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2020年10月28日水曜日

ドラマ 「父母の誤算」

1981年。




まぁ、画像を探したけど適当なモノが見つからないわ。


そのくらい、もはや覚えている人も少ないのかな?

写真は最近の利重剛さんである。




このドラマ、金曜の夜10時くらいにやってたっけ。


私、当時、中学1年だったけど、このドラマを何となく観ておりました。(「中1が遅くまで起きてないで、さっさと寝ろよ!」とは言われない。うちは放任主義)




脚本は小山内美江子で、あの『金八先生』で有名な方。


近年、この小山内美江子を、ある番組で観る機会があったんだけど、本人も中々強烈だった。


数十年ぶりに、金八先生に出演していた上戸彩が会いに行って、「先生、お久しぶりです」と挨拶するも、

「誰だ?!お前!!」のドスのきいた迫力の一言。(終始、上戸彩がヘイコラ気を使っていて、「エラソ~な、イヤな感じの婆さんだなぁ~」に見えてしまった。)


まぁ、逆に、このくらいアクが強い性格だからこそ、あの脚本が書けるんだろうけど。




このドラマ、脚本が小山内美江子でもあり、その息子である利重剛が俳優デビューをした作品でもある。


とにかく、この利重剛が演じた『高井洋二』という役柄が、とんでもなくイヤ~な野郎。


こうして何十年経った今でも、その印象が、あまりにも強くて、ずっと尾を引いているくらいなのだ。


テレビでたまに利重剛を見かける事があっても、自分にとっては、いつまでも(あのイヤ~な感じの『高井』)なのである。(本人は良い人柄なんでしょうけど。ゴメンナサイ)




『高井洋二』という高校生は、不良は不良なんだけど、見た目がツッパリの格好をするわけでもなく、ガムシャラに暴れまわる不良とはわけが違う。


知能犯、確信犯の不良なのである。



大人の前では平身低頭、気弱な仮面をかぶって欺き、裏では態度を豹変させる不良生徒。

大病院のエリート一家に生まれた高井は、上手に仮面を使い分けて生きてきたのだ。



そんな高井が、東京から静岡の高校に編入してくると、途端に嵐が起きる。


転校初日からタバコを吸っているのを咎められるも、「ボクは吸ってません!」、「ボクは不良たちに使いパシリをされただけなんだ!」の気弱そうな顔で弁明。


だが、裏にまわれば「馬鹿な教師たちが……」と、ほくそ笑むのだ。(気持ち悪いし、まぁ、憎たらしい)



大人を完全にナメきってる高井。



だが、校長の『中林繁雄』(露口茂)だけは、そんな高井に欺かれることなく、歪みきって腐りきった高井を「何とかしてやらなければ……」と考える。(長年、『太陽にほえろ!』で悪党たちを相手にしてきた山さんですもん。こんな小悪に騙されるもんですか)



「必ず教育は人を救うんだ!」を理念としている中林繁雄に迷いはない。



ついには、高井や他の問題児たちを、住み込みで自分の家に置いて、学校に通わせながら面倒をみようと言いはじめたのだ。


そんな繁雄の提案に、妻の『せつ子』(長山藍子)は、最初こそ、「あたしは反対です」の一点ばり。


「うちには年頃の娘がいるんですよ!そんな人たちをうちに入れるなんて……問題が起きたらどうするんです?!」(長山藍子なんで、ユックリ、やんわり、しとやかな口調を崩さない。決してヒステリックに激昂なんてしません(笑))


そんなせつ子だったが、夫の繁雄の熱意に、次第に根負けして、不良たちを住み込みさせる事を、やっとこさ同意する。



だが、せつ子の予感は当たり……高井や不良たちは次から次へと問題を起こして……。


校長、中林繁雄の熱意は彼ら、不良たちを更正させられるのか………?





………っていうのが、大まかなドラマのストーリーである。


こんな書き方をすると、「どうせ熱血教師と不良のドラマなんだろ?」と思う人もいるだろうが、このドラマに限っては、少し毛色が違っていたような気がする。



なんせ、主人公の『中林繁雄』(露口茂)が会議好き。


なにか、事があれば、家族を集めて家族会議をする。そして問題の対処法を皆で考えるという特殊な家庭だった。(山さんったら……)



しかも不良たちにも手を挙げずに、コンコンと、まるで刑事の取り調べのように、自分のやった事を反省させ、さとすように、あの独特なしゃがれ声で説得するのである。(もう、山さんったら……(笑))



でも、こんなんで不良たちが改心するのかねぇ~、と思っていたら案の定、高井や不良たちは隠れて、タバコをプカプカ。



そんな時、とうとう、妻の『せつ子』(長山藍子)が動き出す。




「みんなー!ご飯よ!!降りてきて!!」


せつ子の声に、2階にいる高井や不良たちが1階の茶の間に降りてくると、せつ子が夕飯を並べている。



側に置かれた炊飯器からは異様な匂いが漏れている。


「うっ、何ですか?この匂い……」


せつ子が炊飯ジャーの蓋を開けると、異様にムワァ~と広がる匂いと共に、とんでもないモノが目に入ってきた。



大量のタバコと一緒に炊かれた米……通称《バコご飯》である!!(ゲゲッー!)





高井たちが驚愕している中、せつ子はニッコリ笑いながら、その《タバコご飯》を一人一人のお茶碗によそいはじめた。


「みんな、タバコ大好きよね?イッパイ炊いたんだから沢山食べて、おかわりしてね!」


せつ子の態度はどこまでも、にこやかで飄々としている。



そのせつ子の様子に、さすがの高井や不良たちもガタガタ震えだし、とうとう土下座して謝ったのだった。


「スミマセン!奥さん、スミマセン!!」と。



そんなせつ子はユックリ振り向くと、「タ・バ・コ・やめてもらえるわね?」と、一言。



やんわり、しっとり、おだやかに……『せつ子』(長山藍子)の口調は変わらないけど、それがかえって不良たちには不気味な怖さとして見えた瞬間だったのである。





こんなの食卓に出された日にゃ、そりゃ禁煙もできるでしょうよ (笑)。


この伝説の《バコご飯》、『高井』(利重剛)の気持ち悪さ、長山藍子の肝のすわった怖さ………これも何年経っても、忘れられないトラウマドラマである。


DVD化は、やはりされていないが、どこかで観る機会があるなら、もう一度観てみたいものだ。


錆び付いた記憶の欠片として、ここに記しておきたいと思う。

星☆☆☆。


※昔は、こんな長山藍子とか、独特な口調の人が、けっこういたよなぁ~。


そんな女優さんを、最近見かけなくなった今、ちと不満をもて余す、今日この頃なのである。


2020年10月22日木曜日

ドラマ 「セーラー服反逆同盟」

1986年10月~1987年3月。



最近、数十年ぶりに女優復帰した仙道敦子(のぶこ)さん。


失礼だけど……歳をとったなぁ~ (まぁ、観ていた自分も人の事言えないのだけど)



若い時の仙道敦子は可愛かった。

大きな猫のような目と、笑うと少しだけ見える八重歯。


子役から着々と演技力を磨いてきた彼女は、少女に成長し、やがて女優として駆け上がる前、アイドル的な要素を求められてくる。


一方、中山美穂は当時、人気絶頂のアイドル。



そんな二人がW主演したのが、この『セーラー服反逆同盟』なのだ。


クレジットは中山美穂がトップだが、実質、物語を牽引するのは仙道敦子。


……と、いうのも中山美穂が当時、チョ~!忙しすぎた。


このドラマの他にも、別の連続ドラマ『な・ま・い・き盛り』の主演。(信じられない!2本の連続ドラマを掛け持ちですぞ!)


他にも、歌番組は夜のヒットスタジオやベストテンなど生放送ばかりの時代。

あちこちの現場に駆け回り、寝る間もない毎日である。


今思うと、未成年をこき使うだけこき使う、ブラック事務所のように思えてくるが。(案の定、中山美穂は次の年、過労でぶっ倒れてしまう。当たり前だ!翌年も2本の連続ドラマを掛け持ちなんてさせるんだから!)



でも、昔のアイドルはやっぱりスゴイよ。


愚痴の一つもこぼさず、倒れては起きて、点滴や注射をうちながらも、それをやり遂げるんだから。


健気というか、何というか……それを応援しようとして、大勢のフアンがつくのも当たり前かもしれない。



そんな仙道敦子と中山美穂に加えて、山本理沙、後藤恭子が加わり、この四人の少女たちが《セーラー服反逆同盟》なのである。(山本理沙も後藤恭子も、最近全く見ないけど元気~?)



悪がはびこる黒鳥学園に転校してきた『ユミ』(仙道敦子)は、学園の清浄化を願う『ルリ』(山本理沙)、『ケイ』(後藤恭子)と、まず3人で反逆同盟を結成する。(弱っちい不良男子校生、『裕太』(南渕一輝)だけは3人の正体を知っていて、頼りにならない助太刀をたま~にする。)


そして、そんなユミたちの動向を知りながらも、理事長の娘という立場上動けない『ミホ』(中山美穂)は、3人がピンチの時に薔薇を投げて危機を救う。(この武器の薔薇投げ…薔薇が途中で爆発して、敵の目を上手く塞ぐという、とんでもない仕掛けになってる。ど~なってるの?)


夜の暗闇、悪党たちの前に突然現れた白いセーラー服姿の少女たち。


ドぎつい化粧と鬘で、素顔を隠して名乗りをあげる。


闇の中で、のさばり続ける悪党ども!

(『ルリ』(山本理沙)が太股から、鋭利に尖らせた大針を取りだしながら叫ぶ!)


てめぇらのようなワルは許せねぇー!

(『ケイ』(後藤恭子)が、セーラー服の襟にあるスカーフを引き抜くと黄色い極太チェーンが!)


天に代わって成敗する!

(『ユミ』(仙道敦子)は、鋼のチェーンがついた赤いパワー手袋をはめて、颯爽とかまえる)


純潔と燃える正義の……

(『ミホ』(中山美穂)は20話から参戦。武器はもちろん、両手に深紅の薔薇)



そして全員で、「セーラー服反逆同盟!!」


もうこの後は怒濤のアクション。


大勢の敵が一斉に襲ってくると、連続パンチが、まわし蹴りが敵をバッサ、バッサと叩きのめす。


ルリの投げた大針が敵の手を突き刺し(痛そう~)、ケイのチェーンつきのスカーフが首を絞めて引き倒す。


ミホの振り回す薔薇は、相手の顔を切り刻み、仲間のピンチには薔薇を(シュバッ!!)投げて助ける。

そして、それは爆発して上手いこと花びらが目を塞いでくれる(笑っちゃいけない(笑))


そして、ユミは空中に高々飛び上がり、とどめのライダー・キックで華麗に仕留める!!



観た事ない人には、「何のこっちゃ?」ってな具合だろうが、いちいちツッコミをいれながら、怒濤のアクションの流れに身を任せて楽しむ。これが最高に痛快で面白いのだ。



そして、このドラマ、何気に出演者たちも豪華。


ユミの育ての親であり、叔父には『愛川欣也』(キンキン)


元はユミの母親であり、黒鳥学園の理事長の後妻におさまって、影の支配者として君臨している悪の総元締めに『奈美悦子』


他にもヤクザの親分のような校長役には、『藤岡重慶(じゅうけい)』(あしたのジョーの丹下団平の声優として超有名。不良生徒たちに「お前らは学園のクズたちだぁー!」って罵る声が、もう丹下団平である(笑))


その校長の秘書兼愛人に、『中島はるみ』(元、女Gメンじゃないですか!)


暴力体育教師には『安岡力也』(ホタテをナメるなよ)


変態教師に『竹中直人』(語尾に「……ざんしょ!」をつけるのが口癖。まぁ、ドラえもんのスネ夫みたいな男である)


生徒役には、ブレイクする前の『森口博子』がいたり、変な刺客の『大杉漣』がマントをなびかせて反逆同盟に立ち向かったり、今となっては、ある意味、貴重かも。



日テレが、フジテレビの『スケバン刑事』に対抗して作られた『セーラー服反逆同盟』だったけど、気付けばマニアックなフアンに支えられて、これはこれで、当時ヒットしたみたいである。



なんたって仙道敦子が可愛いもんね。

もう、星☆☆☆☆をあげときます。


※それにしても、30分くらいの少年少女たちが夢中になれるような連続学園ドラマ、また復活しませんかねぇ~(頼みますよ!)


2020年10月18日日曜日

映画 「血とバラ」

1960年 フランス、イタリア合作。




そのむか~し、赤川次郎の小説に凝っていた時期があって、手当たり次第に読んだ小説の中に、連作短編集である『血とバラ』もあった。


《懐かしの名画ミステリー》と銘打っていて、表題タイトルの『血とバラ』の他にも『忘れじの面影』、『自由を我等に』、『花嫁の父』、『冬のライオン』なんてのもあったっけ。


いずれも、古きよき時代につけられたセンスの良い邦題の映画で、その邦題にインスピレーションうけて全く別の物語を書きあげる、という赤川次郎らしい独特の着眼点で書かれた短編集である。(こういう小説の書き方もあるのか…、と当時感心した覚えがある。)



この《懐かしの……》のシリーズは好評だったのか、その後も『悪魔のような女』、『埋もれた青春』と続いていき短編集が続々と発売された。


「この短編集に入れられているタイトル、元になった映画を探して観てみるのもいいかも……」なんて、当時思ったりもしていたくらいだ。


でも、いまだに、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『悪魔のような女』しか観れてないのだけどね。




今回の『血とバラ』は、たまたま見つけた動画で決して画質も良いモノではないのだが、それでも何十年越しの願いが叶ったんだし、「まぁ、これでもいいか……」なんて言いながら観た次第。(できたらDVDかBlu-rayで観たいけど。でも販売されておりません)



監督はロジェ・ヴァディム


《監督のロジェ・ヴァディム》


スケコマシ(失礼!(笑) )、名うてのプレイボーイとして有名。

ブリジット・バルドーカトリーヌ・ドヌーヴジェーン・フォンダと、取っ替え引っ替え浮き名を流してきた監督さんである。


この『血とバラ』の主演アネット・ヴァディムは、バルドーと別れて間髪入れずに再婚した2度目の妻。(でも、たった2年で離婚しちゃうけど)



アネット・ヴァディムを見たのは、この映画が初めてだけど、やっぱり、どこかバルドーやカトリーヌ・ドヌーブ、ジェーン・フォンダたちと見た目も似かよっている。


金髪で長い髪、肉感的なプロポーション……

生涯、結婚離婚を繰り返したヴァディムだけど、どうも好きになるタイプは同じだったらしい。(なら、離婚しなくてもよさそうなのにね)




この『血とバラ』には、原案があって、1872年にアイルランド小説家ジョセフ・シェリダン・レ・ファニュによって書かれた女吸血鬼『カーミラ』が原案になっている。


この小説、ブラム・ストーカーが書いた有名な『吸血鬼ドラキュラ』よりも古くて、(『ドラキュラ』は1897年)、いわば吸血鬼小説の元祖的な作品なのである。



小説の方は、19歳の主人公ローラの回想形式で、自分が出会った吸血鬼少女『カーミラ』(カルミラと書かれた小説もあり)の事を語っているのだけど

この冒頭の雰囲気、どこかで………


そう、漫画『ガラスの仮面』で北島マヤのライバル、姫川亜弓が劇中劇でやっているのを、すでに読んでいたのだ、私。(詳しくはガラスの仮面単行本16、17巻を参照くださいませ)



映画の方は、この物語を下地にして、現代(当時の1960年)にあわせて作られている。





1765年、イタリア貴族カーンシュタイン家には吸血鬼の噂がたっていた。


農民たちはカーンシュタイン家の墓地に眠る先祖の墓を掘り起こし、胸に杭を打ち込み焼き捨てるという、とんでもない暴挙にではじめたのだ。


ただ、当時の当主ルードヴィッヒは、結婚式当日に亡くなっていた『ミラルカ』という女性の遺体だけを、どこかに隠していた為、ミラルカの遺体だけは難をのがれて無事だったという。



それから時は流れて、1960年。


今のカーンシュタイン城の当主『レオポルド』(メル・ファーラー)は、美しい女性『ジョージア』との結婚式をひかえていて、客人たちを集めて婚約パーティーを開こうとしていた。


「盛大に花火を打ち上げよう!」


そんなレオポルドの計画に、花火職人はある提案をする。

「城の向こうに見える、あの《塔》の辺りから花火を打ち上げて、美しい光りのシャワーをお見せしますよ!」と。



その言葉に、古くからこの土地に住んでいる住人や召し使いたちは咄嗟に顔色を変えた。


そんな様子に、婚約者『ジョージア』やジョージアの父親は困惑顔。


場の雰囲気を凍りつかせた花火職人も「???」顔で、急にオドオドしはじめた。



そこへ、レオポルドのいとこ『カルミーラ』(アネット・ヴァディム)が客室に現れて、さきほどの古くから伝わる《吸血鬼伝説》を話し始めたのである。


「 ……… ミラルカの遺体は、それ以来見つかっていないのよ………そのミラルカが書かれたのが、この壁にかけられているのがミラルカの肖像画よ …… 」


カルミーラが指差した壁の肖像画には、白いドレスを着て手には枯れた赤いバラを持ったミラルカなる人物が描かれている。

それは側に立って説明しているカルミーラに瓜二つなのだった。


「まぁ、怖いわ!」

レオポルドに駆け寄るジョージアに、カルミーラの表情が一瞬曇った。


(私の愛するレオポルドが……こんな女と結婚なんて………)怖がらせて《結婚》を諦めさせる気だったのに(あらあら)カルミーラの行動は裏目に出る。



こんなカルミーラの想いをよそに、準備はドンドン進められていき町の人々を大勢集めて、盛大なパーティーは始まった。


夜空に次々上がる盛大な花火に人々は歓喜している。


だが、それが突然爆発すると(失敗か?)、塔の近くあたりで、モクモクと煙りが上がりはじめた。


「大変だ!」

皆が大騒ぎしている中、カルミーラが、こそっと白いドレス姿で現れる。



そんなカルミーラに不思議な声が聞こえてきて、そっと囁く……


「こっちへいらっしゃい …… カルミーラ …… そう、こっちへ ……… 」



夜半、火事騒ぎが落ちつき皆が寝静まった頃、カルミーラは夢遊病のようにフラフラ起き上がった。

そうして何かに導かれるように城をそっと脱け出した。


しばらく歩いていくと、昨日の夜、花火が爆発した塔の場所へとたどり着く。


崩れ落ちた塔には地下に通じている穴が見える。その石畳の階段を降りていくカルミーラ。


暗い地下の底には、一つの棺が置いてあった。


その棺にカルミーラが手を触れると、棺は自動的に「キギィーッ」と軋む音をたてながら開いていき………





これ以上はあらすじを書くのは止めておこう。(ネットで誰でも観れるし、野暮というものだろう)



エレガントな雰囲気が全編を漂っている、一風変わった吸血鬼映画である。


何となく少女漫画的でいて、ヴァディム監督にしては物悲しそうな悲劇を綺麗にまとめているといった感じかな。


実験的な映像は、まるで万華鏡の中にいるような夢の世界。(フワフワ、ユラユラ)


怖さは全くないのだけど、コレはコレで《一見の価値あり》なのかもしれない。



ただ、ヴァディムと離婚した後、このアネット・ヴァディムが消えた理由も、この映画を観て何となく分かったような気がする。


ブリジッド・バルドーのように狂った狂気や小生意気さも少し足りないし、ジェーン・フォンダのように、からっとしたユーモアもなければ明るいお色気も足りない。



顔が綺麗でプロポーションが良くても、なんか、ずば抜けて「これ!」っといえるような個性が不足している気がするのだ。


これだけは本人の性格によるところが大きいと思うけど……

それにしても難しい~。(性格が真面目すぎても女優として輝けないのなら、役者とは、つくづく因果な商売だ)



こんなアネットに《女優としての価値》を見いだせずに、ヴァディムは見切りをつけて、さっさと離婚したんだろうか?


だとしたら、ヴァディムにとっての結婚って、ただ、女優を縛りつけておくための《専属契約》だけなのか?って話になってくるのだが……



そう考えると、このロジェ・ヴァディムって男も無責任。

プレイボーイを気取っていても、女を簡単にポイ捨てするような最低男に見えてしまう。 (じゃ、《スケコマシ》でも充分か)



そんな気持ちで観てみると、映画のラスト、カルミーラの死は別の意味に思えて、私には妙にもの悲しく見えてしまうのである。

星☆☆☆。



2020年10月14日水曜日

映画 「クラス・オブ・1999」

1990年 アメリカ。




原題は『Class of 1999』。(まんま)


以前、このblogでも挙げたが、そう、この映画は『処刑教室(原題名 Class of 1984)』の正当な続編なのだ。(監督も、もちろん同じマーク・L・レスター)


カナダ映画だった『処刑教室』よりも、アメリカで撮影された、この映画は製作費もググ~ンと100万ドル近く増えている。


さて、どんな出来になっているかと観てみると ……



時は1999年………アメリカでは学生たちの校内暴力がエスカレートし、警察でも手出しが出来ないような無法地帯が存在した。


その無法地帯の中心地にケネディ高校はある。



新校長『ラングフォード』(マルコム・マクダウェル)は、最新の技術を誇るメガテク社に、とうとう助けを求めた。


「賢明な考えです、ラングフォード校長。我々メガテク社の開発したロボット教師たちなら、必ずやご期待に応えられるでしょう」


所長の『フォレスト博士』は自信満々だ。(気持ち悪い~!眼球が白目である)



3人のロボット教師たちが現れると、会議室は騒然とした。


いずれも、一見、人間にしか見えないくらいだったからだ。


「彼らは、化学、歴史、体育の教師たちです。そして生徒たちの暴力など簡単に鎮圧できるほどの精鋭たちなのです!」




こんな会議が行われている同じ頃、刑務所から不良少年『コディ』(ブラッドレイ・グレッグ)が釈放された。


「仮釈放だ!いいか?2度と帰ってくるんじゃないぞ!午前9時までに高校に行くこと。それを破れば、また務所戻りだ。」


看守から手荷物を受け取り、表に出ると弟のエンジェルと仲間が迎えに来てくれていた。

コディは、不良集団ブラックハーツのリーダーなのだ。


「悪いが……俺はブラックハーツを抜ける」

「そんな、マジで言ってるのかよ!?兄貴!」



仲間も、弟も、ついでに家に戻ってみれば母親までも、みんなが麻薬を取り合って麻薬漬け。(どうやって働いて生活してるの?(笑))


刑務所生活で、すっかり麻薬を絶って帰ってきたコディには、急に周り中が汚らわしく見えてきたのだ。


「とにかく学校へ……」


そんな中、久しぶりに出かけた学校で、コディは新校長の娘で転入してきたばかりの『クリスティ』(トレイシー・リン)と知り合う。


「よろしくね、コディ」


かつての不良チームのリーダーの威厳はどこへ?コディは一目でポワワ~ン(そりゃ、特別綺麗に見えるだろうさ。周りを見渡しても、薄汚れた景色や麻薬漬けの連中ばかりだもん)


だが、一方では、新しく配属されてきたロボット教師たち3人が、目を光らせていたのだった………。




こんな冒頭で始まる『クラス・オブ・1999』。



不良とお嬢様の恋愛、ターミネーターばりのロボ教師が3体。


監督マーク・L・レスターが派手なバイオレンスを仕掛ける準備は、もう万端である。


この後は想像どおり、いや!想像以上のロボット教師たちの弾圧ともいうべき体罰が待ち受ける。




化学女教師ロボ『コナーズ』(パム・グリア)は、騒がしい生徒を一瞬で一喝。

教室の奥にある壁にまで突き飛ばし、ハイヒールでグリグリ!踏みにじる。



歴史教師ロボ『ハーディン』(ジョン・P・ライアン)は、言うことを効かない生徒には高速お尻ペンペンの仕置き。(何じゃ、これ?(笑))




体育教師ロボ『ブライルズ』(パトリック・キルパトリック)は、最初から全開。


まるでイジメのごとく、目をつけたコディをいたぶる。


レスリングの授業の名目で、血だらけになるまで、「生意気な態度を改めろ!分かったな?!分かったな?!」と言いながらガン!ガン!床にコディの頭を打ち付ける。(これ、芝居じゃなくても、ちょっとヤバイぞ!)



そして、拳銃を向けた生徒には、一瞬で首をねじって殺してしまう。



「ブライルズ先生、これはやり過ぎでしょう!」

「何を言うんですか、相手は銃を向けてきたんですよ。立派な正当防衛です!」


ラングフォード校長の意見なんて、どこ吹く風。まるで聞く耳なし。(まぁロボットですし)




こんなブライルズに続けとばかりに、歴史教師ロボ、ハーディンの体罰もエスカレートしていく。


麻薬常習者の生徒をロッカー・ルームまで連れて行くと、ロッカー・ルームに隠し持っていた大量の麻薬を口の中に押し込む。


「そうか、そうか、君はそんなに麻薬が好きなのか。うん、うん……」


生徒は案の定、口から泡なのか、なんなのか、を吐いて死亡。(自業自得といえば自業自得なんだけど……この殺し方はひどい)



「ハーディン先生、これはどういう事なんですか?!」


「あの生徒は普段からの麻薬常習者ですよ。単なる麻薬の過剰摂取ですよ。事故死です」


この計画は失敗だったのか……校長のラングフォードも次第に疑いだすのだが、横から、これまた、博士のフォレストが加勢しては、

「大丈夫ですよ!彼らに任せていれば万事安心なんですから!」なんて太鼓判。


ラングフォードの心も、疑念と信頼の間で揺れる。




そうこうしている間に、生徒たちは次々、闇討ちのように殺害されていく。コディの弟エンジェルさえも……。


「誰がいったい……こんな……まさか、あのイカれた教師たちなのか?」


愛しいクリスティを人質にとられたコディは、ライバルの不良グループと一時休戦して、3人のロボ教師たちが待ち受ける夜の学校へ向かった。


「やるぜ!みんな!!」


「オー!!」


夜の学校の門をくぐって、何台ものバイクが突っ込んでいく。


だが、3人のロボ教師たちは、それぞれ特殊な武器を装備していたのだった………。




この武器が、またスゴい!


女教師コナーズは、左腕に火炎放射器を備え付けていて、バイクごと不良たちを焼き殺す。




歴史教師ハーディンは、右腕に、まるでゲッター・ドリルなんてものを仕込んでいて、ドリルでグリグリ!(残酷~)



体育教師のブライルズなんて、なんと!右腕がミサイル・ランチャーになっていて、次々ミサイルをぶっぱなす。



学校は一面、業火に燃え上がり火の海。


こんな敵に生身のコディは、どう立ち向かうのか……もう最後までハラハラ、ドキドキである。(まぁバラしちゃうけど、最後はやっぱり主人公が勝つんだけどね)



こんなマーク・L・レスター監督が自信満々で撮り挙げた『クラス・オブ・1999』だったが………公開当時、どうだったかというと、(ガックリ!)コケたー!!


製作費の半分にも届かないような興行収益。


ターミネーターのパクリにも見られたのか、散々な評価だったらしい。



でも、30年以上経った今、これはこれで観ると、中々面白いような気もするのだが、どうだろう?



血沸き、肉躍るバイオレンス映画に、徹底的に、こだわったレスター監督を私は讃えたい。(でも、これも地上放送は絶対無理)



この先も、こんな映画を撮る事は、まず難しいだろうな。(厳しい倫理観が往来する時代ですもん。何でもかんでもダメダメづくし)


はぁ~、今さらながらに思う……寛容で良い時代だったんだなぁ~と。

星☆☆☆☆。


2020年10月3日土曜日

映画 「アイガー・サンクション」

1975年 アメリカ。






「ドン、『アイガー・サンクション』の監督をしてくれないか?」


ある日、旧友で、監督ドン・シーゲルに、いつものように映画の企画を持ちかけたクリント・イーストウッド。



ドン・シーゲル、しばらく「う~ん……」と考えるふりをして、「悪いが……」と丁重に断った。



ドン・シーゲルには、原作をパラパラ読んで見て、一目で分かっていたのだ。

この(『アイガー・サンクション』の撮影はひどく過酷になるぞ……)って事が。




でも、ドン・シーゲルに断られて諦めるようなイーストウッドではない。


既に『恐怖のメロディ』で監督デビューして自信満々のイーストウッド……「それならば!」と、自ら監督に名乗り出たのだった(もちろん、いつものように主演も兼任で)



だが、この映画がはじまってイーストウッドはすぐに後悔する。


(こんなに過酷だったとは……でも、今さら引き返せない!)


意地とプライド、そして自らの命をかけて………イーストウッド、一世一代の挑戦がはじまる。






『ヘムロック』(クリント・イーストウッド)は、かつて従軍し、戦後には諜報機関で名うての殺し屋として活躍していた。


「絶対に失敗しない!」ヘムロックの仕事ぶりは完璧で(どこかで聞いたセリフ)、諜報機関のトップである『ドラゴン』は、その腕を高く評価していたが、ヘムロック自身は段々殺し屋稼業に嫌気がさして、あっさり引退。


その後は大学教授に転身する。




趣味の登山をしたり、何点もの高価な絵画を買い集める事が唯一の楽しみのヘムロック。


まだ、30半ばを過ぎたばかりのヘムロックは、まさに男盛り。人生を謳歌していた。



そんなヘムロックが大学で講義をすれば女生徒たちは、ウットリと聞き惚れている。


「知ってる?彼の趣味は山登りですって? あ~ん、早く私に登ってくれないかしら」(これ、またもやイーストウッドが監督してて、主演の自分を持ち上げる為に女生徒に言わせているセリフなんだけど……観ているこっちが、こそばゆいというか、恥ずかしくなってくる(笑))



講義中もこんな卑猥な言葉が飛び交うが、(青臭い小娘たちなんて相手にできるか!)のヘムロック。



そんなヘムロックに、かつての諜報機関のボス『ドラゴン』から、お呼びがかかった。


「ドラゴン様がお呼びだ!さっさと来い!」


(下っぱで、どうしようもない部下『ポープ』なんてクズを寄越して、今更何の用だ?………ドラゴン……)



ドラゴンのアジトに行くと、少しの光さえも入らないような暗い部屋へと通されるヘムロック。(ドラゴンは色素欠損症という難病。光が当たるとダメらしい。ナメクジか?お前は(笑))



「諜報員が殺され極秘情報が盗まれた。殺した相手は二人いる。ヘムロック、君に《サンクション》(殺害)してほしい」


んな事、何で引退した俺が、せなあかんのかい!と、ブツブツ言うヘムロックに、ドラゴンはやり込めるネタをちゃんと用意していた。


「薄給の大学教授のサラリーで、高価な絵画を21点も収集している事や、君の預金口座にある多額の金の存在を知れば、政府はどう思うかねぇ~?」


やれやれ、ドラゴンには敵わない。


「分かったよ、一人だけなら……そのかわり報酬は2万ドルだ」


「あんまり、がめつすぎるぞ!ヘムロック」


「いいや!この条件のんでもらうぜ」



こんなやり取りの応酬が終わると、ドラゴンは封筒に束で入っている現金をヘムロックに渡した。


現金を数えるとちゃんと2万ドル入っている。


ヘムロックがいくら要求するかを、ドラゴンは、ヘムロックの性格から詠んでいたのだ。やられた!



「《サンクション》しろ!」






そうして、異国チューリッヒで殺しの仕事を無事におえたヘムロック。



ドラゴンにもらった報酬2万ドルで、お目当ての絵画を早速買っちゃったヘムロックはホクホク顔。


帰りの飛行機の中では、これまたスチュワーデスの『ジェマイマ』にも逆ナンパされるし。



そのまま、ジェマイマと熱い一夜を過ごしたヘムロック……。



全てが上手く行きすぎてはいないか?とも疑う事もせず、ヘムロックは完全に浮かれていたのだった。





だが、次の朝、目覚めるとジェマイマの姿はなく、昨日買ったばかりの絵画も、一緒に消えていた。


(やられた……)



後悔と自己嫌悪におちいっているヘムロックに、またもやドラゴンから呼び出しの電話がかかってくる。


ジェマイマは、ドラゴンの命令で動いていた女エージェントだったのだ。



「やり方が汚いぞ!」抗議するヘムロックに、ドラゴンは何くわぬ顔で次の仕事を依頼してきた。


ヘムロックは、無論断ろうとするのだが、殺された諜報員が『アンリー・パック』だと知ると、途端に眼の色が変わる。



「なぜ、それを先に言わなかったんだ!?ドラゴン!」


かつて戦時中、アンリー・パックに命を救われたヘムロック。


ヘムロックにとって、彼は命の恩人なのだ。


そして戦場で自分を裏切った卑怯者『マイルズ』が殺害に関与していることを知ると、なおさら、この依頼は引き受けざるおえない。



ドラゴンからは、「もう一人の犯人は片足が不自由な山男で、国際親善の一環としてアイガーに登山するらしい……」と、わずかな情報を聞かされたヘムロック。



アイガー ……山登りが趣味のヘムロックが何度か挑戦しても、ことごとく失敗してきた因縁の山。




でも、やるしかない!


もう1度アイガーにトライしながら、犯人を探しだす!





絵画の返却と、合法的な絵画の証明書、それに退職金がわりの10万ドルを条件にヘムロックは、この依頼をうけた。(けっこうがめつい、ヘムロック)



そして、いざ、友人の登山家『ベン』(ジョージ・ケネディ)の元へ。


登山に向けて、ヘムロックの過酷なトレーニング・メニューをこなす日々がはじまる………。








相変わらずの自分賛美や持ち上げ方には、苦笑を隠せないが、それでも良くやったよ、イーストウッドも。



一歩間違えば死んでもおかしくないくらい、この後は物凄い絵面が、次々登場する。





切り立った断崖絶壁の恐怖……雪原が広がる未知の『アイガー』への挑戦。



一歩、足を踏み外せば……もう、観ながら、「ヒィーッ!」とか「ワァーッ!」とかの声が自然にもれてしまう。




もちろん、この時代にCGなんて無いし、スタントマンさえ断って、自らトライするイーストウッド。(たぶん保険は充分かけていたと思うけど、それでも命がけだ)



こんな撮影で死人は出なかったのか?と思ったら、案の定、撮影クルーの一人は落石で死んでいる。(この話を聞くと、またもや「ソゾーッ!」となる)



自分は高所恐怖症でもないのだけど……さすがに、この高さになると震えがくる。


並の神経じゃ、到底つとまらないはずだ。





この映画が公開された時、きっとドン・シーゲルも、この映画を観たはずである。


そして、こう思ったはずだ。


「自分なら、生死に関わるような、こんな過酷な撮影を、俳優たちやスタッフたちに無理強い出来ない……」と。




監督と主演を兼任したイーストウッドだからこそ成し遂げられた産物なのだ。


この映画に限っては、イーストウッドも充分にうぬぼれてもいいかも。(私が許す)


公開時、007の二番煎じだの酷評もあったらしいが、もっとこの映画は、高く評価されてもいいよう気がする。




星☆☆☆☆☆。

CGに見なれた現代人たちよ、目をこらして観るがいい!

これが、正真正銘、本物の迫力である。