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2020年9月3日木曜日

映画 「ダーティハリー 」①

1971年 アメリカ。





誰もやりたがらない汚れ仕事を押し付けられる……つけられたあだ名、それが、『ダーティハリー』だ。


スミス&ウェッソンM29(でっかくて重い銃)片手に、容赦なく悪を撃つ。

その破壊力は凄まじく、当たれば、一発で、どんな強敵でも仕留められるほど。




こんなインパクトで、もう何十年経っても、クリント・イーストウッドといえば、『ダーティハリー』が代表作だというのは、もはや万人が知るところである。


だが、最初から、事はすんなり決まっていたわけではない。




フランク・シナトラに断られ、ジョン・ウェインだの、スティーヴ・マックイーンだのに嫌がられる。


そして、今度は、巡りめぐってポール・ニューマンに依頼が回ってくる。



当然、ポール・ニューマンも断るのだが、ニューマンは、「クリント・イーストウッドはどうかな?」と逆にワーナーに推薦してきたのだ。(やっとここで)




そして、やっと、やっと、クリント・イーストウッドに話が持ちかけられてくる。(そのくらい俳優の中でも、まだまだイーストウッドのランク付けは下の方だったのだ)




だが、簡単にここで「O.K!」を出さなかったイーストウッド。


「引き受けてもいいが………ひとつ条件がある………」


その条件とは………

「監督をドン・シーゲルにしてくれるなら、引き受けてもいい!」(このあたり、世話になったドン・シーゲルに仁義を通すところなど、イーストウッドも、うん!感心する)




かくして、異例ともいうべき措置がとられ、ドン・シーゲルは監督に抜擢された。


《クリント・イーストウッドとドン・シーゲル監督》



なんせ、ドン・シーゲルは、ユニバーサルと契約していたので、この映画の為だけに、ワーナーに貸し出すという異例な措置なのだ。



こんな条件が通ったのも、ワーナー側としても、

「こんなに誰からも嫌われる役、早く映画にして、とっとと終わらせてしまいたい!」

なんて思惑が、あったからこそだろう。(ここに至るまでに散々断られてるしね)




『ダーティハリー』が人がやりたがらない汚れ仕事を押し付けられるなら、クリント・イーストウッドとドン・シーゲルも同じで、誰もやりたがらない映画を押し付けられた感じ。


このあたり、現実と映画がリンクしてるように思えて、面白い気がする。




こんな感じで、最初から全く期待されていなかった『ダーティハリー』。



だが、そんなものは見事に裏切られる。




公開されるや否や、映画は大、大、大ヒット!したのである。


ワーナー側は、驚いて(ビックリ!)大歓喜!!

イーストウッドは、一夜にして瞬く間にA級俳優に。

そして、ドン・シーゲルも監督としての株は一気に上昇したのだった。




なんせ、監督のドン・シーゲル、どんな風に撮ればイーストウッドが、カッコよく引き立つか、全て知り尽くしているお方なのだから。





冒頭の、本筋にはまるで関係ない、銀行強盗の襲撃シーンから、この映画は、カッコよさ満点である。



銀行強盗をした犯人たちが、待機させていた車に乗ってトンズラしようとする時、そこへ偶然居合わせた、『ハリー・キャラハン刑事』(クリント・イーストウッド)。


颯爽と抜いたスミス&ウェッソンM29からは、何発ものマグナム弾が発射される。



車は横転し、命からがら這い出てきた犯人に銃口を突きつけながら、ハリーが言う台詞が、またカッコいい。




「考えてるな?俺がもう6発撃ったか、まだ5発か………。


実を言うと、こちらもつい夢中になって忘れちまったんだ。




でもコイツは《マグナム44》っていって、世界一強力な拳銃なんだ。

お前さんの ドタマなんて一発で吹っ飛ぶぜ。




楽にあの世まで行けるんだ。運が良ければな。


...さあ、どうする?






こんな脅し文句を聞いて、犯人がピクリとも動けるわけがない。


案の定、犯人はハリーに屈伏してお縄となるのである。





この本筋に関係ないシーン、必要か?と疑問に思う人もいるだろうが、これはヤッパリ必要なシーン。




これは主人公『ハリー・キャラハン』という男がどんな人物なのかを、我々観客に教えてくれている、親切丁寧な《自己紹介》シーンなのだ。


このシーンで、我々は、《主人公がこの男であり、刑事で、強力な銃を武器に持っている》のを知る事になる。


性格は、やや無鉄砲、そして向こう見ず。

でも、目の前の犯罪は、決して見過ごせない正義感に溢れている。

そして、犯人には屈伏せず威圧的な駆け引きも出来る………そんな情報を、このシーンだけで、全て知る事ができるのだ。




こんなインパクトのある、そしてカッコいい《自己紹介》も、そうそうあるまい。



野暮な監督なら、あっさり主人公に名乗らせて、さっさと本編にいくところを、名匠ドン・シーゲルは、このあたりをじっくりと描いている。



イーストウッドが慕い尊敬するのも分かる気がする。




こんな『ハリー』の紹介が終わったら、もはや掴みはO.K!



観客たちは、ハリーの気持ちになって、本編『スコルピオ(さそり)』との対決に心躍らせていくのだが………。



今回はここまで。

長くなりそうなので、②へ続くとする。(ここまでで充分長いんだけどね(笑))