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2022年4月23日土曜日

ドラマ 「『わが子よ』シリーズ」

 1981年〜1986年。(シリーズ全6作)




写真は女優、小林千登勢さんと星谷和美さんである。(星谷和美さんを知ってる人、何人いるかなぁ~)



その昔、お昼には、専業主婦たちの為の良質な帯ドラマの時間帯が特別に設けられていた。


旦那や子供を、仕事や学校にとっとと(出ていけ(笑)!)送り出し、家事をこなした後は、ゆっくりとお昼を食べながら、午後の短い帯ドラマを観る。


そんな習慣が当たり前だった時代に、午後13時から30分間、月曜から金曜の帯で『花王 愛の劇場』は放送されていたのだ。(1969年〜2009年まで。長っ!)



その中でも、わたしが特に観ていたのは、この『わが子よ』のシリーズ。



もちろん、お昼放送の時間帯には学校に行っている自分なんか観れるはずもないのだけど、この『わが子よ』のシリーズに限っては、毎年、夏休みの7月から8月の末ギリギリまで放送されていたので、けっこう観る機会はあったのだ。



お話の骨格は全シリーズ、ほぼ決まっている。



小林千登勢さん演じる母親(離婚して一人で生計をたててる)と難病に侵された娘が、試練を乗り越えて、再生しようとする感動ドラマだ。(後、一家には祖母がいたり、幼い弟がいたりする)



全6シリーズをとおして、母親役の小林千登勢さんの登板は変わらず。


祖母役の川上夏代さんも、ほぼ同じだった気がする。


川上夏代さん。この人も有名なおばあさん女優でした》



娘役は、第1作と2作目を、あの《わらべ》やドラマ『積み木くずし』で有名な、高部知子さんが熱演。(この方、本当に演技力にかけては、当時、ズバ抜けて上手かった記憶があるので、《例の事件》がなければ、今頃、名女優になっていただろう)



3作目は全く覚えてなく、確か、4作目は娘役を若林志穂さんがやっていたはず。(この辺りの記憶は、ちとボンヤリで曖昧)


なんせ、《難病ドラマ》なので、扱う病気も特殊なモノばかり。


《骨肉腫》だったり、《腎臓病》だったりするので、演じる方も大変そうであった。




で、私の記憶がハッキリしてるのが、『 わが子よ Ⅴ 』の、小林千登勢星谷和美の母娘編なのである。



美容院を切り盛りしている『香山由紀』(小林千登勢)。(やっぱり、ここでも夫はいない)


年老いた祖母『かね子』(川上夏代)、小学生の息子。


そうして、中学三年生の娘『みずき』(星谷和美)のいる一家は、けっして裕福ではないけれど、ごくごく平凡な4人家族だ。




目下、娘のみずきは、女ながら柔道部に所属していて、猛練習に明け暮れる日々。


そんなみずきが、ある日練習していると、突然《右脚》に、今まで感じた事のないような激痛がはしる。




「痛い!痛い!痛ーい!!」

柔道部の顧問の先生や母親の由紀にともなわれ、即、病院に駆け込んで精密検査をしてみると …… 検査の結果はなんと!10万人に1人と言われるような難病、《 骨肉腫 だったのである。


母親・由紀は大ショック!(((;ꏿ_ꏿ;)))(愕然!)


「あの …… 娘は治るんでしょうか?!だって、あの子まだ中学生で …… 脚を切断するなんて …… そんな、とても残酷なこと …… 」


主治医も、なんとか脚の温存を試みようと、頭を悩ませて、「《人工骨》を埋め込む手術をやってみましょう!」と提案する。


(これで、なんとか良くなってくれれば …… )


そんな藁にもすがる思いの由紀の願いも届かず …… 手術の結果はあまり芳しくなかった。


このままでは、命の危険さえ伴わないのだ。



医者は苦渋の決断で、今度は《右脚の切断手術》を提案した。



こんな提案に、若いみずきが簡単に納得するわけもなく ……


「イヤよ!イヤ!脚を切るなんて絶対にイヤー!脚を切るくらいなら、このまま死んだ方がマシよ!」と、ただ泣きじゃくる日々。


そんな娘の不幸に、オロオロして苦しみ、一緒に涙を流す『由紀』(小林千登勢)。(本当に壮絶なドラマである)


だが、時間はあまり残されていない。

このままでは命の危険さえあるのだ。


周囲の説得や、涙ながらに懇願する由紀に、娘のみずきも、とうとう折れて手術は開始された。




そうして、麻酔から覚醒めたみずきは、ベットに横たわりながら、目線の遠い先にある、無くなった《右脚》の方を見て愕然とする。


(もう、何もかも終わり …… これなら死んだ方がマシだった)と ……。


心は失った右脚と一緒に、どこか遠くへいってしまったようだった。




そして夜間、手術が終わったみずきに、母親の由紀が付き添っていると、突然、みずきが苦しみだした。


「痛い!右脚が痛い!!」叫び続けるみずき。


「痛い!」って …… もう切断して無いはずの右脚なのに、コレはどういう事なのか?!



オロオロした由紀は、早速主治医に訊ねると、

「おそらく、《 幻肢痛(げんしつう) 》でしょう」と、今まで聞いたこともない答えがかえってきた。


「《幻肢痛》…… なんですか?それ?!」

「右脚が無くなっても、頭の中では、まだ右脚があるような感覚が、まだ残っているのです。《幻》の右脚の痛みと言っていいでしょうか …… 」

「そんな …… 」


再び、病室に戻ると、額には汗をかきながら苦しみ続ける娘の寝顔。


そんな娘みずきを涙ながらに見つめながら、母親・由紀は一晩中、無いはずの右脚をさすり続けてやるのであった ………




もう、涙!涙!涙 !(╥﹏╥) !(ウルウル)


こうして書きながら思い出しても、涙なくしては観られないようなドラマである。




もちろん、この後、みずきは周囲の人々の励ましや助けをかりて立ち直り、義足をつけて、障害者ランナーとして立派に歩みだすのだけど ……



このみづき役の星谷和美さんが可愛らしくて、可哀想で、夏休み中、私なんか夢中でかじりついて観ておりました。


この星谷和美さん、てっきり、この当時の自分と同じ年齢だとばかり思っていたのだが、なんとこの時は、もう19歳になっていたという。(19歳で15歳の中学生役がまわってくるとは。でも違和感なく観てたけど)


それにしても、CGすら無い当時、片脚を切断した役を演じる為に、終始右脚を後ろに折り曲げて縛りながらの長期撮影は、相当大変だったろう。


他の演者たち、高部知子さんや、若林志穂さん、それに星谷和美さんにしても、若手でも、このドラマに限っては、充分な演技力と気迫がなければ成し遂げられないほどの難役。


演技派たちの登竜門的なドラマだったのかもしれない。(その後、皆が引退してしまったのは残念だが)




そうそう、このドラマの主題歌を、あの荻野目ちゃんが歌っているのも見逃せない。



主題歌『心のままに 〜I’m just lady〜』は、隠れた名曲である。


♪ just lady、so lady、強く生きて

♪ 辛い思いに負けないで

♪ just lady、so lady、くじけないわ

マイ・ ハート、泣かないで〜


次作『ダンシング・ヒーロー』で大ブレイクする荻野目ちゃんの、夜明け前の曲は、しっとりと心に染み入るように、このドラマの内容とリンクして聴かせてくれる。(是非とも知らない人は聴いてほしい)



時折、この曲を聴いたりすると、あの頃の『わが子よ』のドラマに結びつけて、途端に記憶の扉が開かれてゆく。

すると、こんな風にドラマの内容を鮮明に思い出してしまう私。



曲もドラマも、良質だからこその《不思議》?なのかもしれない。

星☆☆☆☆。


※このドラマ、どっかで再放送してくれないかなぁ~(それにしても、あちこちで画像を探したけど見つからないや。覚えてる人も段々少なくなってきた?)


昭和は遠くなりにけり(笑)