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2021年9月21日火曜日

映画 「ミュンヘンへの夜行列車」

 1940年  イギリス。




第二次世界大戦前夜。


ヒトラーの指揮下にあるドイツ軍が、チェコスロバキア、プラハの上空から、

「ボマーシュ博士を引き渡せ!」のビラを一斉にばら撒いた。


チェコで特別な装甲板の開発に勤しむ天才科学者『ボマーシュ博士』。


ボマーシュの研究はドイツにしてみれば喉から手が出るほど手に入れたいものなのだ。


博士は、身の危険を感じて、娘の『アンナ』(マーガレット・ロックウッド)と一緒に英国に亡命しようとするのだが、時すでに遅し。


娘アンナはドイツ軍に捕まって、あっけなく強制収容所送りとなってしまう。


無理矢理チャーター機に押し込まれたボマーシュ博士は、心残りのまま一人、英国へと向けて旅立っていった。



そして、強制収容所………


ヒトラーの思想に逆らって、ドイツ兵にボコボコにされている人々の中に、『カール・マルセン』(ポール・ヘンリード)という若者がいた。


元教師であるマルセンは、ドイツ語教育を拒否した為に収容所送りになったのだという。


そんなマルセンに同情していくうち、アンナはすっかり打ち解けて親しくなっていく。


ある日、鉄柵越しにマルセンがアンナに話しかけてきた。


「見ろ!あの見張りは昔、知り合いだった男だ。もしかしたら脱走に協力してくれるかもしれない」


「でも、上手くいくかしら……」 


そんなアンナの不安をよそに、マルセンの手引きで、二人は見事に収容所から脱走した。


「やったー!」喜ぶ二人は船に乗り、無事にイギリスへと辿り着く。



だが、あまりにも簡単すぎやしないか?


そう、このカール・マルセンという男はナチス・ドイツの手先だったのだ!(ゲゲッ!騙したのね!)



「いいか!娘に、新聞で尋ね人の広告を載せさせるんだ!きっと向こうからコンタクトをとってくるはずだ」


「分かりました」


アンナの信用を得て、博士の居処を突き止める作戦なのである。

そんなマルセンに、だまされてるとも知らずに、すっかり信用しきっているアンナ。


アンナが広告を出して、しばらくすると、滞在するホテルに謎の男から電話がかかってきた。


「港町の演芸場へ行け!そこで『ガス・ベネット』を探すんだ!」


訳の分からないアンナ………

でも、(父に会えるのなら………)という思いで誘い文句にのると、次の日、見知らぬ男『ガス・ベネット』を探してまわる。


そんなアンナに目を光らせているマルセンがいるとも知らずに………。




以前、アルフレッド・ヒッチコック監督がイギリス時代に撮った映画『バルカン超特急』を、このblogでも取り上げて、猛烈に褒めちぎった事があった。


とにかく古い映画(1938年)なのだけど、テンポはいいし、大勢いる出演者たちのキャラクターたちも、それぞれ立ってる。


それにミステリーなのに、全編にユーモアが散りばめられていて、徹底した娯楽作品に仕上がっているのだ。(これぞ!まさにエンターテイメント!って感じ)


だから、監督は違えど、姉妹編と噂されていた、この映画『ミュンヘンへの夜行列車』も観る前から、期待値は相当上昇していたのである。



なぜ?この両作は《姉妹編》なんて扱いで呼ばれているのか?



1、作られた年代が共に近いこと。(『バルカン超特急』1938年、『ミュンヘンへの夜行列車』1940年)


2、《列車》を取り扱っていること。


3、共に両作のヒロインを、マーガレット・ロックウッドが演じていること。(私、この人が大好きである)


4、そして、共に、ノーントン・ウェインベイジル・ラドフォードのコンビ俳優が、同じような乗客役で出演していること。



これだけ共通点があるのだから、比べられるのも仕方ないというものである。




で、やっとこさ念願叶って観れた『ミュンヘンへの夜行列車』だったのだけど………



ちょっとばかし、ハードルを上げすぎたのかもしれない。



まぁ、とにかく話が遅々として進まないのだ(笑)(「いったい、いつになったら列車の旅になるんだ?!」って感じ)



この後、やっと探し当てた『ガス・ベネット』もとい、本名『ディッキー・ランドール』(レックス・ハリソン)のおかげで、やっと親子は再会する。(『ベネット』、『ランドール』……呼び名が多すぎて、このあたりは頭がこんがらがってくる)



それでも、またもやナチスに裏をかかれて、今度は親子共々、ナチスにさらわれてしまう始末。(またかよ)



そうして、今度は、この『ランドール』が自身の汚名返上とばかりに、逆にナチスの将校に変装して、アンナとボマーシュ博士の奪還に乗り出すのである。(ここまでで映画の半分が経過している)



「もう、いつになったら列車に乗るんだよ!」なんて次第にイライラしはじめていたら、終盤になってやっと駅の場面。



「娘と博士をミュンヘンへ連れてこい!」と、ナチスの上層部より命令がくだされて、駅に連れて来られる親子。


「娘は私を信頼しています!私も同行します!」とナチス将校に扮した『ランドール』も乗り込んでくるのだが、それに疑惑の眼差しを向けるのが、あのカール・マルセン。


そんなナチだらけが占拠する列車に、あの!『バルカン超特急』でも活躍した迷コンビが、やっと乗客として乗り込んでくるのである。(oh! 懐かしい!)

ノーントン・ウェインベイジル・ラドフォードの迷コンビ。(水玉模様の蝶ネクタイがベイジルの方)



変装しているランドールに見覚えある『カルディコット』(ノーントン・ウェイン)が、


「アイツは英国人だぞ!クリケットの名人だった奴だ。なんでナチなんかに変装してるんだ?!」


と気づいて、『チャータース』(ベイジル・ラドフォード)にそっと耳打ちする。(なんと!『バルカン超特急』と同じ役名)


やがて、事情を知った二人はランドールに協力して、アンナと博士奪回の為に人肌脱ぐのである。(二人ともナチスに変装する)



そうして、なんとかナチスの裏をかいて、ミュンヘン行きへの列車から脱出した御一行は、車でスイスへ行くロープウェイまで到着。(騙されたと知るカール・マルセンとナチスたちも「逃してたまるかー!」の勢いで、後を追いかけてくる)


博士とアンナ、コンビ二人を先にロープウェイに乗せると、一人残った『ランドール』(レックス・ハリソン)は、ナチスの集団相手に、激しい銃撃戦がはじまる。



さぁ、ナチスの猛攻撃を振り切って、ランドールは、アンナたちのいるロープウェイの向こう側まで無事にたどり着けるのか………



こんな話が『ミュンヘンへの夜行列車』の主なあらすじである。(ほぼネタバレになってしまったかも)


観終わってみれば、これはこれで、中々面白かったって思えるんだけど。(列車の場面って、「コレだけ?」と、ちと拍子抜け)



ほぼ、後半はレックス・ハリソンが一人活躍する。



なんだか顔の幅が狭くて、長〜い顔が独特のレックス・ハリソン。


これで6回も結婚して、愛人がわんさといたプレイボーイだったというから、人の好みは、よ〜分からん。(愛人が自殺したり、その後も離婚した相手も自殺したりして、次から次に波瀾万丈の人生。プレイボーイというよりは《魔性の男》かも)


この映画では、まだデビューして間もない頃じゃないかな。(後に、オードリー・ヘプバーンとの『マイ・フェア・レディ』やジーン・ティアニーとの『幽霊と未亡人』で、光る演技力を見せつけるハリソンさんなのだけどね)




ヒロイン役のマーガレット・ロックウッドは、さすがに綺麗で、モノクロながらも色々な衣装で(目の保養)楽しませてくれている。


でも、不満も少々ある。


この映画での扱いが、父親のボマーシュ博士と一緒で、まるで《記号》みたいな印象しか受けなかったのである。


ヒッチコックの『バルカン超特急』では、怒ったり、動揺したり、笑ったり、はしゃいだりしていて、色々な表情を見せてくれていたのに。(敵相手にキックもした)



この映画でのアンナ役は、自分の意志に関係なく、どこか、その境遇に流されるがまま。


ちょっと物足りなさを感じてしまった。(もっと、ハッチャケたマーガレットが見たかった)




ノーントン・ウェイン&ベイジル・ラドフォードのコンビは、この映画でも大活躍する。


この二人が出てきた後半から、この映画は、やっとエンジンがかかって面白さを増し、怒涛のラストまで牽引してくれている。(この二人は流石である)




この映画の監督は、キャロル・リード



以前『第三の男』でも書いたのだが、この映画でも同じように、場面場面では、惚れ惚れするような構図で、綺麗なモノクロを撮りあげている。


ただ、この人の場合、物語の進行としては、少しばかり不出来な部分もある感じがする。



昭和の時代に、あれほど持ち上げられていた『第三の男』も、平成を過ぎて、令和になると、その評価は、もはや持続出来ていない事に最近になってビックリした。(今じゃ、キャロル・リードのランキングでも『第三の男』は5位なのだ)



それに、この『ミュンヘンへの夜行列車』と『バルカン超特急』を比べてみても、ハッキリと分かるのは、《ユーモア》の足りなさ。



騙し騙されの掛け合いは、あまりにも続けば、少々《しつこさ》を感じてしまった。


それゆえに前半は少し退屈、後半はノーントン・ウェイン&ベイジル・ラドフォードのおかげで最高でございました。



1940年の戦争真っ只中ゆえ、仕方ない事なのかもしれないけど、それでも『バルカン超特急』を痛快な娯楽作に仕上げた、監督のヒッチコックと脚本家のシドニー・ギリアットの力量は並々ならぬモノがあると思う。(おかげで80年以上経っても楽しんでおります)



でも、この《ユーモア・センス》ばかりは、昨日今日で、誰でも身につくものでもないしねぇ〜。(それぞれの監督の資質の違い。生来持ち得るモノって感じですかね)



《姉妹編》なんて呼び名も、監督同士の力量を秤にかけるようで、なんだかキャロル・リードには、ちと残酷な事なのかもしれない。



この映画はこの映画で、充分に佳作と呼べるのだから、良しとしときましょうかね。


星☆☆☆。


※でも『バルカン超特急』は数倍楽しい事を請け負っておく。(あっ、また言っちゃった (笑) )