着く先は《お笑い》になってしまう。



この『吸血鬼ドラキュラ』でも、ホラー映画の哀しい性(さが)を見た気がしてならないのでした。


星☆☆☆。

2019年12月15日日曜日

映画 「麗しのサブリナ」

1954年 アメリカ。






実はオードリー・ヘプバーンビリー・ワイルダーのコンビで、この『麗しのサブリナ』と『昼下りの情事』、どちらを書こうかと迷っていた。(結局、どっちもこうして書いているのだが)




自分としては、『昼下りの情事』の方が好き。



『麗しのサブリナ』は、観る前から既に有名だったし、オードリーの評判も聞いていた。
で、ある日、観たのであるが、………う~ん、あんまり大騒ぎするほどでもないかも。



確かに、オードリーは可愛いし、斬新なショート・カットやサブリナ・パンツなんてのも絵になる。


でも、物語自体は、ビリー・ワイルダーにしてはギリギリ及第点ってところかな。



大富豪ララビー家の運転手の娘『サブリナ』(オードリー・ヘプバーン)は、そのララビー家の次男『デヴィッド』(ウイリアム・ホールデン)に恋しているのだが、叶わぬ恋。


父に諭されて、パリに留学して帰国すると、洗練されて大変身。


デヴィッドは、そんなサブリナにすっかり夢中になるのだが、政略結婚が待っている。


兄の『ライナス』(ハンフリー・ボガート)は、そんな二人を引き離そうとするのだが、いつしかライナスもサブリナに夢中になってしまって………、ってのが、この映画のストーリー。




でも、昔、この映画を観た時、何だかしっくりいかない、変な雰囲気を感じた気がしてならなかった。


その時は、口では説明しにくい妙な違和感。


でも、後年、その理由も徐々に分かってきた。(やっとパズルのピースが揃ったのだ)


その理由を、ここに書きたいと思う。





実は、この長男の『ライナス』役、最初はケーリー・グラントにオファーされていた。(またもや、ケーリー・グラントである。どれだけ、当時、彼が映画関係者たちから好かれていたのか、分かるエピソードである)


でも、撮影1週間前に、グラントは急遽降板してしまう。(アララ……普通なら怨むビリー・ワイルダーだが、それでも後年、『昼下りの情事』でも熱烈なオファーをするのだから、どんだけケーリー・グラントは愛されていたのやら)



代わりに選ばれたのが、『ハンフリー・ボガート』。



それまで悪役専門にやってきた彼は、ジョン・ヒューストン監督に見出だされ、『マルタの鷹』、『黄金』、『キー・ラーゴ』、『アフリカの女王』とハードボイルドや男臭い主人公でキャリアを築いてきた。


恋愛映画『カサブランカ』なんてのもあるが、これは戦時中のドタバタの時に撮られたもので、共演のイングリッド・バーグマンは、後年まで「あれは失敗作だった」と言っていたほどである。(バーグマンの評価も後年は変わるのだが)



まぁ、そもそも恋愛映画ってのが、珍しいボガートなのだ。



そんなボガートに、オードリーの相手役『ライナス』。



ビリー・ワイルダーは、以前も、ここで書いたのだが、完璧主義者。


撮影1週間前だというのに、ボガートのキャラクターに合うように、脚本を一から書き直させたのだ。(ゲゲッ!!)



当然、撮影中に間に合うはずもなく、書いてはシーンを撮り、書いてはシーンを撮りの連続。


そんな状況下でワイルダーは、オードリーにだけ打ち明けると、オードリーはワイルダーの為に、わざと時間かせぎの為にNGを連発した。


ワイルダーは、(ありがとう!オードリー)と心の中で手を合わせた事だろう。



そんなNG連発のオードリーに、ボガートは最後まで気づく事もなく、撮り終えると、「彼女の将来の女優としてのキャリアが心配だ」と皮肉たっぷりにインタビュアーに語ったとか。(知らぬが幸せである)




こんな不協和音は、まだまだある。



ボガートはウイリアム・ホールデンと仲が悪かった。(明るい笑顔で誰からも好かれるホールデンに嫉妬していた、と言った方がいいか)


そんなホールデンとオードリーは気があっていて、休憩中も始終ベッタリ。



ワイルダーにもスタッフにも気に入られているホールデン。


そんな状況で、ひとりブスッとしているボガートは、1日の撮影が済むとさっさと帰宅する。



そんな撮影の日々で、とうとう、ボガートはワイルダーとぶつかりあった。



どんだけワイルダーの事を、ボガートは酷くなじったのか知らないが、死ぬ間際(1957年に食道癌に侵される)に、ワイルダーを呼んで、「許してくれ……」と言ったらしい。



どんな言葉でワイルダーに噛みついたのかは、分からないが、以前観た『マルタの鷹』のサム・スペードのように、怒ると早口で、機関銃のように、まくし立てるボガートが想像してならない。



こんな裏事情を知ってしまうと、自分が感じた違和感も、納得してしまう。

それに、やはり、この映画の脚本が弱いのも、これまた納得である。




それと、ボガートには悪いのだが、やはり彼はミス・キャスト。



それは《身長》の問題。



ウイリアム・ホールデン=180cm。

オードリー・ヘプバーン=170cm。(けっこう身長あるんですよ、オードリーって)



それに対して、ハンフリー・ボガートは、たった173cmなのだ。



オードリーが、ちょっとのヒールでも履けば、ボガートの身長を軽く追い抜いてしまう。


ケーリー・グラントは187cmあるし、『昼下りの情事』のゲーリー・クーパーは190cmもある。


画面に並んだ時の、オードリーとボガートを見ると、「何でこんな小男と……」と思わずにはいられない。(まぁ、173cmも普通なんだけど、当時のハリウッドでは、やや低い方)



これが違和感だったのか……。



男と女が並んで画面に映った時、女が多少、上を見上げてなければ、陶酔(恋している)って絵面にならないのだ。

特に恋愛映画では、そんな気がする。




でも、こんな自分の勝手な感想とは関係なく、この映画も名作として残ってきている。


映画とは、つくづく不思議な生き物である。

星☆☆☆。