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2018年12月18日火曜日

映画 「オリエント急行殺人事件(1974)」

1974年 イギリス。






1930年 ニューヨークで、大富豪アームストロング大佐の一人娘デイジーが誘拐された。



事件は連日マスコミで報道され、センセーションをおこした。


身代金は20万ドルで夫妻は当然払うのだが、デイジーは数日後、無惨に殺されて遺体で発見される。



妊娠中の妻アームストロング夫人はショックのあまり死産し、自らも亡くなってしまった。


そうして、誘拐犯として疑われたメイドのポーレットも自殺してしまう。

悲劇の連鎖は続いて、絶望したアームストロング大佐も自ら命を絶ってしまった。



犯人は見つからず……時は過ぎた。




―――  そして、5年後の1935年、冬。


名探偵『エルキュール・ポワロ』(アルバート・フィニー)は、トルコ、イスタンブール駅にいた。


ポマードでピッタリ撫で付けた髪にボウラーハット(正装用の帽子)をかぶり、ピンと伸びた口髭、上質なコートやマフラーなどで、その身をくるんでいる。


完全防備の装いをしながらも凍てつく寒さがこたえるのか、ガタガタ震えながら駅のホームに立っていた。



事件の依頼を受けて、急遽、ロンドンに戻る為に、アジアとヨーロッパをつなぐ大陸横断列車《オリエント急行》に乗るためだった。



だが、この日は真冬の悪天候にもかかわらず、満席。



次々と乗車していく人々を尻目に、ポワロの我慢も限界まできていた。。



列車のそばでは、車掌のピエール(ジャン=ピエール・カッセル)と友人で列車会社の重役ビアンキ(マーティン・バルサム)が揉めている。


「あいにく、一等寝台車は満席でございまして……」


「ポワロさんには、最高の席じゃなきゃダメなんだ!万一の為に、予備の客室を確保してるだろう?」


「それが、予備もふさがってまして……」


(もう、いいかげんにしてくれ!!)


「ラチェットさんの秘書のマックイーンさんの寝台の2階が空いているはずだ!、そこでいい!」


ビアンキが強気で押しきると、車掌のピエールも「……分かりました」と渋々承知した。



やっと安堵してポワロが乗り込むと、列車は暗い雪景色の中を、モクモクと白い煙を吐きながら滑るように走り出したのだった。






翌朝、食堂車の席に二人の男が真向かいで座っている。


一人は深い皺が刻まれた顔に神経質でピリピリした瞳、口を開いたその声も尊大で威圧的であった。


「どうした?顔色が悪いな!」『ラチェット』(リチャード・ウィドマーク)が、問いかける。


「2階に寝ていたベルギー人のイビキがうるさくて…」答える秘書の『マックイーン』(アンソニー・パーキンス)は、どこか落ち着かない様子だ。


「それに、またこんなものが…」マックイーンが手紙のようなものを渡すと、ラチェットの顔色が突然変わった。



そんな食堂車にポワロが入ってきた。


「じゃ、今のうちに寝ておくんだな」

ラチェットは、ポワロに目を向けると、マックイーンを、邪険に追い払う仕草をした。



慌ててマックイーンは出ていった。



食堂車で近くの座席にすわったポワロに、ラチェットが話しかけた。



「あんたに仕事を依頼したい!」

高圧的な物言いに内心カチンときながらも「どういった御用件でしょうか?」と訪ねるポワロ。


「私には敵がいるのだ!調べてほしい!それに金ならいくらでも払ってやる!」


「失礼ですが敵はお一人でしょうか?」

ポワロはそう言うと続けて「お断りします」とキッパリといい放った。




ラチェットは、それでも納得する事もなく言い続けていたがポワロは頑として頭をふらない。


諦めたラチェットはポワロに苦々しい目を向けると食堂車から出ていった。




その後、ビアンキの粋な計らいで一等寝台車に空きをつくってもらったポワロは、そちらに移った。


(やっと今晩はグッスリ休める……)

安堵するポワロ。



だが、その夜が、異常な惨劇の幕開けになろうとは…………名探偵と言われるポワロさえも予見できなかったのだった。






監督はシドニー・ルメット


アガサ・クリスティーのポワロものとしては、初めて成功してヒットした映画だった。




以前にも、映画『情婦』で書いたことがあるが、長編小説を映画化する作業は、とても困難で難しいのだ。



それが探偵小説なら、まともに映像化しようとするなら、10時間をゆうに越えてしまう。


2時間に納めるようするには、要らないシーンを、削って、削っての作業の繰り返しなのだ。




登場人物さえも、削られることすらあるし、話の流れすら変わってしまうことも多々ある。(映画、「八つ墓村」などなど……)




結果、出来上がった作品は、しまいには、全然別物になってしまい、原作ファンからは、

「こんなのは、全然●●じゃない!」とブーイングの嵐を受けてお叱りをうける→そして失敗作の烙印を押されてしまうのだ。




そんなクリスティーの長編小説が原作の映画では、これ以前に作られたものでは、ことごとく失敗している。(※『情婦』は短編小説である。 何を考えているのか、マーガレット・ラザフォード扮するミス・マープルは、映画の中でツイストを踊ったりするらしい。 これをクリスティーや原作のフアンたちが、どういう思いで観たのか想像される)





探偵小説の骨格は、ほぼ決まっている。



《1》、過去に因縁がある登場人物たちが、1ヵ所に集められる。(屋敷や船、列車など様々)

《2》、殺人事件が起こる。

《3》、探偵が現れて、尋問や調査をする。

《4》、手掛かりから探偵が推理する。

《5》、登場人物たちが、皆、集められて謎解きがされる。






大体、この骨格で探偵小説は成り立っているのだが、映像化するのに難しいのが、《3》と《4》である。





《3》の、名探偵が一人一人、容疑者に尋問するくだりは、映像化すれば、観ている者には、長々と退屈な場面に映ってしまうのだ。


《4》などの、手掛かりをもとに、名探偵が推理する場面など、頭を切り開いて脳の映像を見せるわけにもいかないし(当たり前だ)映像化は、ほぼ不可能に近い。



この難点を、監督のシドニー・ルメットは、どうクリアしたか?






《3》、決して退屈にならないように「有名な俳優たちのオールスター・キャスト」にしたのだ。



それまでは、考えられなかった有名な俳優人たちの集合。

ショーン・コネリー、

ヴァネッサ・レッドグレイヴ、

ジャクリーン・ビセット、

マイケル・ヨーク、

リチャード・ウィドマーク、

アンソニー・パーキンス、

ジョン・ギールグッド、

ローレン・バコール、

イングリッド・バーグマン……などなど。


次から次への、有名なスターたちの登場は、それだけでワクワクさせてくれて飽きさせない。






《4》、手掛かりをもとに推理する。    は、《5》の謎解きをする。  と合わせて、うまく見せることに成功している。




ポワロが、集められた容疑者たち相手に、謎解きを披露する場面では、その前に行った容疑者たちの尋問のシーンを、さりげなくはさみ、矛盾や問題点をポワロに言わせて、こういう風に推理する事に至ったというように説得力を持たせているのだ。(さすが、シドニー・ルメット監督!)






そして、ポワロ役のアルバート・フィニーも頑張っている。


177cmのフィニーは、原作のポワロに少しでも近づけるように、肩入れパッドやら腹周りにも色々な詰め物をして望んでいる。


口のなかにも綿を詰め込んで、首もすくめて、ものすごい努力でポワロになりきっている。

当時の実物のフィニーを観れば、その変わりように、ビックリすると思うのだ。






映画は、これらの工夫や努力で、原作フアンや原作者のクリスティーを初めて充分に納得させて、映画フアンにも受け入れられて大ヒットしたのだ。


この映画が、この後、次々作られるクリスティー映画や推理映画のお手本になった事は言うまでもないだろう。




だが、これを越える作品が今までに現れたかは、いささか疑問なのである。
(例に挙げるなら、特にひどい2017年版か…語る価値もさえもない!)

星☆☆☆☆☆です。