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2020年9月12日土曜日

映画 「絞殺魔」

1968年 アメリカ。






この映画『絞殺魔』は実話である。


1962年~64年の2年間に、ボストンの街を中心に、13人の女性たちが殺される事件が起こったのだ。


年代も幅広く、上は80代から下は19歳まで。
衣服は引き裂かれ、性器もむき出し。喉元を絞め殺されて、三重結びの布を巻かれるという残忍さ。


ある者は、陰部に箒を突っ込まれて死んでいたという。(ゲゲッ)



当時、ボストンでは全ての女性たちが恐怖し戦慄した。



アパートには2重3重に鍵が取り付けられ、防犯グッズなどは、飛ぶように売れまくった。

警察は懸命の捜査網を張り巡らせて、捜査にあたるも手がかりは得られなかった。



そうした中、偶然、犯人のアルバート・デサルボォが逮捕される。


アルバートは二重人格だったのだ。


ごくごく普通そうに見える男の残忍な犯行。



この事件は、アメリカ中でセンセーションを巻き起こし、わすが数年で、こうして映画『絞殺魔』は作られたのだった。(ほぼ、映画の中の人物名は実名である)



日本なら被害者家族に配慮して、数十年先に持っていったり、架空の名前を用意しそうなものを、わずか4年後で、しかも実名とは……。

なんかアメリカらしいといえばアメリカらしいんだけど、被害者団体からは、抗議とかなかったのかな?




監督はリチャード・フライシャー。


以前、このblogでも挙げた、あのドギツイ黒人奴隷映画『マンディンゴ』の監督さんである。(なんかイヤな予感……)



この手の題材だと、どんだけ残酷なサイコ・スリラーに仕上がっているんだろう、と思って、あんまり手にとるのもためらうところだが、今回、初めて観てみると…………





映画は二部構成になっている。


前半は、事件が次々起きて、それを地道~に捜査する刑事物語。


その捜査にあたるのが、ジョージ・ケネディ(名脇役)などの警察たち。



でも、難儀な捜査はなかなか進展せず、ボストン市長は、やり手の『ジョン・S・ボトムリー』(ヘンリー・フォンダ)を寄越して、捜査の指揮にあたらせたりする。




それでも、全く手がかりすらつかめない捜査。


そうこうしているうちに、被害者たちは次々殺されていき、増えていく。



焦る警察は藁にもすがる想いで、終いには、なんと!超能力者にまですがる始末。(どこのオッサンだよ(笑))


被害者の衣服に触れた超能力者は、「この犯人は聖職者と一緒に暮らしているぞ………そして便器の水で顔を洗うような変態だ。」と念視をして、正確に居場所まで特定する。




「犯人はここにいる!」

地図を指差す超能力者。(そこまで分かるのか?!)




ただちに駆けつけた警察たち。


そして確かに変態そうな男はいたのだが、ガックリ!例の《絞殺魔》じゃなかったのでした。(こんなシーン必要か?)




こんなヘンテコリン捜査の連続に、我慢しながら、観ていた自分も段々とイライラしてきた。


犯人役のトニー・カーティスは、いつまで経っても全く出てこないし、「なんじゃ、この映画は!」ってな具合。






そして映画も半分を過ぎて、やっと後半、第二部が始まる。




犯人『アルバート・デサルボォ』(トニー・カーティス)の登場。(やっとかよ)

でも、登場したと思ったら、犯行を失敗して被害者は助かってしまう。




そして、次のターゲットを狙うも、その直前で逃亡。


「待てぇー!この野郎!!」

襲おうと思っていた女のアパートには、一緒に住んでいた男がいたのだ。(この犯人、下調べもしないのか?それで今まで捕まらなかったとしたら、たまたま運がよかっただけなのか)


そして、その男に追いかけられ、逃げる途中で車にはねられる。



通りかかった警察にアッサリ捕まってしまう。(なにこれ?…こんなドジな男に13人も殺されたの?!)



捕まってからは、デサルボォの精神分析が始まる。



そして、二重人格だと分かると、個室でヘンリー・フォンダとトニー・カーティスの一対一の面談が延々続く。



殺した記憶をやっと取り戻した『デサルボォ』(トニー・カーティス)。


「俺が殺したのかー?!」(なんじゃ、そりゃー!!)



映画はエンドマークを迎える………チャンチャン。





当時、世間を騒がした連続殺人事件。


「これを映画化すれば、必ず話題になるぞ!」

なんて制作者は、安易に思ったのだろうか?



だとしたら、完全に失敗である。




なんだか、画面分割だの凝った演出をしてるけど、「こんなの要らねー!」っての。(観ていて目が疲れるし、イライラを増長させる)


ヘンリー・フォンダ、トニー・カーティス、ジョージ・ケネディなんて面々をせっかく揃えているのに、まるで良いとこなし。


実話を実名で、そのまま描いたばっかりに、この映画は、だいぶ損しているような気がするのだ。



トニー・カーティスが演じたデサルボォも名前こそ実名だが、普通に結婚していて普通に子供までいる、ごくごく普通の男として、背景を変えられている。

演じる有名人トニー・カーティスにだいぶ遠慮した様子がうかがえるのだ。



おかげで残忍な犯行なれど、変態性の影はだいぶ抑えられて薄くなってしまっている。




怖さも、ハラハラドキドキさも、その実話という規制の枠から、はみ出す事も出来ずにいるのだ。



結果、映画としては、ごくごく平凡な仕上がりに収まってしまっている。(何なら面白くないに近いかも)




身近な恐怖を描いた『ある戦慄』が傑作だったので、それに近い年代の、この作品にも、おおいに期待して観たのだが、見事にハズレた。



とりあえず星☆☆。


これから観る人は、歴史として、「こんな事件が、当時あったんだ!」くらいの気持ちで観たほうがいいのかもしれない。