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2022年12月23日金曜日

映画 「火の鳥2772」

 1980年  日本。





1970年代終わりから〜80年代初頭にかけては、アニメ映画の超大作が目白押し。


それまで日本のアニメ映画といえば、東映の独壇場だった。

アニメ映画なんてのは、《東映まんがまつり》が主流で、せいぜい長くて1時間くらいの上映。


それが1977年に『宇宙戦艦ヤマト』が(テレビシリーズを再編集したとはいえ)2時間超えで劇場公開されると、たちまち話題になり大ヒット!

2時間超えの長編アニメ映画なんて、当時では異例中の異例だったし、「コレが当たる!」なんて誰もが思わなかったのだ。



もっとも、その前に、我らが手塚治虫が先陣きって設立した《虫プロダクション》では長編アニメ映画を、とっくの昔に完成させているが ……


だが、それはあまりにも一般的なモノとはかけ離れていて、《大人の為のエロティック・アニメーション》と銘打ったモノ。(『千夜一夜物語(1969)』、『クレオパトラ(1971)』などなど …… )


当時、多少の話題にはなっても、こんなのをテレビでは放映できないし、作れば作るほど《大赤字》を叩き出してしまうという悪循環。

結果、とうとう虫プロは莫大な負債を抱えて倒産してしまう。


『アニメの長編映画には莫大な費用がかかり、それが《当たる》か《ハズレる》かは、まるで大博打を打つようなモノだ!』


虫プロの作った長編アニメは業界にこんな教訓を残して消えたのだった。



だが、『ヤマト』の大ヒットは、それまでの、そんな業界常識に一種の風穴を空ける。


宇宙戦艦ヤマト』の後には、それに続けとばかりに劇場版『ルパン三世(ルパンVS複製人間)』や第二弾『カリオストロの城』なんかも作られている。(『カリオストロの城』は当時、信じられないことに大コケしたらしいが)


そうして、とうとう長編アニメ映画の金字塔と言われる『銀河鉄道999(1979)』が公開されると、またもや話題になり大ヒットする!(ゴダイゴの歌う主題歌も大、大、大ヒット!)


世は、まさに松本零士ブーム!

その同年には、竹宮恵子の長編劇場用アニメ『地球(テラ)へ … 』なんかも公開されている。


この後には角川映画まで長編アニメ映画に参入してきたりして。、(『幻魔大戦』など …… )


この時期、《アニメーション》が市民権を持ち始め、子供向けから〜大人でも楽しめる娯楽へ成長していった、ちょうど転換期だったのだ。



こんな状況下で、あの御方がイライラしないはずがないではないか。


人一倍、対抗心が強い御方。

我らが手塚治虫氏である。



いつでも、どこでも、メディアでは穏やかな笑顔だった手塚治虫。


でも、この人の内面は、いつだって同業者を妬むようなドロドロした嫉妬心でいっぱいだったのだ。(人は見た目だけじゃ分からないものだ。大人になってから、それを知る)


有名な逸話なら数々ある。


漫画家福井英一氏(代表作『イガグリくん』)の緻密な絵柄や人気に嫉妬した有名な《イガグリくん事件》。(もう昼ドラのようなドロドロの愛憎劇である。興味ある方は調べてみて)


水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪人気ブームに嫉妬して、「自分も妖怪モノを描いてやるわい!」と誕生した『どろろ』。


永井豪のお色気漫画『ハレンチ学園』にも、またもや嫉妬心メラメラ。

それに対抗して、やっぱり描いてしまう『やけっぱちのマリア』。(このタイトルが手塚治虫の当時の気持ちなんだろうか(笑))


白土三平の作品『カムイ伝』を掲載したいばかりに『ガロ』という特殊な雑誌が創刊されると、それに対抗するように手塚治虫は、即座に『COM』を創刊する。(この雑誌で看板漫画として『火の鳥』の連載がはじまるのだ)


だが、この『COM』、雑誌の顔になるはずの『火の鳥』よりも、石ノ森章太郎が連載していた『ジュン』の方に人気が集まってしまう。(アララ~)


そうすると、陰で石ノ森章太郎のフアンに、

作品の悪口を書いた手紙を送りつける という、トンデモない暴挙にでる手塚治虫。(嫉妬が怨みに変わるとはこの事だ)


後日、石ノ森章太郎に平謝りして、

「なんであんな事をしたのか分からない。自分でも自分の性格が嫌になる … 」と一旦反省する手塚治虫なのだけど …… 結局この性格、死ぬまで治る事はなかったのでした。(笑)


なぜなら、《嫉妬心》や《ライバル心》、《対抗心》が、手塚治虫の創作の全ての原動力だったのだから。(こんなの治るはずもございません)


まぁ、それゆえに、コレだけの膨大な数の作品を残せたと言えるのだけど ……



そんな漫画の神様・手塚治虫にも長編アニメ映画の企画が、ようやっと舞い込んでくる。(本人、諸手を挙げて「ヤッター!」と叫びたかっただろうよ(笑))


手塚治虫は 燃えた!

心底、燃えて「この映画に全勢力を注ごう!」と決めた。


普通なら『火の鳥』の映画化でも、『黎明編』やら『未来編』など、幾多も描かれた原作の中から選ぶものを、映画は、この為の描き下ろした完全オリジナル・ストーリー。


原案、脚本、構成はもとより、総監督まで手塚治虫が全てにおいて関わっている。(例によって、よ~やるよ(笑))



こんな手塚治虫が心血注いで完成させた『火の鳥2772』。


だが、当時、中学生の自分が観た時はあまりにも不気味物語に思えたものだった。


宇宙パイロット『ゴドー』と、そのお世話係兼、育児ロボットである『オルガ』以外は、ほぼ良い感じの登場人物は出てこない。(後は、腹にイチもつ抱えているような人物ばかり)


それに加えて、登場人物たちの大勢が亡くなるという悲惨さ。


オマケに宇宙空間で、次々とその姿を変えて襲ってくる『火の鳥』には、うっすら寒気すら覚える始末だった。(ある時は巨大な怪鳥に変化したり、一瞬で化け物のような顔にもなる)


「生命の大切さ、神秘さ」をテーマに掲げながらも、描き方が相当 エグ過ぎた 『火の鳥』。


むしろ、今なら《R指定》でもよさそうな『火の鳥2772』は、そのエグさで大衆には中々受け入れられず、大ヒットには至らなかったのだった。(残念)



こんな手塚治虫の『火の鳥2772』を数十年ぶりに観てみた。(中年になって観ると、けっこう面白い)


そうして気づいた事もある。


主人公『ゴドー』が、初めて出会った人間の美女『レナ』にひと目惚れして二人が恋に落ちる時、ただの育児ロボットだった『オルガ』の中に、息苦しいまでの特別な《感情》が産まれるのだ。


それが嫉妬心


この《嫉妬心》を媒体にして、《悲しみ》や《怒り》、《喜び》など複雑な感情を学んでいくオルガ。


まるで人間的に成長する為には、この《嫉妬心》が必要不可欠だとでも言いたそうである。(この辺りの解釈、だいぶ手塚先生の自己肯定が入っている気がするなぁ~(笑))


でも分かる気がする。

なんせ、前述にも書いているとおり、同業者相手に嫉妬しまくりの人生だったんですもんね。



モノ作りの人たちって、やっぱりこういう考え方の人が多いのかな。


宮崎駿も最近活躍している若手クリエイターたちに触発されて《引退撤回》し、新作を作り上げたというし。(2023年公開)


やっぱり、そこにあるのは「あんな若手(今なら新海誠かな?)の作るアニメに負けてたまるか!」の《嫉妬心》や《対抗心》なのかもしれない。


こんな想いを燃料に変えて、自分の気概を燃え立たせる。


相手の実力を認めて「良い作品を作るなぁ~」の感心や憧れだけじゃダメなのかもね。


《憧れ》てるだけじゃ、目指す相手を乗り越えて、それ以上の上質な作品を作れないのだから。


そんな宮崎駿も昔、何かのインタビュー記事で手塚治虫の事をボロクソ言っていたのを、ふと思い出した。(今考えると、あれは《嫉妬》していたのかな?)


なんにせよ、これは相当疲れる生き方。

ノホホ〜ンと世渡りしてきた自分には、とても真似できそうもないわ(笑)。


こんな事を、ツラツラと考えさせた久しぶりの『火の鳥2772』なのでございました。

星☆☆☆。