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2022年4月11日月曜日

人物 「『大島ゆかり』またの名は『大島由加利(香港名)』、『シンシア・ラスター(フィリピン名)』」

 活動期間1982年より〜





この人の事を知ってる人が、今、日本にどれだけいるのか ……

その方々は、かなりの通なマニアックだといえよう。




だから、テレビ朝日の『激レアさんを連れてきた』なんて番組で、取り上げられた時、このお顔にすぐさま「ピーン!」ときたワタクシめは、かなりのマニアックを自称する。(エヘン!)




日本で有名なのは、1984年、特撮ヒーロー『超電子バイオマン』の敵役で女幹部の『ファラキャット』役。(知ってるかなぁ~? コレも相当マニアックだけど)



どぎついアイ・メイクをほどこして、常に顔出しの彼女だけは、ずっと、この姿のままで闘い続ける。



正義の味方『バイオマン』の5人たちは、変身後、スーツ・アクターたちに、まるっとお任せなのにだ。


飛ぶ!バック転!大車輪!宙返り!キック!パンチ!(その華麗なキレのある連続技よ)




次に彼女を見かけたのは、あの南野陽子の『スケバン刑事 Ⅱ 』だった。



第1回放送で、冒頭、いきなり最初に登場するのだ。


ヌンチャクを振り回しながら、暗闇司令の部下たちを5人倒すも、不意をつかれて(アッサリ)負ける。(ありゃりゃ)


「ヤメてくれ〜!殺さないでくれ〜!」



暗闇司令が「これ以上見るに耐えん!」と言い捨てて、この後、南野陽子が土佐から連れて来られるんだけど。(まぁ、お約束だからしょうがない)



……… でも、暗闇司令(長門裕之)の目は、この時、節穴だったのかも。



彼女は、この後、《女ドラゴン》の異名で、アジア圏では超有名なアクション・スターとなっていくのだから ……(日本じゃ、その噂さえ、当時は流れてこなかったけど)




元々、空手と体操をやっていて、身体能力に自信があった彼女は、ある時、運命的な映画と出会う。


それがジャッキー・チェン主演の『ヤング・マスター 師弟出馬(1981)』。



「コレよ!コレだわ!コレこそが私が目指す道なんだわ!!」


この衝撃的な映画との出会いが、少女の眠れる情熱に火をつけた。



早速、あの『J・A・C(ジャパン・アクション・クラブ)』へ。(この飛び抜けた身体能力ですもん。即、採用である!)



あれよ、あれよと言う間に、『バイオマン』で頭角をあらわすも、日本では《アクション・モノ》自体が、やや下火の時代。



チョイ役しかまわってこない日々を悶々と過ごしてゆく。(『J・A・C』に所属していても、《アクション》自体を撮る場が少ないのだ)



「ならば、本場の《香港》へ行くしかない!」(決断早っ!)


熱い想いをしたためた手紙を、映画プロデューサーに送りつけた。


「どうしても、本場の香港でアクションを演りたいんです!!」


こんな情熱が認められて、彼女はユン・ピョウサモ・ハン・キンポーが出演する映画『冒険活劇 上海エキスプレス(1986)』に特別出演する事が決定した。




そうして、オサラバ日本。

いざ、《香港》へ!!





…… その後の足取りを、全く知らなかった私。



だけど、ここまででも彼女『大島ゆかり』さんのバイタリティーには驚愕!(゚д゚)!脱帽してしまう。



言葉も通じない、まだ見知らぬ異国の土地へ、若い女性が、たった一人で行くのだから。


「なんとかなるでしょ。『無問題!(モウ マンタイ)』」(問題無い!)


《アクションが大好きだから》…… ただ、それだけの理由で。



こういう、臆病な自分とは真逆の資質を持つ人物には無条件で降伏、尊敬してしまう。(まいりました)




その後、彼女『大島由加利』(香港では漢字に変えた)は才能を認められて、香港に留まり、ジャッキー・チェンの事務所に所属。(えっ、マジ?)



80本以上の映画に出演しながら、香港の大スターとなっていく。(この話題、当時の日本には全く伝わってこなかった。コレを今知ると当時の日本って、「《鎖国》だったんじゃない?」と思ったりして)




本場の香港で、毎日のように映画を撮影しながら、相当数をこなしていくと、どうなってゆくのか …… 



彼女のアクションは、日本の頃とは段違いに上達していく。



もう、キレッ、キレ!になっていくのだ。(《角度》、《速さ》が、以前と全く違う。)




まるで、ダイヤの原石が磨かれて、さらに輝きを増したようである。(ネットでチラリと観たが、本当に凄いよ!この動き!!)




そうして香港が中国へ返還されると、1997年、彼女の舞台はフィリピンへ。



今度は『シンシア・ラスター』になって大暴れ。

もちろん、ここでも、たちまち大スターである☆。



マレーシアやタイでも、その名は知れ渡り大スターとなってゆく彼女を、アメリカ映画界も放っておくはずがない。



とうとう、あの巨匠オリバー・ストーン監督が、直々に会いに来て、

「是非、私の映画に出てくれないか?」とオファーされるのだ。



だが、ここで彼女の返事は、初めて「NO!」



自分の肉体的な限界を感じていたのかもしれない。


その証拠に、彼女はその直後、撮影中に大怪我をして、日本へと帰ってくる。(可哀想に)




現在は怪我も治癒して、日本で後進を育てる為に、アクション指導に専念しているとか。(やっぱり《アクション》が根っから好きなのねぇ~)




そんな彼女の香港時代の映画を観てみたいものだが、………全く、日本には入ってこない。



何でやねん?



アニメとCGアクションにしか、日本人が興味を示さないから?なのか?!



いや、いや …… 今こそ、その状況に辟易して、飽きている人も大勢いるはず。



《生身のアクション》が風穴を開ける時が、すぐそばまで来ているのだ!



そんな気がする。(正直、私が一番ソレを希望してる)



志穂美悦子の系譜を継ぐ者、『大島ゆかり』の映画を拝ませてくれたまえ〜!


目一杯、絶叫しとく。


《おしまい》