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2024年6月20日木曜日

よもやま話 「暗黙の序列」

 



たぶん、私のヘンテコなブログを読んでいる方は、とっくに気づいてると思うが、私、最近のテレビや映画をほとんど観なくなってしまった。

LGBTQやコンプライアンスなどへの配慮で、表現の自由は制限されて、がんじがらめ。

要するに、つまらなくなったのだ。


だが、そんな私でも最近のニュースは、時折、耳に入ってくる。


セクシー田中さん事件』。

『セクシー田中さん』という漫画がドラマ化されたのだが、原作者がその出来に全く納得せず、ドラマの最終2話を自らのりだし、脚本を手掛けるという緊急事態となった。

だが、仕上がった放送を観ては、さらに絶望して【命を絶つ】という、2024年最初を賑わす事件である。


この漫画は連載中だったらしい。(完結してない漫画をドラマ化するのも、どうなんだろう?)

私自体、漫画やドラマを実際に観ていないので、なんとも言えないが、ドラマを手掛けた女流脚本家は相当ネットで叩かれていた。


でも、こんなのは今に始まった話ではない。


漫画家や小説家の作品が、テレビでアニメ化や実写化されたり、映画化されたりする度に、オリジナルとの差異に苦しんだり、どう折り合いをつけていくのかは、昔からあった事である。


大昔、まだテレビや漫画が無かった時代に、最初に出来た序列は【映画>小説】であった。


横溝正史金田一耕助なんてのは、映画化すればパリッとしたスーツ姿に無断改変されて、何本も映画が作られていく始末。(原作のような袴姿の石坂浩二が出てくるのは、ずっと後である)

推理よりも、変装したり銃をぶっ放したり、何でもアリである。(今じゃ考えられない話だが)


松本清張の小説だって同じようなもの。

主要人物を男から女に変えられたり、登場人物を削られたり足されたりしてる。

映画になれば、そこは無法地帯。もう、やりたい放題なのだ。


公然とこう言っていた輩もいたくらいである。

「退屈な小説を映画にしてやるんだから、《有り難く思え!》」と。(←どんだけ上から目線なんだか)


改変するにしても、原作者に、ちゃんと了承してもらいに出向いていくなんてのは、稀中(まれちゅう)の稀。

長い間、《映画》=《王様》の時代が続いてゆく。


その後、《テレビ》が入ってきても、《漫画》という媒体が入ってきても、《映画》の絶対的地位は揺るがず。

いつの間にか、昭和の終わり頃には、【映画>テレビ>漫画>小説】という、暗黙の序列が完成してしまうのである。(やっぱり《小説》が、ここでも四番手だ)


と、ここで、前回書いてみた泡坂妻夫先生の『乱れからくり』を例にしてみる。

この『乱れからくり』は、ドラマ版(1982年)より先がけて、1979年に映画化されている。



上の写真を見ても分かるように、主演は松田優作

この映画化が、前回べた褒めしてたドラマ版の真逆をいくような仕上がり具合。


ハッキリ言えば、最悪の原作無視映画 に、なっているのだ。


ドラマ版であった《隕石落下シーン》は映画ではカット。(依頼人 『馬割朋浩』の死は凡庸な《交通事故死》に変えられている)

【ねじ屋敷】の《巨大迷路》もカット。(どうも予算の都合らしいが)


それらは、まだ良いにしても《交通事故死》した『朋浩』(沖雅也)が後半、再び突然出てくる展開にはビックリ業天する。(こんなのは原作にもない。死んだのは《影武者》だったとかに改変されているのだ)


オマケに、原作が推理小説にもかかわらず、この映画は決してやってはいけないような、何よりのタブーを犯している。


真犯人を別人に変えられているのだ!

これには開いた口が塞がらない。


生前、松田優作も「あの映画は思い出したくもない …… 」とか、言ってとかどうとか。


でも近年、小説を知らない人たちや松田優作フアンには、「そこそこ楽しめました」の評価。(人の受け止め方は、本当に十人十色だ)

観るかどうかは人それぞれにお任せしときます。



こんな変な慣習は、当然アニメ界にも存在していて、かの宮崎駿なんかは、まるで当たり前のように振る舞っている。


セカンド・シーズン『ルパン三世』の最終2話分『死の翼アルバトロス』、『さらば愛しのルパン』、劇場版『ルパン三世 カリオストロの城』を、自分好みにキャラクター・デザイン、脚本、演出まで、全て変えてしまい、原作から遠く離れてしまったルパンを堂々完成させてしまったのは有名な話。


今でこそ、これらの評価は高いが『カリオストロの城』なんかが劇場公開された当時は、悪評の嵐でございました。


「こんなのは本当のルパンじゃない!」と。(まぁ、分かるよ。漫画のルパンを読んでる人には真逆に映っただろうよ)

お陰で、映画は 大赤字 を叩きだしてしまい、宮崎駿は当分の間、業界からも干されてしまう。


この評価がガラリと変わったのは、何度かのテレビ放映や、ジブリを立ち上げてからの後の発展があったからこそ。(こんなに評価が180℃変わるなんて …… 世の中分からないねぇ~)


それでも、その後も宮崎駿の暴走は止まらず。

ある日、少女漫画『耳をすませば』を読んでいた宮崎駿は、(いい年したオッサンが少女漫画?)結末が間違っている!!と勝手に大激怒する。


キャラクターの趣味を《絵画》から《バイオリン》に変えて、ストーリーも結末も変えた、勝手な『耳をすませば』の映画にしてしまう。(原作者の柊あおいが、ジブリ作品のフアンだったので大事には至らなかったが …… どう見てもこれは暴挙だろう)


これらの例を見ても、分かるように「《映像》こそ一番のエンタメで、何をしても許されるのだ!」と思っている輩は、けっこう多いのである。


これは日本だけに限った事じゃなく、海外でも同じようなものだ。


あのアガサ・クリスティーなんか、生前幾多の映画が作られても、ポワロやミス・マープルものに及第点を与えなかった。(生前最後に観た、あの『オリエント急行殺人事件』のアルバート・フィニーのポワロにさえだ)


そうして、こういう小説と映画の溝をパロディーとして描いたテレビドラマも存在するくらいである。


それが、あの有名な海外ドラマ『ジェシカおばさんの事件簿』だ。(原題:Murder,She Wrote)



ある日、ジェシカの小説が映画化される事になった。

だが、撮影現場に行くと、原作には無いような墓場のセットが作られていて、今からここで主演の若い男女が真っ裸で《SEXする》というのだ!(ゲゲッ)


「私、こんなポルノまがいの小説なんて書いてない!こんな映画化なんて断固止めさせなきゃ!」


だが、プロデューサーの見せた契約書には、ジェシカの合意のサインが。

「あたし、なんてモノにサインしちゃったのかしら」と、ジェシカは慌てふためく。

でも、そのうち、本物の殺人が起きてしまい、無事(?)ジェシカの小説は撮影中止となるのである。


このドラマを観た時、私、膝をたたいた。

これを書いた脚本家、こういう業界の裏事情を、ちゃんと理解しているわ!


でも、こんなのが誇張でもなく、今まで現実として行われてきたのは、紛れもない事実なのだ。


だが、近年、この暗黙の序列も変わりつつある。


それが《インターネット》の普及によって。


最初に書いたように、『セクシー田中さん』の脚本家みたいに、原作者の意に沿わないような改変でもするものならネット上で総叩きになる。(この脚本家は名前を変えてでも復活するかしら?まぁ、無理だろうな~)


今や、この序列は《インターネット》を全監視役にして、【インターネット>(映画>テレビ>漫画>小説)】と、こんな具合になっているだろうか。


でも …… これも良し悪しの気が。


なんだか、誰も彼もがビクビク怖れて、何もかもが《小粒》というか《安全牌》にばかり走っているような気がしてきたのだ。


《小説》は、不景気や物価高、若者のゲーム依存諸々で、全く読まれなくなり売れなくもなってしまった。


あれだけあった本屋さんも簡単に潰れていく時代である。(政府は分かっているのかねぇ~、本屋が潰れるような国は、それだけ民度が低い国になっていくということを)


小説を読む者がいなくなれば新進の小説家など育つはずもない。(ベストセラーって言葉も聞かれなくなった)


《漫画》は、一本当たれば、それを出版社が延々と続けさせる。(100巻を超える漫画も今じゃザラ。誰が全巻揃えるのか(笑))


《テレビアニメ》は、昔のリメイクものばかり。

《テレビドラマ》は、漫画のドラマ化ばかり。(オリジナルの脚本なんてのは、滅多に書かせてもらえません)


そうして《映画》は、《テレビ》の映画化か、続編につぐ続編ばかりである …… (あぁ、書き出しながらイヤになってくる)


最近のモノにアンテナこそ張ってはいても、あまり観なくなってきたのは当然のような気がする。(同じような人は大勢いるはず)



結局、行き着くところは、今の政治が悪いからって事なのか?(反旗の声は高まってきてますが)


そんな中で少しだけ見えてきた一筋の光。(地方選挙で自民党惨敗中)


それまで私は一人、負のループから抜け出して、タイムマシンで時をさかのぼってみます。

80年代、70年代、60年代と …… なんなら100年前までと。


だいぶ映画やテレビについて厳しく書いたが、それでも砂山のような中からも、まだまだ私が見つけていないような砂金(良品)が見つかるかもしれないので。


おしまい。


2024年6月17日月曜日

ドラマ 「乱れからくり」

 1982年3月。(副題:ねじ屋敷連続殺人事件)





女探偵『宇内舞子(うだい まいこ)』(古城都(こしろ みやこ))と、その助手『勝敏夫(かつ としお)』(柴田恭兵)は、とっても仲の良い迷?コンビ。


元タカラジェンヌの舞子が起業した探偵事務所に、アルバイトで雇われている敏夫だが、プロボクサーになる夢も決して忘れていない。

暇を見つけては、トレーニングに励んでいる日々である。


そんな二人が《ギャングごっこ》(大のオトナが?(笑))をして遊んでいると、来客が現れた。


ひまわり工芸社(オモチャ会社)の制作部長、『馬割朋浩(まわり ともひろ)』である。


「実は妻の『真棹』(まさお)(新藤恵美)を尾行してもらいたいのだが …… 」



写真を一目見て、舞子も(な~るほど … )と納得した。


(こんな美人の奥さんじゃ、旦那も心配するはずだわ … )


次の日から舞子と敏夫は、真棹をさっそく尾行。


真棹の乗った車は、そろそろとラブホテルへと入っていく。


そうして、しばらくすると一人の男と出てきた。


いかにも好色そうな男、『馬割宗児』(中尾彬)である。

この宗児は、なんと!依頼人・朋浩の従兄弟でもあるのだ。


「これはビッグニュースだよ!、カッチン!!」


嬉々としている舞子の側で、敏夫の方は複雑な気持ち。


真棹が、昔好きだった初恋の人に、そっくりだからなのである。


まぁ、それでも、これは仕事だし割り切らなきゃ。


二人は報告する為、次の日、朋浩の自宅を訪ねたのだが …… ん?アレレ、朋浩が妻の真棹を車に乗せて、どこかへ出かけようとしているぞ。


車が出た後、すぐさま使用人に訊ねると、

「旦那様は奥さまと二人でロサンゼルスの方へ旅立ちましたが …… 」の返事。


「冗談じゃない!払うもの、ちゃんと払ってもらわなきゃ!カッチン、すぐにあの車を追うんだよ!!」

舞子の激に敏夫は車を急いでスタートさせた。


やっと二人の乗る車に追いついた舞子と敏夫。

でも、なんだか昼間なのに空が暗いような ……



その時、空に閃光が走ったかと思ったら、次の瞬間、朋浩と真棹の乗っている車が 大炎上💥した。


「な、なにが突然、起こったんだ?!」


二人は目の前の惨状を見てビックリする。


敏夫の機転で、なんとか真棹だけでも無事に助け出したが、病院に担ぎ込まれた朋浩の方は全身火傷で、すでに危篤状態。


そのまま、こと切れて、あっさり亡くなってしまうのであった。


しかも、朋浩と真棹の乗っていた車の側に落ちてきたのは、普通じゃあり得ないモノ。

宇宙から飛来してきた 隕石☄️だったのである!!(なんて運の悪い奴)



次の日、朋浩の葬儀が行われるのだが、妻・真棹の不幸は、ここで終わらない。


以前、真棹が薬局で買い求めていた 睡眠薬 を、幼い一人息子が、誤って過量服用して 死んでしまうのである。(どこまでもツイてない女・真棹)



もう、心身ともにボロボロ状態の『真棹』(新藤恵美)さん。


真棹は、自分を【悪魔に呪われた女】だと言う。(ちゃんと自覚してたのね)


そうして真棹は、3年前、横浜にあるという奇怪な館【ねじ屋敷】の【巨大迷路】で、『宗児』(中尾彬)に強姦された過去を、ポツリポツリと話しだすのだが ……







原作は、本格推理小説の巨匠:泡坂妻夫(あわさか つまお)さん。


自称推理小説愛好家の私としては、この『乱れからくり』は、とっておきの一冊。

なんせ、私の好きなモノばかりが贅沢に詰めこまれている。


《からくり屋敷》あり〜の、《からくり人形》あり〜の、《意外な真犯人》あり〜の …… 

もう、書き出せば枚挙がないくらいかも。



この『乱れからくり』が、当時、火曜サスペンス劇場でドラマ化された時、たまたま観ていた私は、

「よく、こんなのを映像化してくれたよ!」

と、両手(もろて)を挙げて大喝采をおくったものである。(『宇内舞子』役の古城都さんが、実際に元タカラジェンヌなので、役にもそれが付け加えられたが、そんなの気にならないくらい、ほぼ原作通りの映像化である)


近年、それを、また観られたことは、本当に至福の喜びでございました。


制作には、あの『ウルトラマン』などで御馴染みの円谷プロが関わっているので、冒頭に記した《隕石の落下シーン》や《巨大迷路》なんかも忠実に再現してくれている。



オマケに、こんな細かい仕掛けまで ……


死んだ朋浩が、《ひまわり工芸社》で作っていたお人形。


背中の赤いボタンを押すと、首がまわって ……


こんな恐ろしい顔に早変わりする。


《↑こんな化け物人形、誰が買うねん!会社も傾くはずだわ(笑)》

 


だが、横浜の【ねじ屋敷】には、まだまだ隠された謎がある。


「よかったら、私の住む【ねじ屋敷】に、お二人で遊びにきませんか?」


なにやら、一癖もありそうな宗児の誘い、そして不気味な【ねじ屋敷】。

それでも二人は、《野次馬根性》もとい《探偵根性ヨロシク》で乗り込んでゆくのである ……




この後、お話は、副題の通り凄惨な連続殺人事件へと発展していくのだが、推理ドラマのネタバレほど野暮なことはないので、ここで口をつぐんでおく。(あぁ、推理モノってもどかしい〜)


ドラマの出来は、もちろん、満点の星☆☆☆☆☆。

ドラマが観れない人には、原作の小説も合わせてオススメしときます。




※《くだらない補足①》


【ねじ屋敷】の当主、年老いた『馬割鉄馬』を演じているのは、岸田森(きしだ しん)さんである。


この方、映画版の『乱れからくり』でも、全く同じ役を演じているそうな。(どれだけ、この原作が好きやねん!って話)

もっとも映画版の方は、「んん〜??」な出来だったらしいが。(その事については改めて書くつもり)


尚、こんな年寄りメイクをしているが、実際は、とても若かったのだ。(43歳)

だが、このドラマが放映された年の末に(1982年12月)、残念ながらお亡くなりになったのでした。(永眠、合掌)


尚々、岸田森さんは、名優:樹木希林さんの最初の旦那さまである。(あのファンキーな方は、2度目の旦那さま)



※《くだらない補足②》

新藤恵美さんのお顔が、昔から、子ども心に(何かに似ているなぁ~)と思っていたら、ここ最近になって、ようやく分かった。



この顔を3つ持つという《阿修羅像》にそっくりなのだ。(眉や目が)

でも、本当に我ながら、くだらない補足である。



※《くだらない補足③》


なんとなく思ったこと。

(この《ねじ屋敷》を舞台にしたドラマに出て、中尾彬さんは有名な《ネジネジ》を思いついたんだろうか …… )←(最後は、くだらないダジャレかよ!(笑))


お後がヨロシイようで …… マル。

2024年6月2日日曜日

よもやま話 「君は《龍宮伝説》を知っているか?②」



《↑豊玉姫》



《①の続き》


とうとう豊玉姫のお産の日が間近に迫ってきた。


豊玉姫は考えた。


(産まれてくる子は地上界の人との子供、ならば絶対に地上で産まなければ!)


こんな決意の元、砂浜近くの産屋(うぶや)にやって来た豊玉姫。

尚、一緒についてきた山幸彦には、こんな事を言い含めて約束させてある。


「お願い!私がお産をしている間、絶対に中を覗かないでちょうだいね」と。


こうして一人、産屋に入っていった豊玉姫。



だが!こんなのを大人しく、この山幸彦が聞いてくれるはずもなく ……

(見るな!見るな!と言われれば、人は必ず見てみたいものよ …… )と、こっそり覗き見する。



その瞬間、山幸彦の目は凍りついた。



目の前には、巨大なワニがいて、たった今、産まれたばかり赤ん坊が、側にいたのだ!!(ゲゲッ!)




そんな気配を察知してか、恐ろしげなワニの目は山幸彦を凝視しながら、こう言う。

み〜た〜な〜 …



顔面蒼白になった山幸彦は、全力で逃げ出した。




もう、逃げながら死にものぐるいな様子だ。


走りながらも、今まで豊玉姫と過ごした日々が走馬灯のように頭の中をグルグルと駆け巡りはじめる。



俺はあんな化物と暮らして、何度も、何度もエッチな事をしていたのかぁぁぁーーー!(たぶん、男なら絶対こう思うだろうよ(笑))



走りながら何度か吐いたかも(オェーッ!)。

もしくは、あまりの恐怖で《白髪》になったかも …… (なんか、こんなところから【玉手箱】=【お爺さん】みたいな寓話に発展していったんじゃないのかな~)



一方、豊玉姫様はワニ(本来の姿)のまま、海中へ消え去り、『綿津見神の宮』(龍宮城)へと帰っていった。


山幸彦のことは生涯怨んだという …… (確かに《ワニ》の姿は《》にも似てる。《龍宮城》なんて名称も、やや納得かも)



こうして産まれてきた子どもが、相関図でいうところの、鵜茅葺不合命(うがや ふきあえず の みこと)である。(これも舌を噛みそうな名前。この人も、他にもいくつかの別名があったりする)




ただ、産まれたばっかりの頃はこんなオッサンじゃなく、まだ可愛い赤ん坊なので、豊玉姫は、地上に置いてきた我が子の事を考えては、気をもむばかり。



「ああ、残してきた、あの子のことが心配だわ …… 」

そんな言葉は自然に漏れてしまい、妹の玉依姫(たまよりひめ)の耳にまで届いてしまう。


「お姉様、よかったらワタクシに、その子供の世話をさせてもらえませんか?」


「まぁ、そうしてくれると助かるわ、玉依姫


 《↑(左)妹の玉依姫と(右)姉の豊玉姫》




きらびやかな姉の隣りで、いつも地味目な印象しかない玉依姫。


だが、こういう女こそ、実は底知れぬ 恐ろしさを秘めているものなのだ。



産まれたばかりの『鵜茅葺不合命』(うがやふきあえずのみこと)を育てながら、しばらくして立派な成人に達すると、玉依姫は(チャンスとばかりに)自分の息子を誘惑する。(ゾッとするような近親相姦)


オマケに結婚までして、なんと!子どもまでを、ボコボコこしらえちゃうのだ!!(これは《養育》というよりも《洗脳教育》。オマケに4人も子供を作っちゃうなんて …… まさに《鬼畜》の所業じゃないのか?!)



そうして、その二人の間に出来た子の一人が、日本では一番最初の天皇(紀元前663年統治)、神武天皇(じんむてんのう)になるのだという …………






こんな話が、日本書紀の《龍宮伝説》である。


自分なりの解釈で、現代でも分かりやすく要約して書いてみたが、内容は大体あっていると思う。



そんな話によって建造されたのが《龍宮神社》だったり、全国に散らばっている数々の神社なのである。



確かに面白いよ。

面白いけど、これを、まるまる史実として受け取るのは、かなり無理がある話だ。



大体、ワニと契ってみたり、自分の姉が産んだ子供と結婚して、さらに子供をもうけてみたり ……… こんな奴らが、今に続く由緒正しい天皇の祖先であるはずないじゃないですか。(※尚、豊玉姫に関しては、本当の姿は《》という説もあり)



これも完全なるフィクションだと、私なんかは認識しております。




こんな話をあちこちにバラ撒かれて、本来なら皇室は、全国の神社という神社を相手どって《侮辱罪》や《名誉毀損》で訴える事もできるはずですよ。(絶対に勝訴するはず)


でも、それをしないのは、全国の至る所に神社があることで、日本の自然が守られている事を皇室側が充分に理解しているからである。




海や川、山、田畑などの側に神社があるだけで、その場所は汚されない。

ゴミまみれにならない。



日本は自然に感謝して、そこに神が宿ることを信じてきたからこそ、こうして、ある一定の《清潔さ》を保ってきたのだ。



その為には、祖先が面白可笑しく創作されたり伝えられたりしても、いっこうに構わない!というのが、皇室側の寛大なお考え。


これが、代々続いてきた天皇たちの御心の広さじゃないのかな。



私なんかは、そんな風に解釈している。(オォ!珍しく良いことを書いたぞ)




だからこそ、我々日本人は、大量の風船にゴミや汚物をくくり付けて、隣国に飛ばしたりするような愚かな行為をしなくてすむのである。(最近ニュースでやっていたけど最低最悪の行為だ。いかに信仰心が大事なのかを思わせてくれる)



どんな小さな神社でも、日々感謝して、平身低頭、御参りすれば、そこに《神》は宿るのだ。


そうして願いを叶えてくれるやもしれぬ。




あっ!そうそう、北海道の小樽市にも《龍宮神社》があって、あの麻生太郎氏が参拝した後に内閣総理大臣になったのは有名な話だ。


…… ただ、1年も持たないほど短命な内閣総理大臣ではあったけど ………(「後は本人の問題でしょ!」ってことで、神様も時々、容赦ない)




たまたま今回行った《龍宮神社》で、私も御参りしてきた。



この願いは叶うのか、

叶っても1年くらいはもってくれる … のかな? (未来永劫なんてのは、はなから期待してないけど)



もしも願いが叶えば、その神社の方角に向けて、手を合わせるのもよいかもね。




長々書いてみた《龍宮伝説》の巻でございました。




2024年6月1日土曜日

よもやま話 「君は《龍宮伝説》を知っているか?①」

 



つい先日、鹿児島県指宿市山川町にあるという、九州本土では最南端の場所《龍宮神社》に行ってきました。


《龍宮》…… そう、あの有名なおとぎ話、浦島太郎乙姫様が、初めての出会ったことを記念して、建てられたという神社。


そういう意味も含めて、ここは、【縁結び】の神様などを唱えているのだ。



それにしても、この神社は綺麗だし、まだ新しすぎる。


それもそのはず、昭和の頃には石の祠(ほこら)だけだったものを、平成24年に建立し直したばかりなのである。(なにしろ最南端の場所ゆえ、毎年台風をもろに受けてはボロボロ。無惨な状態だったらしい)


そうして、この神社の真向かいの岬には、こんな灯台がある。



灯台の手前には、こんなハート型♥️のアーチまで。(《縁結び》の意味もあるんだろうが …… もはや、やり過ぎ感も)


こんな漫画付きの相関図まであったりなんかして(笑)。



この相関図も、一応は古来の《記紀(きき)(日本書紀古事記など)》によって書かれたものだけど、本当なのか嘘なのか …… これ自体、あまりにも現実離れした話が多くて、信憑性なんてのは、かなり薄い気がする。


一般的に知られている浦島太郎の物語は完全なるフィクションだ。(明治時代に書かれた寓話である)


この相関図を見ても分かるように、《記紀》では、浦島太郎の名は山幸彦(やまさちひこ)。(またの名を『彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)』や『火遠理命(ひでりのみこと)』、他にもいくつか呼び名があったりして、目茶苦茶こんがらがるし、舌噛みそう😵‍💫



オマケに海幸彦(うみさちひこ)(火照命)なんて長男がいて、山幸彦自体は三男坊である。(なぜか?《浦島太郎》の物語では《太郎》?三男坊だったら《三郎》だろうに)


この二人は名前のとおり、海幸彦は海の漁🎣が得意で、山幸彦は山での狩猟🏹が得意な兄弟である。(次男についての記述は見当たらない。何が得意だったんだろうか?)


ある日、山幸彦が「たまには、お互いの猟具を交換しようぜ!」と兄の海幸彦に提案した。


最初から気の進まない海幸彦だったが、山幸彦の、こらえ性のない性格を充分知っているし、争う気もなく渋々、了承する。(三男坊ってこんなもんよ(笑))


だが、不慣れな猟具では、やっぱり二人ともダメダメで、山幸彦にいたっては海幸彦の大切な釣り針を失くしてしまう


「すまん!アニキ!代わりの釣り針を千本やるから、これで許してくれ!」

「山幸彦よ、あの針は私にとって大事な針。それにとって代われるモノはないのだ」


さすがに(どないしよう …… )と、海辺でうなだれている山幸彦。


そこへ偶然、塩推神(しおつちのかみ)(潮流の神様)が通りかかって事情を話すと、

「『綿津見神の宮(わたつみの かみのみや)』に行ってみれば?」とナイスなアドバイスをしてくれた。(いわゆる龍宮城のことである)


さっそく山幸彦が小舟に乗って海へ進んでいくと、小舟はいつしか異世界のような奇妙な場所へ …… (ここからお話は、SFやらオカルトなどが盛り沢山である)


そこは天国のような場所で、迎えてくれたのは海神様や、美しい豊玉姫様(乙姫様)。


海神様には大層気に入られて大歓迎をうける山幸彦。

海神様の娘・豊玉姫(乙姫様)なんて、山幸彦に一目惚れしてしまい、もうメロメロ状態である♥。


山幸彦は、やっぱり、今で言うところのイケメンさんなのだ。



美しい豊玉姫に言い寄らて、海神様にも「是非、娘と結婚してくれ!」と言われた山幸彦はニヤケ顔で超嬉しそう。


(まぁ、悪い気はしないなぁ~)と、思いながらも、『綿津見神の宮』(龍宮城)でズルズルと暮らすことになったのである。(最初、ここに来た目的も、今じゃ、すっかり忘れたようである(笑))



……… そうして月日は流れて、3年が経った頃 


「そろそろ地上に帰らなくちゃなぁ~」と突然、山幸彦は言い出した。(なんと!地上では、とっくに300年が経過しているのだ。時間の進み方も異様に違い過ぎる)


もはや、山幸彦と別れるなんて無理な豊玉姫は泣いてすがる。


だって豊玉姫のお腹には、山幸彦の子供が、既に出来ちゃっているんですもん。(オイオイ)


それでも帰る気持ちの変わらない山幸彦に、海神様は《海幸彦の釣り針》を探しだしてくれて、釣り針には《兄の海幸彦が精神を病む》ような魔法をかけてくれた。(?)


オマケにこんな手土産までも持たせてしまう。


「これは【鹽盈の珠(しおみちのたま)】と【鹽乾の珠(しおひのたま)】じゃ。これで憎き(?)海幸彦が攻めてきたら、【鹽盈の珠】(水を満ちさせる)で 溺れさせて🌊、許しを請うてきたら、【鹽乾の珠】(水を日照らせる)を使って☀️助けてやるのだ!」(???)


この3年もの間に、兄の海幸彦の悪口を海神様に散々吹き込んでいたのだろうか …… 海神様の中では、海幸彦なんてのは、可愛い娘婿(むすめむこ)を苦しめるだけの存在。


まるで 極悪人扱い なのである。(なんてイヤ〜な性格の山幸彦!!悪いのはむしろお前だろうに💢


こうして地上へ帰ってきた山幸彦は、ドラゴンボールのような不思議玉を使って、兄の海幸彦を屈服させた。(兄も地上では300年も経ってるのに、よ〜生きてたよ。やっぱり神様だから?)


イケメンでも、心はずる賢い悪魔。😈


根っから根性が腐っている山幸彦。


そんな中で豊玉姫のお産の日は、刻一刻と近づいてゆく …… 


《②へ続く》