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2021年6月21日月曜日

映画 「太陽の爪あと」

1967年 イギリス。






作家H・P・ラグクラフト(1890~1937年)。


両親が早くに亡くなったり、自身も神経症に悩まされたり、学校も退学になったりして、人生は、まさに不幸の連続。


やっと結婚できても、妻には、その陰気な性格ゆえに、ずっと疎んじられておりました。(とても根明なアメリカ人とは思えない)


そんなラグクラフトさん、46歳の若さで自身も、あっさりと亡くなってしまう。


死ぬまで暗~い境遇。(ここまで書てみて、自分も陰鬱になりそうだ)


こんなラグクラフトさんが、たった1つ夢中になった事が、エドガー・アラン・ポーの怪奇小説を読み漁ることで、自身もホラー小説を書くことなのでした。


ただし、暗い境遇ゆえに、不気味な仕上がり具合のゴシック・ホラー小説。




簡単に書いてみたラグクラフトさんの略歴だが、この映画は、そんなラグクラフトが書いた『閉ざされた部屋』が原作になっている。


古い荒れ果てた屋敷に何年も監禁されて、生き続けた魔物。


小動物(多分、ネズミか何かだろう)を食いながら、ずっと生きていた怪物。(ゲゲー)


そんな屋敷にやって来た主人公(男)は、恐怖に怯えながら、異形の魔物の姿を目撃するのである。



まぁ、恐ろしそうな物語だことよ。



でも…………



この映画は、全くと言っていいほど、怖くないので、どうぞ御安心を。( 笑 )



主人公は『男』から『女性』に変えられている。



その主人公『スザンナ』役が、『ポセイドン・アドベンチャー』や『バニー・レイクは行方不明』で有名なキャロル・リンレイ嬢。(キャロル・リンレイの映画が観たくて、この映画を探してみたのだ)


でも、もちろん改変はあっても、ゴシック・ホラーらしく怖がらせようする材料は充分に揃っている。



『スザンナ』(キャロル・リンレイ)には、幼少期のトラウマが少しあった。


4歳のスザンナが《何か》に襲われかけて、それを両親が追っ払っている光景が、ボンヤリと記憶にあるのだ。


やがて、スザンナは一人、ニューヨークに追いやられて、そこで育てられる。



そして、21歳になったスザンナは、そんな幼少に育った孤島にある、製粉工場の屋敷を相続するために、島を目指すことになったのだった。(両親はとっくに他界)


最近、結婚した夫の『マイク』(ギグ・ヤング)は、そんなスザンナに付き添いとして同行してくれた。(時折、蘇るトラウマに挫けるスザンナを、気遣いながら励ましたりもしてくれる優しい夫である)



そうして、二人が島にたどり着くと、村人たちは、不気味な雰囲気がムンムンと漂っている。



島中を勝手気ままに、車で暴走する青年集団たち。(なんにも娯楽が無いので、しょうがないんだろうけど)


その青年たちの中の一人、『イーサン』(オリヴァー・リード)は、突然現れた美人のスザンナに欲情丸出しの目付きを向けてくる。(オイ!コラ!人妻だぞ!!)



そんな輩を無視して、島にある製鉄工場で道を訊ねると、無愛想な工場長が出てきて、一人の工員を紹介した。


右目が潰れている、その工員は話し出す。


「俺が、あの製粉工場に行ったら、突然、《何か》が襲って来やがったんだ! あそこには、きっと《魔物》がいるんだ!!」


その姿に、一瞬ゾッとするスザンナとマイクだったが、そんなのは一時。(オイ!オイ!)



二人は製粉工場への道を聞くと、さっさと行ってしまった。(コラー!)



先程のイーサンは、一目散で、先回りして、製粉工場の近くに建っている石造りの塔へやって来る。



壁沿いにある螺旋階段を昇っていくと、頂上には、スザンナの叔母でもある『アガサ』(フローラ・ロブソン)がデッキチェアに腰かけていた。(このイーサン、アガサの遠縁の息子で、スザンナとは遠い親戚なのである)


「スザンナが帰ってきたぞ!! なぁ、あの製粉工場は俺にくれるんだろうな? 約束だろう!?」


「スザンナ……あの子が……」

イーサンの言葉に、蒼白になるアガサ。



そんな時、スザンナとマイクは、製粉工場のあった家屋敷の前に、既にいた。


荒れ果てた屋敷は、中も蜘蛛の巣だらけ。



ウンザリする二人を、どこからなのか、異様な目が覗いている。


そう、《魔物》は見知らぬ訪問客に気づいてしまったのだった…………





こんなのが、『閉ざされた部屋』を改変して、映画にした『太陽の爪あと』である。



この改変でも、充分に怖そうな材料が揃っていると思う。



金髪美人のキャロル・リンレイは、幸薄そうなヒロインにうってつけだと思うし、


アガサ叔母さん役のフローラ・ロブソンは、独特な長い顔で、1度見たら忘れられないくらいのインパクトと、不気味な雰囲気を漂わせている。


製粉工場の屋敷や、アガサの住んでいる塔も、ゴシック・ホラーとしては、満点をあげてもいいくらい、舞台としては最適な場所なのだ。



他の演者たちも、どうして、中々頑張っている。



でも…………



全く怖くないのだ!この映画は!!



この映画の失敗は、監督や脚本、音楽もあるだろうが、一番の大失敗は《撮影監督》にあると、観て、すぐに思ってしまった。



それなりに、何本かのゴシック・ホラーやミステリーを観てきた自分である。


古くは『ジェーン・エア』から、最近のモノでは『アウェイクニング』なんてのもある。(これらは傑作である)



ゴシック・ホラーのジャンルには、それなりの映像の《色合い》が必須条件なのだ。



こんなジャンルの映画を、どーして? なぜ?


《西部劇》みたいな乾いた明るい色合い で撮ってしまったのか?!



こんなに陽が燦々と降り注いで、しかも明るい色合いの映画にしてしまって………これの、どこに怖がれというのか?!



屋敷も暗く陰鬱でもなければ、なんなら隅々まで分かるくらい、明るく見渡せている。



屋敷の中も、まるで怖くない。(だってチョー明るく撮っているんですもん)



それで、『太陽の爪あと』ですか?(アホじゃないのか?この監督も撮影監督も)



出演者たちや舞台となる現場……材料は良くても、それを料理する料理人(監督や撮影監督)がヘタクソだと、まずい料理に仕上がってしまう。


そんなお手本のような映画、それが『太陽の爪あと』である。



これを『バニー・レイクは行方不明』のオットー・プレミンジャーあたりが監督していたなら……そう思わずにはいられない。


キャロル・リンレイにとって、もう1本くらいの傑作になり得たはずなのに。(ブツブツ言いたくもなるよ、キャロル・リンレイ好きなんだからさ)



よもや、原作者のラグクラフトも、自分の小説が、こんなに燦々と明るい映画として作られるとは思わなかったはずだ。(しかもゴシック・ホラーの本場である、イギリスで)



あの世で怒っているかもよ。(怨み~ます~( 笑 ) )



こんな映画ほど、リメイクやリブートを希望する。(今回、評価はなし)


久しぶりに書いてみた、長い愚痴でございました。


この《魔物》の正体が分かるラストも、こんなに明るい色合い。

これなら、オバケ屋敷の方が、まだマシな方である。

2021年6月13日日曜日

映画 「スイス・アーミー・マン」

2016年 アメリカ。





《スイス・アーミー・ナイフ》には、多機能万能ナイフの意味合いがある。

そこから借りてきて、映画のタイトルは、《スイス・アーミー・マン》と名付けられているのです。


で、…………



《スイス・アーミー・マン》と呼ばれる、この死体『マニー』(ダニエル・ラドクリフ)は、本当に人間が亡くなった後の《死体》なんだろうか?



この映画を観終わった後、こんな疑問符??が真っ先に出てきたのだった。



これを、どう説明したり、解釈すればよいのか……



死体なのに、《オナラ・ジェット》で荒海を勢いよく進む。(プッ・プクプー😁💨💨)


死体なのに、首を前に倒せば、飲み水が際限なくジャー、ジャーと滝のように出てくる。(見た目は、まるで吐いてるようにしか見えないんだけど)


口に石を詰め込むだけ詰め込んで、頭をポンポンと叩けば、まるでマシンガンのように石弾を連続発射する。(死体にこんな事をするのも、どうよ? )


股間の●●●●は、エロ本を見せれば即座に反応して、グルングルン🌀と回り続けて、方位磁石の役割までしちゃう。



ナニこれ……?



「お下品」、「お下劣」、「悪趣味」、「冒涜」……こんなワードがいくらでも出てきそう。



公開当時、映画祭では、これらが映し出されると、即座に席を立つ者たちが続出したそうな。(だろうな)



でも、その気持ちも分かる気がする。



まるで、大昔の、ふざけた小学生が作ったんじゃないか?と思われるような発想なのである。


こんなの70年代に流行っていた永井豪の漫画の世界と、まるで一緒じゃないか!


●●●●が回転するなんて、永井豪の漫画『へんちん!ポコイダー』を、私なんか咄嗟に思い出してしまった。(これも相当、変な漫画である)


モラルや常識に背を向けて、世間を敵にまわしながら、当時の永井豪は、こんな漫画ばかりを、連発しながら、せっせと描いていた。(今なら発禁だろう)



そんなのを数十年経った、しかも、アメリカの映画で、今さら観る事になろうとは。



この死体『マニー』(ダニエル・ラドクリフ)と無人島から脱出して、サバイバルを続ける『ハンク』(ポール・ダノ)は、マニーの特殊な能力に頼りながら、いつしかマニーに愛着をよせていく。



マトモな人間の感性なら、そんなハンクの異常な行動や感情に、眉をひそめて、一瞬で嫌悪するはずである。



これらは席を立つ人たちの、当然の反応なのだ。



でも、こんなモラルや常識を、ひとまず切り離して考えてみると、ハンクとマニーの関係は、どことなく、のび太とドラえもんのようにも、自分なんかには見えてしまう。


ダメ男ハンクと、万能能力を備えた死体マニーのヘンテコリンな友情。(なんか、良い部分を探そうとして、無理にそう思いこもうとしてるのだけど (笑) )




最初、この映画を観始めた時、てっきり、この主人公『ハンク』(ポール・ダノ)は、正気じゃなくて、こんなマニーの姿は、ハンクにだけ見えたり、聴こえたりする幻覚なんだと、思いこもうとしていたのだが、映画のラストを観ると、どうやらそうでもないのだ。



こんなマニーは、警官にも、レポーターにも、ハンクの父親にも、ハンクの初恋の女性サラにも、ハッキリと見えているのだ。



マニーの姿は、ちゃんと実在していて、全員がそれを確認して、驚嘆する。


故郷に帰り着いたハンクを残して、またもやオナラ・ジェット😁💨💨で海に帰っていくマニー。


その姿を見送りながら、サラが呟く言葉。



「ちょっと、何なの?アレ?!……」



本当に何なんだろう?……ただの死体じゃない事だけは確かだ。



ゾンビ?

異星人? 


それとも天使なのか?(こんな天使がおるんか?(笑) )



考えると頭の中がクラクラ。


これをオススメしてよいのやら……。



とにかく、今、言える事は『ハリー・ポッター』に人一倍想い入れがあって、ダニエル・ラドクリフを好きな方は、観ないほうがいいかも。


ガラガラと音をたてて、一瞬で崩れさっていく、ラドクリフのイメージ。


それくらいの異様な問題作なのですから。



取り合えず、ここに記す事で、この映画の事は自分自身も、一旦忘れようと努力するつもりである。(忘れられたら良いのだけどね。まぁ無理か (笑) ) 


2021年6月9日水曜日

映画 「誰かが見ている」または、「ニューヨーク25時・少女誘拐」または、「恐怖の地下密室!レイプ殺人が招く二重犯罪」

1982年 アメリカ。





またもや長~いタイトルでごめんなさい (笑)。


この映画、その昔、日曜洋画劇場では、確か『ニューヨーク25時・少女誘拐』のタイトルだったと思う。(『恐怖の地下密室!レイプ殺人が招く二重犯罪』の時は知らない。なんだか昔の土曜ワイド劇場のタイトルみたいだ (笑) )


その後に、ビデオレンタルの時代には『誰かが見ている』のタイトルでVHSになっていて、これは、偶然に観ることができました。(このタイトルの方がずいぶんマシ)



以前、このblogでも取り上げた『フリー・ウェイ・クラッシュ』(これも色々なタイトルがある)も、そうだけど、今更ながら、あの当時の日曜洋画劇場のセレクトする映画には、ほとほと感心してしまう。



有名なメジャー作品ばかりではない……膨大な映画の数々から、淀川長治先生がホテルに缶詰めになりながら、それらを見て、マイナーな映画さえも、こうやって救い上げて放送してくれていたので、全く知らない映画を自分たちは知りえる事が出来たのだ。(本当に大感謝である)



この映画には、一応原作があって、同名『誰かが見ている』のタイトルで、小説も刊行されている。


作者は80年代に、サスペンス小説の女王として、日本でも馬鹿売れしていたメアリー・ヒギンズ・クラーク


新潮文庫から、次から次に出ていたクラークの小説も、今じゃ知る人も少ないかもね。(絶版になってますし)



こんなサスペンスの女王クラークのデビュー作の映画化だったのだけど、例により映画は、ずいぶんと改変されていて別物になっております。(スタローンの『コブラ』にしてもそうだけど、80年代は原作無視O.K! 全くおおらかな時代である (笑) )


ただ、この改変がよかったのかどうか……この映画のストーリー自体はたいした事なくても、いまだに妙に忘れられない一編として、自分の中では、ずっと残っているのである。




2年前に、自宅で母親を殺された女の子『ジュリー』。


そんな殺害現場に運悪く居合わせた19歳の配達員の青年は、幼いジュリーに勘違いされて、「あの人が犯人よ!」と言われてしまった。(アラアラ、無実なのに)


そして2年後、その青年の死刑が決定して、今、まさに裁かれようとしているのだ。



この事件を追い続けていた女性キャスターの『シャロン』(ケイト・マルグルー)は、青年の無実を信じていて、テレビで懸命になって無実を訴えかけている。



だが、このシャロン、こともあろうか、この事件の当事者で、母親を殺されたジュリーの父親『スティーヴ』とも、もっか恋愛中だったのである。(また手近なところで)



こんなシャロンとスティーヴの娘ジュリーの間が上手くいくはずもなく………どうにも、こうにもギクシャクした関係が続いている。



そんなある日、ジュリーをつけ狙う異様な目付きの男が現れた。


この男こそ、本当の真犯人(リップ・トーン)なのだ。


真犯人は、ジュリーを誘拐しようと、隙をうかがっていたのである。



そんな場面に、たまたま居合わせたシャロン。



犯人は、「こうなりゃ、二人まとめて…」とシャロンとジュリーの二人ともを一緒に誘拐してしまった。



そして、二人が連れてこられたのは、ニューヨークは、グランド・セントラル駅の地下……工事途中で断念したのか、廃墟のような地中深い、光さえ届かないようなトンネルの中。


やっと目が覚めたジュリーと、シャロンは監禁されながらも、結託して脱出を試みようとする。


そんな暗闇で、もがく二人の遥か頭上では、無実の青年の死刑執行の時間が、刻々と迫っているのだった…………




確か、こんな話だったと思う。(なんせ遠い記憶で書いてるので。あんまり自信がない)



話の方は至って凡庸なんだけど、なぜか、この《地下トンネル》のくだりが、とても印象深く残っているのだ。


まるで迷宮のような地下のトンネルの中……



大都会の中心ニューヨーク、人で溢れかえっている場所で、「こんなに人気(ひとけ)がない場所があったのか…」と、当時、驚いた覚えがある。



主演のシャロン役のケイト・マルグルー(ビデオではケイト・マルグロウ)は、たぶんこれが映画デビュー作。


その後には、映画『レモ / 第1の挑戦』にも出演しております。(レモが後半に助け出すヒロイン、フレミング少佐役)



ただ、こんな若い時でも、ヒロインと呼ぶには、少しばかり躊躇してしまいそうな中堅オーラを放つケイト・マルグルーなんだけど( 失礼 (笑) )。



今、少し調べてみると、この映画の監督は、超有名な方で、あの!『13日の金曜日』の第1作目を作ったという、ショーン・S・カニンガムさんて方でした。(ホラー映画の神様みたいな方?ホラーに疎い自分は全く知らないけど)



そんな自分でも、『13日の金曜日』くらいは観たことありますし、残酷な描写やラストの恐怖は、当時、戦慄がはしるほどでございました。



へ~え、ほぉぉ~、そんな有名な監督だったとはねぇ~。(まぁ、それ以外では、あんまりパッとしないような気もするけど)



この『13日の金曜日』の後に作られたのが、ちょうど、この『誰かが見ている』だったらしい。


当時のフアンだった人達は、『13日の金曜日』並の恐怖を期待しすぎていて、肩透かしをくらった感じだったのかな。



比べれば、ごく地味なサイコ・キラー・サスペンスですもんね。


日本ではBlu-rayやDVDにもならずに、今に至っておりますし。(本国では、ちゃんとディスク化されております)



今、観ると面白いのか、どうなのか、多少自信はないのですが、DVDになればなったで記憶保管の為に、一度は観かえしてみたい作品だと思っております。


取り合えず星☆☆☆。


※それにしても、マイナーな映画やドラマの紹介に、このblogもどんどん変わってきてるなぁ~。(こんなの読む人いるのか?)


まぁ、『誰かが見てくれている』と信じて、ヘタクソな文章でも、ボチボチと書いていきますかね。


2021年6月4日金曜日

映画 「グローイング・アップ」

1978年 イスラエル。





大人になって、いまさら驚いた。

この映画が『イスラエル』産だったとは!


てっきりアメリカ映画だろう…と、今の今まで、ずっと変な勘違いしていたのだ。


昔、頻繁に、テレビで放送されていて、たまたま親がいたりすれば、とんでもなく気恥ずかしくなってくる。


いわゆる《ハレンチ青春グラフィティー》って感じの映画なのである。



一方、《イスラエル》といえば、空爆や紛争が今でも続いていて、混沌とした、まるで危険地帯のようなイメージ。(勝手なイメージなんだけど)


そんな国で、こんな映画がよく作られたものである。(しかもシリーズ化されて全8作。オマケに番外編として、アメリカ版のリメイクまであるのだ)



お話は、こんな感じ。


舞台は、1950年代のテルアビブ。(これも全然気がついてなかった。てっきりアメリカだとばかり思っておりました。調べてみるとイスラエルの中でも、経済や観光などで、大規模に発展している一大都市らしいのだ)


主人公の『ベンジー』は、ごくごく普通の男の子。(ちと痩せてるが)


『ボビー』は黒髪イケメンでモテモテ。


『ヒューイ』は金髪太っちょのおデブさん。(お決まりのギャグ要員)



こんな見た目も性格も違う3人なんだけど、3人はいつも一緒にいる。


目的は《ナンパ》



女の子をゲットして、《一発やりたい!》、ただ、その目的の為に意気投合して、年中つるんでいたのだった。(思春期の男たちが考えてる事は万国共通なのだ)


でも、ナンパなら、

「もっと格好いいメンバーを揃えれば上手くいくんじゃないか?」

と思うのだが、イケメンのボビーからすれば、ベンジーもヒューイも、都合の良い引き立て役なんだろう。(「俺様の格好よさが際立つ」ってところか? 顔は良くても、このボビーの性格はクソ野郎である)



とにかく、前半は女の子を手当たり次第にナンパしては、3人はイイ関係までいきそうになるのだけど、その家の主(あるじ)に見つかったりして、素っ裸のまま追い出されたりする。


大概は、ヒューイが逃げ遅れたりして、散々な目にあったりするのだが……。(なんせ、ギャグ要員なんで)



こんなドタバタで終始終わるのか、と思いきや、この映画は急にここから様相を変えて、シリアスな展開になっていく。(エッチな場面も存分に交えながら)



主人公ベンジーが、ある女の子を好きになるのだが、その子はイケメンのボビーに夢中になってしまって、ゴールイン。


身体も心も全てを捧げちゃうのだ。


そんな成り行きに黙って耐えているベンジーなのだが、その女の子が、ある日泣いているのを目撃してしまう。


なんと!予期せぬ妊娠!


「もう、どうしていいか分からない!」


その女の子を必死に慰めて、力になってやると約束するベンジーは、入院費用のために懸命にバイトしたりして、お金を工面したりする。


そんなベンジーの優しさに、ホロリと一瞬なるも、この女の子……子供を降ろした途端、またもや逆戻り。


あのクソ野郎ボビーと簡単によりを戻してしまうのだ。(男もクソなら、女もダメ)


その光景を見て、ショックのベンジーの姿をカメラはとらえながら、50年代に流行したオールディーズの音楽が流れるのである。(こんなシリアスな展開の中、太っちょヒューイは、全く話には関わってこない。ギャグ要員の出番は早々に終わったので)



こんなのが、確か『グローイング』の話の流れだったと思う。


苦い青春の一頁……



だが、こんな『グローイング・アップ』もシリーズ化されて、『2』を観た途端に、そんな感傷的な気分は、一瞬で吹き飛んだ (笑) 。



またもや、3人揃って、別の女の子をゲットしようとナンパにいそしんでいるのだ。(ゲゲッ!)



あの前回付き合って、妊娠までさせた女の子とは、とっくに別れていて、またもやナンパに夢中な『ボビー』。


それに、あんな酷い想いまでさせられたのに、すっかり忘れて、ボビーと一緒になっては、別の女の子探しに躍起になってる『ベンジー』は、ひょっとしてアホの子なのか?(笑)



太っちょ『ヒューイ』は、相も変わらず、映画の最初だけを盛り上げるギャグ要員である。



このパターンが『2』、『3』、『4』……とずっと続いていき、1988年には『8』まで作られていくのである。



もう、この頃になると、3人とも少年とはいえない、立派な青年。



いくら、テレビで流れていて観ていても、


「いつまでやっとんじゃい!いい加減に真面目に働かんかい!!(笑)」と、ツッコミたくなるほどでもあった。(よく続いたよ、このシリーズも。ヒットし続けたからこそ、8作もできたんだろうけど)



こんな懲りない野郎どもの最低ナンパ映画ですから、製作国がイスラエルと知って、自分が、驚いたのも無理なかろうと、お察し願えると思う。



尚、『グローイング・アップ ラスト・ヴァージン』はアメリカで製作された第1作目のリメイクである。(またもやリメイク、Oh! アメリカよ~!)



でも、こんな映画でも放送されれば、哀しい男の性で、馬鹿にしながらもツイツイ、やっぱり観ちゃうんだろうなぁ~。(まぁ、この現代の厳しい世相では、放送なんてのは絶対無理だろうけど)


半分呆れながらも、本能に向かって突き進む彼らを、男なら羨んでしまうのかもね。(男って、やっぱりアホだなぁ~ (笑) )


星☆☆☆。


※尚、日本でも、その後、似たようなドラマができて話題になる。


『毎度お騒がせします!』。


このドラマが、グローイング・アップシリーズを下地にしているのは、比べてみてもあきらかであ~る。


2021年6月2日水曜日

映画 「王家の谷 (1954)」

1954年 アメリカ。





時は1900年……


イギリス女性『アン・バークレー』(エリノア・パーカー)は遠路はるばる、遠い国エジプトはカイロまでやって来た。


アンの父親は生前有名な考古学者で、※旧訳聖書のヨセフによって書かれたエジプトに関する記述が《正しい》事を立証するため、手がかりとなるラホテップ王の墓を探していたのだった。


だが、父親は亡くなり、アンは父の研究を受け継いだのである。


でも、ほとんど素人同然のアンが、この広いエジプトで、それを探すのは困難。



そこで、現地で発掘中だった父親の知り合いである『マーク・ブランドン』(ロバート・テイラー)に協力を求めることにした。



「父の無念を晴らしたいの、助けていただけないかしら?」


目の前に、突然現れた美女アンに、マークは照れながらも一目惚れ💓😍💓。


アンの申し出を受けて、マークは協力することにした。


だが、アンの泊まっているホテルに行くと、一人の男がいる。


「あれは誰なんだ?」


「あら、言ってなかったかしら?1年前に結婚した夫の『フィリップ』よ」


ガ~ン!( ̄▽ ̄;)😱💔


マークの気持ちに気づいてながらも、ぬけぬけと言ってみせるアン。


騙し討ちにあったようなマークだが、それでも、もはや、この調査を離れられない。

マークの考古学熱に火をつけてしまったのだ。


それに……夫がいると分かりながらも、アンへの恋心が、それを引き留める。


(この女……)と思いながらも、やっぱりズルズルと、アンに惹かれていくマーク。



だが、そんな気持ちを押し隠して、マークは、アンとフィリップの3人で、幻のラホテップ王の墓を探す旅を続けるのだが……





こんなのが、映画『王家の谷』の大まかな出だし。


エリノア・パーカーの若い時の映画が観たいなぁ~」と思い、安易にこの映画に手を出したのだが、いきなりつまずいた。



旧訳聖書? ヨセフ??  ラホテップ王???



それらに疎い自分には、まるでチンプンカンプン。



旧訳聖書は、アダムとイブの誕生からはじまって、それは書き手を次々と変えながら、やがてエジプトの事にまで脈々とつながっていくらしいが………(これを読むのも理解するのも、まぁ大変)


この壮大な聖書(話)をちゃんと勉強していない者には、この映画の出だしは、ちょっと取っ付きにくいかも。



でも、この旧訳聖書、ところどころ破天荒な内容があったり、ファンタジー的な要素もふんだんにあるので、これを全て信用していいのか……いささか戸惑うところ。


それでも、国によっては信心深い方もいらっしゃるので、信じる、信じないの判断は、それぞれにおまかせしときます。(逃げた (笑) )



ラホテップ王の事は、たぶんラーヘテプ王の事を言ってるんだと思うんだけど、エジプトで第17王朝を治めたという初代か2代目の王らしい。(なんか、これもハッキリしない)


もはや紀元前の話なので、何年に渡って統治していたのかも推測の域をでない有り様。(紀元前1663年~1660年頃の3年間なのか、または紀元前1584年~1580年の4年間との説もあり、これも曖昧である)



ただ、先代の王とは全く血縁関係がなくて、若くしていきなり王座についた『ラーヘテプ』(ラホテップ)は、短命に終わるのだが、これ以降が彼の血族の者たちが、エジプトを統治していくので、ラーヘテップ統治の以前と以降で、けっこう引き合いに出されるらしいのだ。



『ラーヘテプ』の名前も二つの意味がある。


《ラー》は、《太陽神》。


《ホテプ(ヘテプ)》は、《平和になる》を意味する。(調べましたよ、色々と)



最低でも、このくらいの事を知っていれば、この映画『王家の谷』を観るのに、少しは手助けになるかと思い、書いてみました。(それでも難しい~)



この映画が公開されたのが、1954年。

当時の人たちが、こんなのを少しは理解していて、この映画を観ていたのかは、いささか怪しい気もしてくる。



こんなゴチャゴチャした『アン』(エリノア・パーカー)の動機はおいといて、この映画は、取り合えず冒険恋愛活劇の形をとっているのだが、脚本が少しばかり弱いかな。


この冒険も複雑なら、話のつながり方も少々悪い。(とりあえず、要所要所に見せ場はあるけど)



それに、「きっと、こんな風になるだろうなぁ~」なんていう、話の先読みまで出来てしまったりもするのだ。



なんたって、エリノア・パーカーロバート・テイラーが、大スターですもん。



『アン』(エリノア・パーカー)の夫『フィリップ』は、(色男でも悪い奴かなぁ~)と思っていたら、案の定悪い奴でした。(笑)


アンに内緒で、墓荒らしの盗賊たちと、裏でコッソリとつながっていて、お宝を狙って一儲けしようと企んでいたのだ。(盗賊と内輪揉めして、殺害したりもする)



最後は、『マーク』(ロバート・テイラー)に襲いかかってきて、高い神殿から真っ逆さまに落ちて絶命する。(でしょうね)




だって、エリノア・パーカーとロバート・テイラーがスターで、この二人がくっついてハッピー・エンドにならなけりゃ、当時の観客は納得しないはずですもんね。(夫役の俳優さんには悪いが、彼が最初に出てきた時点で、それを予想していたら、案の定でした)



こんな、あくまでも予定調和のストーリー。



ところが、この映画については褒める所も沢山あるから、困ったモノである。



当時、エジプトの至る所を撮影した壮大なロケーションは、圧巻のひと言。


カイロの町並み、河に掛けられた自動回転式の大橋、スフィンクス、神殿、広大な砂漠の砂嵐、ナイル河、王家の墓の地下探険………エジプトのありとあらゆる場所を、存分に堪能できてしまうのである。


ちょいとした観光気分を満喫させてもくれるのだ。




オマケに、二大スター、エリノア・パーカーとロバート・テイラーは、やっぱり魅力的。



ロバート・ミッチャムと共演した『肉体の遺産』の頃よりも若々しい、エリノア・パーカーは、とにかく美しい✨



赤毛を結って、英国婦人風の優美なドレスに身を包んだエリノアの姿には、テイラーじゃなくても、目を奪われてしまう。





それに、馬でも、ラクダでも上手に乗りこなすエリノアは運動神経も抜群のスーパー・レディーである。


生涯、クセの強い役や難役に挑んだエリノア・パーカーゆえ、こんな砂漠のロケや、馬やラクダでも、「何でもござれ!」だったのだ。(見かけによらず、本当に頼もしい女優さんである)




一方、ロバート・テイラー


当時、名だたる女優さんたちをメロメロ💓😍💓にさせて、「共演させてー!」とまで言われていたという伝説の色男ロバート・テイラー


ロバート・テイラーの名前は、ヴィヴィアン・リーと共演した『哀愁』で知っていても、テイラーの映画を観たのは、ワタクシ今回が初めて。(『哀愁』を観ていないので)


それでも、顔は知っていて、口髭をたくわえたテイラーとヴィヴィアン・リーのスナップ写真は、昔からあちこちで目にしていた。



この映画、『王家の谷』では、そんな口髭が無いロバート・テイラーの顔は、一瞬、「誰?」と思わせてしまうくらい違って見える。


口髭の無いテイラーの顔は、何だか自分には、アンソニー・クインの若い頃に似ているようにも見えてしまった。



で、そんなテイラーさんなのだが、驚いたことに、


どこもかしこも《ボーボー》なのである(笑)




胸毛は首元までボーボー、


腕毛は手首までボーボー、


髭そり後の顔も黒々している。(髭をのばせば、やっぱりボーボーなのか? (笑) )



こんな《ボーボー》のロバート・テイラーが女優たちに愛された?(男でも除毛、脱毛が大流行の現代とは逆を行く)



だが、映画を観ていると、何となくその理由も分かってきた。



この人が笑うと、妙な人懐っこさがあるのだ。


それに甘さもあって、そんなところに女たちは「キャアー!キャアー!」言うのだろうと思う。(アンソニー・クイン似の厳めしい顔が途端に柔和になる)


こりゃ、ボーボーでも人気になるはずだわ (笑)。



こんな壮大なエジプト・ロケーションと名優二人の共演で、ん~、ギリギリ星☆☆☆☆としときますかね。


わずか86分の映画は、短くてサクサクッ、と観れますしね。




※尚、このエリノア・パーカーとロバート・テイラー、よっぽど相性がよかったのか、この翌年にも、二人揃って共演している。


それが、1955年公開の『渡るべき多くの河』。


西部劇で、しかもコメディーらしいが、この二人がどんな演技をするんだろ?(噂では面白いらしいが)


期待しつつ、いつか観れる事を願って……

長々、お粗末さま。