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2018年11月29日木曜日

映画 「第三の男」

1949年  イギリス。






オールド映画ファンたちから映画ベスト100とかアンケートをとれば、必ず、この映画が1位をとると言われている映画。



映画を観た事がない人たちも、この映画に使われた音楽は聞いたことがあるはず。



つい最近も、某ビール会社のCMで流れてました。(エ●スビール)



アントン・カラス作曲の《第三の男》のテーマ。




でも、この映画は傑作でしょうか?

私は、引っかかる部分が多々ある。理由は後半に………。







第二次世界大戦後、オーストリアは米英仏ソの4分割され、それぞれその統治下におかれていた。



その首都ウィーンも、また複雑な内政を抱えていて……。



売れない作家『ホリー・マーチンス』(ジョセフ・コットン)は、友人のハリー・ライムに「仕事を紹介してやる」と言われて意気揚々、そのウィーンにやってきた。



だが、ハリーのアパートにやってくると門番から、「ハリー・ライムさんは自動車事故で、お亡くなりになりました。」と知らされて愕然。


ホリーの学生時代からの友人だったハリー…。




墓地に駆けつけると、ハリーの埋葬が、今まさに行われていた。


そこに佇む美しい女性。



ホリーが気落ちして、墓地を立ち去ろうとすると、ある男が「車で街まで送ってやる」と近づいてきた。



男は『キャロウェイ少佐』(トレヴァー・ハワード)、この近辺を取り締まる警察官だ。




キャロウェイは、特別なはからいで、ホリーを軍のホテルにとめてくれたが、


「ハリー・ライムみたいな男は死んでよかったのさ」と吐き捨てるように言い放つ。


キャロウェイは、ハリーが闇取引の売人だったというのだ。


信じられないホリーは、キャロウェイの言葉に、おもわずカッとなる。




そこへ、ハリーの知り合いという『クルツ男爵』なる男から電話がかかってきた。(よくホリーが、軍のホテルにいることがわかったものだ)




ひとまず、ハリーが住んでいたアパートの前で会う約束をするホリー。



クルツ男爵は、事故の詳細をホリーに教えてくれた。(仔犬を抱いていて、細眉と細い口髭で、なんか見た目からして気色の悪い男)




事故は、ハリーのアパートのそばでおこり、その時に、たまたま居合わせた友人の『ポペスコ』とクルツが、車に轢かれたハリーを、道路から近くの銅像の傍まで運んだらしい。



救急車が来る前にハリーは、呆気なく亡くなったらしいが………。




クルツは、生前、ハリーから、ホリーが来た時に世話を頼まれていたので、帰りの飛行機の手配もしてくれると言ってくれた。



でも、(何かがオカシイ……)


納得できないホリーは、クルツを質問攻めにする。


「葬儀の時にいた女性は誰ですか?」

「ヨゼフ劇場の女優ですよ、でも彼女は何も知りませんよ」クルツがなだめるが、ホリーの探究心は止められない。





クルツと別れると、その足で直接、ヨゼフ劇場を訪ねた。



そこには、たった今、舞台が終わって楽屋で化粧をおとしている女性がいた。



女の名は『アンナ・シュミット』(アリダ・ヴァリ)。ハリーの恋人だった。




アンナは、ハリーの突然の死に気落ちしていたが、そんなアンナにホリーは、ひと目で惹かれてしまう。


「もう一度、ハリーの死を二人で調べてみないか?」



ホリーは提案して、二人は、まず、ハリーのアパートの門番を訪ねることにした。



門番を執拗に追求するホリー。すると、門番はクルツとポペスコ以外にも「もう一人の男が……」と、うっかり口を滑らせてしまう。



「誰なんですか?それは!?」



慌てる門番は、「知らない!!これ以上知らない!!私に関わらないでくれ!!」と逆ギレしはじめた。


「もう一人いたんだ、現場に『第三の男』が………」






こんな調子でトントン進んでいく名作『第三の男』。


まぁ、とにかく場面展開が早い、早い!



映画の撮り方もあるだろうが、この主人公のホリー・マーチンスが、考えるよりも即行動の性格なので、彼の行動ひとつで場面の展開がクルクルと変わっていくのだ。



ウィーンの駅→ハリーのアパート→墓地→軍のホテル→クルツと待ち合わせのカフェ→ハリーのアパート→劇場………





こんなに真面目過ぎて、考えたら即行動する、やっかいなホリー・マーチンスの性格。




なのに、なぜ?



ハリー・ライムは、こんなホリーを自らウィーンに呼んだのだろうか?




この映画をミステリー映画という人もいるが、自分はそう思えないし、ミステリーを読み慣れた勘のいい人なら、お察しだろうから、思いきってネタバレになるが、書くことにする。




※『ハリー・ライム』(オーソン・ウェルズ)は、ちゃんと生きているのだ。


事故は、クルツやポペスコ、門番などを仲間にして仕組んだ《擬装》だったのである。(もう、途中から、とっくに気づいていたけど)




粗悪なペニシリンの横流しで闇取引していたハリーは、その証拠を警察に掴まれそうになったので、擬装事故で、自身を死んだことに見せかけたのである。




代わりに墓地に埋葬されたのは、そのペニシリンの中毒患者なのである。





こんな大がかりな芝居をして手間のかかった計画を練ったハリー。



なのにですよ!



一方では、この黙って見過ごせない正義感の塊のようなホリーを、わざわざウィーンにまで招いたりするハリー。



そんな、ハリーの矛盾した行動に一気に気づいてしまうと、「ハリーってアホ?」と思いながら観てしまう。




そして、自らも、ホリーの目の前に姿を現したりもするハリー。(この辺り、私、ハリーの気持ちが全く分からない)




やっている事は、もう間抜けなトンチンカンな行動ばかりのハリー。




結局、ハリーの恋人アンナの開放(パスポートの件でソ連に連れていかれた)を条件に、ホリーはキャロウェイ刑事と取引する。



そしてハリー逮捕のために警察に尽力するホリー。(なんせ根が真面目ですもん)



その結果、警察に追いつめられたハリーは、地下水道まで追いつめられた末、警察の銃弾に撃たれて絶命するのだ。




自ら姿を現さなければ死ぬ事もなかったろうに………ハリーのやっていることは、最後までおバカさん。


まるでお粗末と言っていいような、悪党の末路を辿るのである。





そして、ホリーによって開放された、このアンナも、ほとほと呆れるような性格。



こんな馬鹿な男の本性も見破れずに、ホリーの優しさや善意に対しても、礼どころか逆に罵ったりもする。


新しく貰った旅券なんかも、その場で「ビリッ!」。 破り捨てる。(本当にイヤ~な感じの女だ)



美人でも、つくづく感じの悪い女、それがアンナなのである。(こんな女、最初から助けなきゃいいのに………こんな女のどこがいいんだろう?)





こんな風に、どこにも共感や納得する事もなく観た『第三の男』。



これを最初観た時は、イライラしっぱなしでした。



「これの、どこが傑作なの?」と、世間の評価を疑ってしまったくらいでした。



だから、お察しのとおり、この映画に対しては、あんまり好印象はないのである。




軽やかなアントン・カラスのメロディが場違いに感じた程である。



恋愛映画とも友情映画ともいう人もいるが、それもどうなんだろう?


なんだか全てが中途半端に見えてしまう。





この映画が好きな方は、印象的なカメラアングルや、撮影方法を、ただ愛してるのでは、ないだろうか。



それらは、確かに一枚画にして飾りたいくらいに美しい。



最後のシーンの、振り向きもせずスタスタ歩き去る、アンナとホリーの街並みの場面などは、絵になる場面だけどね。



でも、ストーリーに関しては穴だらけ。





今、現代の目で冷静に観ると、この映画に関しては、あまりにも傑作と持ち上げられ過ぎのような気がする。(同じキャロル・リード監督作品なら、私は『落ちた偶像』が好きかも)



それでも、絶妙な名タイトル『第三の男』と、有名な音楽、そして、当時としては斬新なカメラ・ワークに敬意をはらって、ギリギリ星☆☆☆にしときますかね。



傑作の評判を無視して、偏見のない目で観てほしい一編。